第13話 聖女様とのご対面
ある朝、洗濯場が、ひっくり返るような騒ぎになった。
教会から、使者が来た。
来たのは、見覚えのある若い神官だった。前に、わたしの鑑定をしてくれた人だ。その人が、もったいぶった顔で、巻物を読みあげる。
「サリオン王国が聖女、エルフリーデさま。かの御方が――噂の『洗濯聖女』に、じきじき拝謁を賜るとのこと」
しん、と静まりかえった。
それから、わあっと、洗濯場じゅうが沸いた。
「聞いた!? エルフリーデ様ですって」
「サボンちゃんのやらかしが聖女様の耳に……?」
「何言ってんの。やらかしなんて、聖女様にはかわいいものよ! すごいわ、サボンちゃん!」
国の、聖女さま。教会がいちばん上にいただく、清らかさのかたまりみたいな人。その人が、わたしに会いたい、と。
なんでも、わたしの噂が教会のいちばん上まで届いたらしい。どんな布でも『黒いもの』を落とす娘がいる、と。
洗濯場の女たちは、わがことみたいに、きゃあきゃあ騒いだ。
わたしは、というと。
「えー……。なんか、めんどくさそう」
マリーに後頭部を、ぱしんとはたかれた。無言で。
問題は、そのあとだった。
それを聞いたリリが、わたしの姿を見るなり、ひっと悲鳴をあげた。
「サボン、それいつなんだ」
「今日の鐘みっつのあとだって」
「今日っ!? お前絶対そのままの格好で行く気だろ!」
「え? だめ? 洗濯聖女なら洗濯婦の格好で良くない?」
「だめだだめだ、ぜったいだめ! その寝癖としみだらけの前掛けで、聖女さまの前に出る気!? ぼくの執事の名にかけて、許さないからな!」
「リリ、あんた。まだ執事見習いでしょ」
そこからは、嵐だった。
リリが、どこからか上等なお仕着せを引っぱり出してくる。聞いたところによると、お仕えしてるお方の娘さんの古着らしい。
繊細なレースがたくさん使われてる白いワンピースで、裏地は絹で滑らか。
「もう流行から外れて着ないからって、譲ってもらってたんだよ」
「リリ、男の子なのに?」
「美しいものは美しいからいいの!」
マリーが、わたしの髪を、ぐいぐい梳かす。ふたりがかりで、磨かれ結われ、整えられていく。
「あの、ちょっと痛い……んだけど」
「「黙ってて!」」
リリは、ぼやくわたしを無視して、てきぱき指図を飛ばす。マリーは、それに合わせて、髪を結いあげていく。
マリーは実用でさっと整える派、リリはとことん飾る派。ふたりは、櫛の入れ方ひとつで、すぐ言い合いになる。
「そこ、もっとふわっと! マリーのやり方、固すぎるんだよ!」
「うるさいわね。すぐほどけたら、意味ないでしょ」
でも、その手は、ぜんぜん迷わない。
リリには、完成品が視えるらしい。〈見立て〉っていう、スキル。その人が、いちばん映える姿が、最初から見えているんだって。もっとも、自分のことだけは視えないらしい。本人は、いつも同じ髪型だ。
わたしが、汚れの正体を視るみたいに。リリは、きれいになった先を視る。されるがままになりながら、なんだか面白いな〜と思う。
「うん、決まり。きみは、この色がいちばん映える」
薄紫色と薄い青色のリボン。小さな漂白のお花と洗剤の泡を思い出した。リリの手が、髪に飾りをとめていく。鼻歌まじりで、それは楽しそうに。
他人の汚れには、いくらでも燃えるわたしだけれども。自分を磨かれるのは、どうにもむずがゆい。
でも、仕上がった姿を鏡で見せられたとき。
さすがに、ちょっと、目をみはった。
知らない女の子が、そこにいた。髪は艶やかに結われ、肌はぴかぴか、しみひとつない仕立てのいい服。リリが、得意げに胸を張る。
「どうだ! これでこそ、洗濯聖女さまだろ!」
「聖女は、やめてってば」
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神官さまに連れられて、長い廊下を、奥へ奥へと進む。
歩くほどに、天井が遠くなっていく。見上げても、てっぺんは暗くてよく見えない。高いところの窓から、色のついた光が幾筋も差しこんで、磨きあげた床に落ちていた。柱は、わたし三人ぶんでも抱えきれないくらい、太い。
足音だけが、こつこつと響く。誰もしゃべらない。咳ばらいひとつ、ない。声を出したら叱られそうな、おもたい静けさだった。
……すごい。というか。
これ、ぜんぶ拭くの、何人がかりなんだろう。床も柱も、塵ひとつ見あたらない。掃除する側の目で見ると、気が遠くなるくらいの立派さだった。
マリーとリリは、途中の控えの間で止められた。
「ここから先は、おひとりで」
断れる空気じゃない。ふたりのほうを振り返る。
「サボン、聖女様に変なこと言わないでね!」
「胸張っていってらっしゃい!」
わたしはひとつ頷いて、神官さまの後ろをついていった。
通された部屋は、いっそう、息を呑むほど立派だった。
白と金で、隅々まで磨きあげられている。天井には、ふっくらした雲と、翼のはえた人の絵。窓の硝子は、一枚いちまいが宝石みたいに色づいて、光を床へこぼしている。お香だろうか、甘くて、清らかな匂いがたちこめている。
その甘さに、鼻の奥がふっとざわついた。
……この匂い。知ってる。こないだの、あの笑わない目の男の人。あの袖に紛れていた、もう片方の匂い。毒の奥で、正体の分からなかった、あのむせるような甘さ。
お花じゃなくて、お香の匂いだったんだ。
神官さまに、何度も何度も、お辞儀の作法を念押しされた。顔を上げるな、口を開くな、聞かれたことにだけ答えろ。……たぶん、全部はできないと思うのでお辞儀だけはきれいにやろっと。
奥に、聖女さまがいた。
エルフリーデさま。
「貴女が、サボン?」
びっくりするくらい、綺麗な人だった。淡い金の髪に、青い瞳。鈴が転がるみたいな、軽やかで涼しげな声。微笑むだけで、まわりが明るくなるような。
居並ぶ神官たちが、いっせいに、頭を下げた。
「はい、初めまして。聖女さま」
わたしも、見とれた。……一瞬だけ。
すぐに、目が吸い寄せられた。
聖女さまの、まとっているもの。純白の祭服。きらきらの装身具。
その、ぜんぶ。
わたしの目には、うっすらと、くすんで見えた。
まっさらな白のはずなのに。煤けた灰色を、薄く刷いたみたいに。ぱっと見では、たぶん、誰も気づかない。
……この、くすみ。知ってる。
昔、ガロさんが解体した魔物の血。あれにも、こういう澱んだ色が混じっていた。瘴気、とか呼ばれるよくないもの。溜まると、害になるやつ。
あの汚れを抜く水なら作れる。ローズばあちゃんに、教わった。
でも――そこで、ふと、引っかかった。
いちばん清らかなはずの聖女さまが、どうして、くすんで見えるんだろう。
あ、と思った。
たぶん、この人。きっと、瘴気が溜まりやすい体質なんだ。自分でも気づかないまま、ためこんで。……苦しくないのかな。かわいそうに。
気づいたら、口が、動いていた。
「あの、聖女さま。違ってたらごめんなさい。……瘴気を溜めこみやすい体質ですか? それとも、浄化……でしたっけ。それが大変だったりしますか? ずいぶん溜まってますし……。お辛くないですか」
聖女さまの、微笑みがピクリと動いてから固まった。
まわりの神官さまたちが、ざわっと色めき立つ。
でも、わたしは、止まらない。だって、目の前に、誰も気づいてなさそうな手強そうなくすみがあるんだから。
「よかったら、お水をお作りしましょうか。瘴気が抜けやすくなるやつ。聖水でももちろん効くと思いますけど、わたしの調合のほうが身近なものでできますから、きっと安く気軽に使えますよ」
神官のひとりが、かっと、目を見開いた。
「ぶ、無礼な……! エルフリーデ様の御身が、穢れているとでも言うのか! それも、お前の作るもののほうが聖水よりも使えるとでも!?」
「? 穢れ、っていうか。ただの、汚れですよ。落とせばいいんです。それに洗剤は安くて良く落ちるほうが良くないですか?」
軽い気持ちで、言ったつもりだった。
なのに、その「汚れ」のひと言で、部屋の温度がすっと下がった。神官たちの顔から、表情が消えていく。
わたしには、ただの頑固な汚れに見えていた。それを落とす。ただ、それだけの話のはずだった。
なにが、いけなかったんだろう。分からない。ただ、空気だけが、ぴんと張りつめていた。
聖女さまは、しばらく、わたしを見つめていた。
それから、ふわりとまた微笑んだ。さっきよりも、ずっと、ていねいに。
「……ふふ。おもしろい子。噂以上だわ」
「恐れ入ります」
「ぜひその『お水』、いただきたいわね。……また、近いうちに。ゆっくり、お話ししましょう」
優しい、言葉だった。
なのに、その目の奥は、ちっとも笑っていなかった。
……あれ。この感じ、知ってる。こないだ洗濯場に来た、あの男の人とおなじだ。
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帰り道。
控えの間で待っていたふたりに、わたしはなにを話したかを、ぽつぽつ伝えた。
聞き終えたマリーとリリは、ひと言も、しゃべらなくなった。ふたりとも、真っ青だ。
「ねえサボン。……あんた、聖女さまになんてこと言ったか分かってる?」
「? 親切で言っただけだよ。だって、あんなにくすんでたら、放っておけないでしょ」
リリが、マリーの袖をくいっと引いた。
「なあ。……こいつ、生まれてから今日までずっとこの調子なのか?」
「あたしが知り合ってからは、ずっとこれ。たぶん、生まれつきじゃない?」
「……すげえな。怖いもの知らずってレベルじゃないぞ」
「ちがうの。何も知らないのよ、本人だけ」
ふたりが、こそこそ言っているのが、聞こえる。
「ねえ。聞こえてるんだけど」
「「気にしないで」」
ふと、思い出す。
王宮の洗濯場に呼ばれて初めて落とした、黒ずんだ祭服。銀の糸に付いていた……あれも、おなじくすみだったのかもしれない。銀は不浄を祓うから、色んなものに使われてる。
洗濯場に戻ると、ドロテアさんが、仁王立ちで待っていた。
わたしの話を聞くと、頭を抱えた。それから、ぎゅっとわたしの肩をつかむ。
「サボン。よくお聞き。……あの御方にだけは、二度とよけいなことを言うんじゃないよ。あんたが落とそうとしてるのはね、この国でいちばん触っちゃいけない汚れなんだ」
「でも、あんなに溜め込んでたら苦しいと思うんです。普通に聖女さまが心配ですよ」
「……ほんとに、あんたって子は」
ドロテアさんは、ためいきも出ないという顔をした。
そのままの格好で洗濯に取りかかろうとして、リリに怒られた。よそ行きの格好で仕事するな、だって。
「サボン。あんたはもう、今日の仕事は上がっていいから。大人しくしておきな」
「まったくもう! 貸した服なのに汚す気?」
「汚したら落とせるよ。わたし、洗濯婦だもん」
「バカね、サボン。そういうことじゃないのよ。仕事着じゃないのに仕事しないの」
ドロテアさんに半ば追いやられるようにして、わたしたち三人は洗濯場を後にした。
いい服を着てるから街に繰り出そうというリリとマリーを横目で見ながら、ぼんやりと空を見上げる。夕焼け空の遠くの方から、鳥の鳴き声がした。
いちばん清らかなはずの人が、どうして、いちばんくすんで見えたのか。
そのくすみが、いったい、なんなのか。
空を見上げながら考えてみても、やっぱりよく分からないままだった。




