表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
落ちない汚れはございません!〜街はずれの洗濯婦のはずがこの国の黒いものまで洗い流して洗濯聖女になっちゃいました〜  作者: 絹田屋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/15

第12話 その染みは葡萄酒じゃない


 ひと月もすると、王宮の洗濯場にも、すっかり慣れた。

 わたしの噂を聞きつけて、わざわざ染み抜きを指名してくる人まで出てきた。手強い汚れが、向こうから会いにきてくれるんだから、こんなにありがたいことはない。

 ……ただ、ひとつだけ、ゴワゴワした心地がついてきた。


 呼び名だ。

 布から真実を読む娘。落ちない汚れを落とす、洗濯聖女さま。

 ……だそうだ。


「聖女じゃなくて洗濯婦なんだけどな〜。そういう立派なの、マリーがかわりにやってよ」

「なんであたしなの。意味が分かんないよ」

「だってマリー、しっかりしてるし。聖女っぽい」

「あんたねえ……」


 マリーが、こめかみを押さえた。横でリリがけらけら笑っている。


「あはは! サボンが聖女なら、世界中の聖女が廃業だよ! 寝坊して髪はねてる聖女なんて!」

「え〜、寝癖は寝癖でしょ。洗濯婦として、汚れを前にしたら誰より本気なんだから」


 リリは、執事見習いのくせに、暇さえあれば洗濯場に入りびたっている。マリーとは会えば口げんか。でも、なんだかんだ仲がいい。


「ま、その話はあとで。お昼は一緒に食べよ。今日は厨房がパイを焼くんだって」


 マリーが言って、リリが「やった!」と跳ねた。

 わたしも、それはちょっと楽しみだった。

 リリを見送った後、マリーが「……にしても、今日の寝癖は芸術ね」なんて言ってきた。

 他の洗濯婦も自分の分の洗濯物の山を取って洗って、いつものように時が過ぎる。


「サボンさん、マリーさん。私たちまとめて干しちゃうから、少しゆっくりしててよ」

「えっ、良いんですか」

「ありがとうございます!」


 洗濯婦の先輩方は遠巻きにする人と親切にする人がいる。時々こうやって、お留守番的なことも頼まれるようになってきた。


 ――その、矢先だった。


 ひとりの若い侍女が、青い顔で、駆けこんできたのは。

 腕に、たたんだ夜会用のドレスを抱えている。淡い色の、上等な綿。柔らかいのに、しっかりと織りこまれていて、まるで絹みたいな光沢がある。


「お願いします……! 奥さまの、ドレスなんです。ゆうべの夜会で、葡萄酒をこぼしてしまって」


 胸もとに、赤い、しぶきみたいな染みがある。


 ……あれ。


 葡萄酒の染みなら、しょっちゅう見てる。でも、これは。


-----


 鼻を近づける。

 葡萄酒の、あの酸っぱい甘さじゃない。もっと、青くさい。草を、すりつぶしたような匂い。その奥に、つんと、痺れるような苦さがひそんでいる。


 この匂いを、わたしは知っている。


 ローズばあちゃんが教えてくれた。「これはね、扱いを間違えたら人を殺す草だよ」と。薄く薄く煮出せば、しつこい黄ばみを抜く漂白に使える。でも、濃く煮詰めれば――強い毒だ。


 子どものころ、その草を、ばあちゃんと摘みにいった。手のひらに、紫色の小さな花。きれいだねと言ったら、ばあちゃんは笑って言った。「きれいなものほど、使いようだよ。薬にも、毒にもなる。汚れを落とす力も、おんなじさ」と。


 あのときは、よく分からなかった。

 今は、すこし、分かる。

 この染みは……たっぷりに濃い。漂白に使う、あの薄さの、何十倍もある。こんなの舐めたら、ひとたまりもない。 

 葡萄酒の赤に、よく似せてある。色も、とろみも。ぱっと見では、まず見分けがつかない。

 でも、わたしの目は、ごまかせない。


 これは、葡萄酒なんかじゃない。

 毒だ。それも、本気で人を殺すための、濃さの。


「これ、葡萄酒じゃないですよ。……毒です」

「えっ……。ど、毒?」


 マリーと侍女が、ぽかんと口を開けた。それからあわあわと言い出すが、わたしの目はもう、しぶきの飛び方を追っていた。


 点々と散った、その向き。杯から、斜め上へ、ぱっと跳ねあがっている。手から、すべり落ちた跡じゃない。横から、とんっと、なにかがぶつかった跡だ。


 たぶん、ひとごみのなかで。誰かの肩か肘が、奥さまの腕に、たまたま当たったんだ。口に運ぶ、ちょうどそのとき。

 杯の中身は、ドレスにこぼれて。奥さまの口には、入らなかった。


 つまり、ゆうべ。

 ゆうべあった夜会で、誰かが、奥さまを殺そうとした。そして――ほんの偶然で、しくじった。

 奥さま本人は、たぶん気づいていないんだろう。毒だったことにも、命拾いしたことにも。


-----


「そんな、そんな……。お、奥様の身に危険が……!?」


 侍女は、わなわな震えて、その場にへたりこんだ。

 奥さまというのは、さる名門の、ご当主の奥方らしい。社交界では、知らぬ者のいない人だそうだ。

 そんな人が、夜会の席で、そっと毒を盛られた。そして、ほんの偶然で、それを免れた。

 穏やかな話じゃ、まるでない。

 わたしは、とりあえず、ドレスを片づけにかかった。毒の染みも、染みは染みだ。放っておくと、繊維が傷む。


「ちょ……っ、待って! あなた、こわくないんですか!? 毒、ですよ!?」

「? 手袋しますし。落とすぶんには、平気ですよ」


 わたしは、きょとんとした。むしろ、わくわくしていた。この草の毒は、油に溶けやすい。だから、水じゃ落ちにくい。手強い。手強いやつは、燃える。

 手袋をはめて、さあ、と袖をまくったところで。

 ……あ、そうだ。

 さすがに、これは、ドロテアさんに伝えておかなきゃ。


「あの。洗濯婦をまとめてる人がいるので……。その人には、一応伝えていいですか?」

「は、はひっ……」

「いいわ、サボン。あたしはこの方を落ち着かせるから。……さ、お茶をご用意しますのでこちらに……」


 マリーが侍女を外に連れ出してくれた。ちょうど、すれ違うかたちでドロテアさんが洗濯場に戻ってきた。


「ドロテアさん! いいところに。実は……」


 ドロテアさんは話を聞くと、しばらく黙りこんだ。それから、低い声で言った。


「……サボン。この話は、あたしがしかるべきところに上げる。あんたはドレスを綺麗にして、忘れな」

「でも、これ。……証拠なんじゃ、ないんですか。落としちゃっていいのかなって」


 われながら、めずらしく、まっとうなことを訊いた気がする。

 ドロテアさんは、ちょっと目をみはった。


「……毒のついたドレスを、そのまま返すわけにはいかないよ。盛った奴に、気づかれたと知られる。次は、もっと上手にやってくる。綺麗にして、なにもなかった顔で返す。それが、奥さまを守るんだ」


 あ、と思った。

 わたしが綺麗に消すほど、奥さまは、安全になる。

 盃を弾かれたんだから、しくじったことは、盛った奴も気づいているだろう。でも、それが毒だと見抜かれたことまでは、知らないままだ。葡萄酒のふりの染みが、なにごともなく洗い消されて返されれば。誰かに気づかれたなんて、思いもしない。

 ばれてないと思って油断しているあいだに、しかるべき人がなんとかする。


 汚れを落とすのが、人を守ることになるなんて。……ちょっと、ふしぎな気分だ。


「けどね。あんたの言うとおり、証拠はいる。……サボン。その毒、落とすとしたらどうする?」

「えっと。油に溶けやすいので、まず松脂で溶かし出して。それから、泡草で水のほうへ……」


 ドロテアさんは、ふところから、ちいさなガラスの小瓶を取り出した。それを、ぽんと、わたしの手に握らせる。


「溶かし出したばっかりの、いちばん濃いところ。ひと匙、この小瓶に入れておおき」


 また「あっ」と思った。

 わたしは落とすことしか、考えていなかった。取っておくなんて発想は頭になかったから。


「布から抜いた毒は、ただの汚れじゃない。どこの草で、どう使われたか。それを語る、証人だよ。……あんたがいつも言ってる、汚れの声ってやつさ」


 そっかぁ、と、ちょっと感心した。

 汚れの声、なんて。わたしとローズばあちゃんの、合言葉みたいなものだと思っていた。それが、落とすときだけじゃなくて。残しておくときにも言えるんだ。


「……はい。やってみます」


 ドロテアさんは、ちいさくうなずいた。それから、声をもっと落としてひそひそとささやいた。


「いいかい。……ここだけの話だよ。この半年、王宮じゃお偉いさんが、何人も急に亡くなってる。流行り病だの心の臓だの、って言われてるけどね」


 言いかけて、口をつぐむ。

 それからドロテアさんは、わたしをまっすぐ見た。


「サボン。あんた、こないだ出納方のことで妙な男に目をつけられたろう。……この王宮は、あんたが思ってるよりずっと黒いんだ。落とせる汚れと、落としちゃいけない汚れがある」

「? 汚れに、落としちゃいけないなんてありますか?」


 本気で、そう思っている。

 ドロテアさんは、もう一度ためいきをついた。それから、低い声で、つけ足した。


「世の中には、汚れたまんまにしときたい奴がいるんだ。あんたは、それを落としちまう。……くれぐれも、気をつけな」


 わたしには、お偉いさんの事情なんて、分からない。

 でも、もしそのうちの何人かが――この、葡萄酒みたいな顔をした毒のせいだったとしたら。

 ひとりや、ふたりじゃ、ないのかもしれない。


 この、葡萄酒のふりをした毒が。にこやかな夜会の、あちこちの杯に。誰にも気づかれないまま、何度も注がれてきたのかもしれない。

 そう想像すると、ぞっとする話だ。


 ……はずなのに、わたしの手はもう、毒の染みと格闘しはじめていた。


-----


 この毒は、油に溶けやすい。だから、ただの水じゃ、ぜんぜん歯が立たない。

 まずは、松脂を蒸した揮発油。これを、染みの上に、そっと置くように含ませる。油は、油で溶かす。赤い色が、ふっと、ゆるむ。


 ――これだ。ドロテアさんに、言われたとおり。


 溶け出したばかりの、いちばん濃い赤。それを、ほんのひと匙だけ、もらった小瓶にすくいとる。きゅっと、栓をした。

 これが、この毒の、いちばん正直な声だ。あとは、しかるべき人が、聞いてくれるだろう。


 さて。ここからが、本番だ。

 ゆるんだところを、すかさず泡草で抱きこんで、水のほうへ引っぱり出す。一気にやると、輪染みになる。あくまで、ていねいに。織り目に沿って、すこしずつ、すこしずつ。

 綿とはいえ、これだけ上等だと、扱いはむずかしい。毒よりも、よっぽど、布のほうに気をつかう。

 そうして、どれくらい経ったか。

 赤い色が、布から、すうっと引いていった。


「……ん。落ちた」


 奥さまを殺そうとした、誰かの悪意。その色が、わたしの手の中でただの薄い水になって、消えていく。


 温風機にゆったりとあてて空気をたくさんドレスに含ませる。形と着心地を良くするために。


 仕上がったドレスを、ふわりと広げてみる。淡い綿地に、もう、染みひとつない。

 毒も葡萄酒も、わたしにはおなじだ。落ちれば、気持ちいい。落ちなければ、もっと燃える。


「お待ちどうさまです。落ちましたよ」


 震えながら待っていた侍女に返すと、彼女はおそるおそる受け取った。まだ毒が残っているみたいに。それから、何度も頭を下げて、帰っていった。


-----


 お昼。

 約束どおり、厨房のパイを三人で囲んだ。

 わたしは、焼きたてのパイを頬張りながら、なにげなく言った。


「そういえば、さっき面白い染みがあってね。葡萄酒みたいな顔して、中身は毒だったの。何でも夜会で――」

「ちょ、ちょっとストップ!!」


 リリが血相を変えて、わたしの口を両手でふさいだ。


「なっ、なに言ってんのサボン!? そういうのは、声に出しちゃだめなやつ!」

「むぐ……(だって、よく落ちたし)」


 マリーはパイを置いて、じっとわたしを見ていた。

 それから、ぼそっと言った。


「ねえサボン。……あんた、ほんとにこわくないの」

「? だって、落ちたよ。きれいに」


 マリーは、なにか言いかけて、やめた。かわりに、自分のパイのいちばん大きいかけらを、わたしの皿にのせてくれた。


 わたしには、よく分からない。

 でも、こういうときマリーが優しいのは、知っている。


 毒を盛られたら、人は死ぬ。それくらい、わたしにも分かる。誰かが、奥さまを殺そうとしている。それも、たぶん、分かる。


 でも、そこから先はわたしの手には負えない。だから、ちゃんとドロテアさんに相談した。小瓶ももう、わたしの手元にはない。


 わたしにできるのは、たぶん、ここまで。あとは、しかるべき人が、なんとかしてくれる。


 ……そう思うことにした。


 ただ――ひとつ、思い出した。

 この毒の、痺れるような匂い。前にも嗅いだ。出納方を探りにきた、あの笑わない目の男。あの袖の奥に、これとおなじ匂いが、ひそんでいた。


 あのときは、むせるくらい甘い花の匂いに紛れて、よく分からなかった。今なら、片方だけは分かる。紫色の花の毒だ。


 ……これも、ドロテアさんに言っといたほうがいいよね。あの男の人と、この毒。おんなじ匂いがしたよ、って。


 誰が、なんのためかは、わたしには分からない。それを考えるのは、しかるべき人の仕事だ。わたしの仕事は、汚れを落とすことなんだから。


 ……もう片方の花の香りに出会うのは、この後すぐのことだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ