表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

95/102

第95話「カナの薬、と呼ぶことにする」

「苦い葉、丸い葉、傷の根」


 カヤの声が、朝の作業場の脇で低く落ちた。

 昨日二枚の板が並んだ平らな石の上には、もう一枚、白い面が増えていた。三枚目の板。今朝オンが鍋の脇から持ってきた粘土を、ソウとテツが昨夜のうちに伸ばしておいたものだった。

 乾き切ってはいない表面に、秋の朝の光が薄く差していた。


 カヤは膝の脇に薬草の束を三つ並べていた。

 苦い葉、丸い葉、傷の根。昨日と同じ順番。違うのは、束の奥にもう一束、別の小さな葉が並んでいたことだった。東の谷の葉。昨日「板の方が先」と言って脇に寄せた葉が、今朝はカヤの手の届く位置に戻っていた。


「先に、形を決める」


 カヤは言った。

 声は短かった。考えてから出た声ではなかった。昨夜の住居の中で、ベンの脇で薬草の束を膝に乗せたまま、何度も組み直してから今朝そこに置かれた声だった。

 ソウは木片を持ち直した。


「葉の絵と、効きの印」

「うん。葉の絵で何の葉かを示す。印で何に効くかを示す」


 カヤの指が、苦い葉の束の中から一枚を抜いた。

 葉脈の太い裏面を上にして、三枚目の板の左の端に置いた。指の腹で押し付けると、湿った粘土の表面に、葉の縁の形と葉脈の細い溝がそのまま薄く残った。

 葉を持ち上げると、板の上に苦い葉の形が一つ写っていた。


 ソウは木片の先で、その葉の脇に印を彫った。

 横に寝かせた弧を一つ。熱を意味する印。

 その下に短い縦の線。痛みを意味する印。昨日まで白板の方に置いていた印を、今朝はカヤの口から出る順序に合わせて、葉の脇に直接並べ直した。


「苦い葉は、熱と、痛み」

「うん」


 カヤは頷いた。

 頷きの動きは小さかったが、迷いの音はなかった。



 丸い葉が二枚目の場所に来た。

 カヤの指が葉の裏を板に押し付けた。葉脈の細い溝が粘土の上に残った。葉を持ち上げると、丸い葉の形が苦い葉の隣に一つ並んだ。

 ソウはその脇に二つの印を彫った。


 短い斜めの線が一つ。傷の印。

 その下にもう一つ、点の形を一つ。血を止める印。


「丸い葉は、傷と、止血」

「そう」


 カヤは三つ目の束を取った。

 傷の根。葉ではない。指の長さの細い根の束を一本抜いて、板の表面に押し当てた。葉のように薄くは写らなかった。代わりに、根の太さの跡が薄い溝として残った。

 ソウはその脇に三つ目の印を彫った。


 縦の線が二本、間に短い横の線。消毒の印。

 その下にもう一つ、丸の中に点が一つ。癒しの印。

 苦い葉、丸い葉、傷の根。三つの葉の絵と、それぞれの脇の二つずつの印。板の左半分が、それで埋まった。



「次は、組み合わせ」


 カヤは束の中から二枚の葉を取り出した。

 苦い葉と傷の根。二つを並べて、板の右半分の上の方に置いた。指の腹で押し付ける。二つの葉と一つの根の形が並んで写った。

 ソウは木片で、その並びの脇に印を打った。


 線を一本、二つの形の間に短く渡した。

 組み合わせの印。

 その下に、横に寝かせた弧を一つ。重い熱の時に使う印。


「苦い葉と、傷の根。重い熱に」

「そう」


 カヤの口の動きは速くなかった。

 速くはなかったが、止まらなかった。バアの五十年がカナを通って一度形になり、カナの最後の夕にカヤの粘土板の上に二十本の線になり、今朝そのうちのいくつかが三枚目の板の上に絵と印として並んでいた。

 継承は、二度通った。


 組み合わせは、二枚で一つ、三つで一つの形が並んだ。

 二枚の葉の組み合わせが四つ。三枚の葉の組み合わせが二つ。それぞれの脇に、いつ使うかを示す印が小さく添えられた。



「東の谷でも、似たことをやっていた」


 カヤは束の奥から、別の小さな葉を一枚抜いた。

 北の谷の葉ではなかった。東の谷の葉。カヤがベンの一家に加わる前、もっと若い頃に、東の谷の村で一度だけ使ったことのある葉だった。

 ソウは木片を止めた。


「東の谷」

「同じ葉では、ない。だが、似た葉だった。重い熱に、別の葉を二つ組み合わせていた。北の谷の苦い葉と、傷の根。東の谷では、別の葉と、別の根。だが、二つ組み合わせる、という形は——同じだった」


 カヤはそれだけ言った。

 声は淡かった。自慢でも、寂しさでもない。覚えていた、というだけの形の声だった。

 ソウは木片の先を、板の右の端の余白に持っていった。


 その端に、東の谷の小さな葉の形を一つだけ写した。

 葉脈の細い溝が、北の谷の葉と少しだけ違う角度で並んでいた。

 脇に印は彫らなかった。


「いつか、書きます」

「うん」


 カヤはそれだけ言った。

 書く時が来たら書く。今朝は、置く場所だけを決めた。



 空き地の縁を、足音が一つ通った。

 ミラだった。

 編みかけの籠を腕に抱えて、作業場の脇まで歩いてきた。籠の縁の編み目が、朝の光の中で縦と横に交差して見えていた。

 ミラは三枚目の板の上の絵と印を、上から下へ、左から右へとゆっくり目で追った。


「葉の絵」


 ミラの声は低かった。


「葉の絵の脇の印、編み目の上の柄に、似ているねえ。籠を編む時はね、縦と横で形が違う糸を組み合わせるとね、ひとつの柄が生まれるんだよ」


 ミラはそれだけ言って、編みかけの籠を組み直しに、住居の方へ戻っていった。

 歩く背中の脇で、籠の縁の編み目が一度だけ揺れた。


 ソウは木片を持つ手を一度握り直した。

 ミラが板の上の形を「柄」と呼んだのは初めてだった。絵と印が組み合わさって、一つの柄になる。ミラの目は、その柄を最初に見つける目だった。



 オンが鍋の脇から歩いてきた。

 手に杓を持ったままだった。今朝の粥はもう配り終えていた。杓の縁から、薬草の青い匂いが薄く立っていた。

 オンは三枚目の板の前に立ち止まり、苦い葉の絵の脇の横の弧と短い線を、しばらく見ていた。


「これ、毎朝のと、同じ」

「同じです」

「これ見れば、覚えられる」

「覚えられます」


 オンはそれだけ言った。

 杓を持ち直して、鍋の方へ戻っていった。歩く背中の脇に、いつもより一拍だけ多く力がこもっていた。


 リアが柵の上から降りてきた。

 昨日と同じ角度の背中で、作業場の手前に立ち止まった。三枚目の板の右の端を、リアの目は流れた。


「夜は、昨日の板」

「夜は、昨日の板です」


 リアは頷いて、空き地の中央の方へ歩いて行った。

 ベンは焚き火の脇に立ち、カヤの方を一度だけ見て、何も言わずに目を伏せた。



 日が空き地の上を半分まで回った。

 三枚の板が、平らな石の上に並んでいた。

 白板には、何を、いくつ、いつ。

 二枚目の板には、誰が、いつ、夜は誰が起こす。

 三枚目の板には、葉の絵、効きの印、組み合わせ。


 ソウは三枚を、左から右へ目で追った。

 カナの最後の夕にカヤの板の上に置かれた二十本の線は、今朝、葉の絵と印と組み合わせの形に分かれて、三枚目の板の上に立ち上がっていた。

 テツが作業場の奥から歩いてきた。


「焼くか」


 テツの声は低かった。

 いつもの問い方だった。粘土板の前で、ソウが「まだ、足りない」と答え続けてきたあの問い。今朝は、テツの声の中に、答えを待つ間が一拍長かった。

 ソウは木片を一度、板の脇に置いた。


「焼きます」


 声は短かった。

 ソウは三枚目の板の縁を、両手で持ち上げた。湿りの抜けた表面が、掌の温度を少しだけ吸った。テツは頷いて、窯の覆いの方へ歩き始めた。

 焼けば、消えない。



 ガランが空き地の中ほどで足を止めた。

 焚き火の脇から、新しい板の方へ目を向けた。歩いてはこなかった。中ほどの場所から、三枚の板の並びを上から下へ、左から右へと目で追った。

 ガランは咳を一つ落とした。


 短い咳が二度。

 それから鼻を鳴らした。


「……埃だ」


 誰にも聞かせる声ではなかった。

 ガランの目は、三枚目の板の上の、苦い葉の絵の脇の横の弧の方に、しばらく止まった。それから丸い葉の方へ流れた。傷の根の方へ流れた。組み合わせの方へ流れた。東の谷の葉の方へも一度流れた。

 ガランの口が、薄く開いた。


「カナの薬、と呼ぶことにする」


 声は低かった。

 短かった。重かった。

 ガランは続けて何も言わなかった。三枚の板の方を見続けた。焚き火の薪を選んでいたサガの手が、一拍止まった。柵の方角から戻ってきたリアの足も止まった。

 誰も頷かなかった。


 頷く動きの代わりに、空き地の上を流れる風の音だけが、しばらく続いた。

 頷かないことが、頷くことと同じ形をしていた。

 テツが窯の覆いの方で振り返り、ガランの口の動きを見て、それから、もう一度覆いの方に目を戻した。覆いを開ける指の動きは、いつもの速さに戻っていた。



 カヤは束を揃え直して、立ち上がった。

 膝の脇に残った葉の屑を指の腹で集め、空の革袋の中に落とした。歩く背中の角度は、昨日の夕に焚き火の方へ歩いて行った角度と、同じだった。

 ベンはカヤの脇で、両手を腹の前で組んだ。


 組んだ掌は震えなかった。

 震える場所が、今朝はもう外にない、という形だった。

 二人は焚き火の方へ歩いて行った。歩く背中の脇で、苦い葉の青い香りが薄く残っていた。


 ソウは板の前にしゃがんだまま、しばらく動かなかった。

 目を上げて、焚き火の脇を見た。

 バアの椀が一つ。

 その隣に、カナの椀。

 縁の欠けの形は二つとも違っていた。違ったまま、同じ場所に置かれていた。


 その隣に、もう一つ、場所が空いていた。

 空いた場所は、地面の上で薄く輪郭だけを持っていた。明日の朝、テツが焼き上げた三枚目の板を、そこに立て掛けるための場所だった。

 カナはいない。

 だが、カナの薬がある。


 バアの薬草畑、カナの薬。

 バアの椀、カナの椀、それから、カナの薬の板。

 不在は、形を持って続いていた。形を持って続くことが、消えないことだった。



 焚き火の脇で、ガランが咳を一つ落とした。

 短い咳が二度。

 ガランは火の方を見たまま、低く呟いた。


「秋が、終わる」


 誰に聞かせる声でもなかった。

 火の縁の薪が一本崩れた。粉が薄く立って、消えた。冬の入り口の風が、北の縁の方角から渡ってきていた。


 ソウは板の前で、もう動かなかった。

 三枚の板の上の形を、もう一度だけ目で追った。

 焼けば、消えない。明日の朝、三枚目の板が、カナの椀の隣に立つ。形は——できた。


 風が、空き地の脇を抜けた。

 バアの薬草畑の方角から、薄く葉の匂いが流れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ