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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

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第94話「誰が、いつ、何を」

「もう一枚、いる」


 朝の作業場の脇で、ソウは平らな石の上に新しい粘土板を置いた。

 白板はすでにそこにある。昨日の三つの絵、脇の線、点の数、丸の中の十本の線。乾いた表面の白さが秋の朝の光に静かに照り返していた。

 その隣にもう一枚。今朝テツが捏ねて分けてくれた粘土を、平らに伸ばした板だった。表面はまだ薄く湿って、指の腹を当てると粉ではなく冷たさが返ってくる。


 カヤが半歩離れた所で薬草の束を膝の脇に並べていた。

 苦い葉、丸い葉、傷の根。昨日と同じ並び方。違うのは、束の脇に四枚目の小さな葉が一つ別に置かれていたことだった。


「東の谷の、別の葉?」

「うん。だが、今日は——板の方が先」


 カヤはそれだけ言って四枚目の葉を脇に寄せた。

 ソウは頷いた。今日決める形が決まってから葉を増やす。順番が逆だと板の上で形が崩れる。両方がそれを言葉にせずに分かっていた。



 ソウは白板の上の絵を指でなぞった。

 苦い葉、丸い葉、傷の根。三つの絵は何を煎じるかを言っている。脇の線と点はいくつ煎じるかを言っている。丸の中の十本の線は息の数を言っている。

 言っていないことが、まだ二つあった。

 誰が煎じるか。いつ煎じるか。


 ソウは木片を新しい板の方に持ち替えた。

 まだ何も刻まれていない湿った表面に先をかざして、止めた。

 配給の板の脇に貝殻が一枚置いてあるのを、視界の端で確かめた。鍬印の板の脇には、ノタとハクの線がそのまま残っている。どちらの板も、書かれる前に「並べる場所」が決まっていた。


「先に人を置く」


 ソウは低く言った。

 カヤが顔を上げた。


「人?」

「煎じる人。朝と夕。誰がやるか」


 カヤは束を揃える手を一度止めた。

 止めた手がまた動いた。


「朝はオン。夕は私」


 言葉は短かった。

 考えてから出た声ではなかった。すでに自分の中で何度も置き直してから、今そこに置かれた声だった。

 ソウは木片の先で、新しい板の左の端に短い縦の線を一本引いた。

 縮めた線。アズとガンの皿の時から使っている人を意味する線。線の長さは半杯と一杯の話ではない。今日は人の名前の代わりだった。


 その線の隣に、ソウは小さな丸を一つ打った。

 丸の中に小さな点を一つ。

 オンの粥の杓を握る手。朝の鍋の脇でいつも見ていた動き。


 線の下の方にもう一本縦の線を引いた。

 その線の隣に別の形の丸。中に点を二つ。

 カヤの薬草の束を揃える指の動き。膝の脇で葉を並べるあの形。


「上が朝。下が夕」


 ソウは指で板の上の方を押さえ、それから下の方を押さえた。

 カヤは板の上の二つの線と二つの丸を上から下へ目で追った。


「上にオン。下に私」

「そう」

「分かる」


 カヤはそれだけ言った。

 分かる、という声の中にためらいの音はなかった。



 空き地の縁を、足音が一つ通った。

 ガランだった。

 焚き火の脇から立ち上がる動きが、いつもより少しだけ遅い。膝の上の掌を一度押し付けてから、腰が上がる。

 ガランは作業場の脇までは来ない。空き地の中ほどで足を止めて、こちらに顔だけを向けた。


「何の板だ」


 声は低い。

 集落の中ほどから問う声は、聞かせる声ではなかった。確かめる声だった。

 ソウは板の正面のしゃがんだ姿勢のまま、顔だけを上げた。


「薬草と煎じ役」

「役」

「朝にオン。夕にカヤさん」


 ガランは咳を一つ落とした。

 短い咳が二度。

 それから鼻を鳴らした。


「……埃だ」


 誰にも聞かせる声ではなかった。

 ガランの目は、新しい板の上の二本の線と二つの丸の方へ流れた。流れて、止まった。

 止まった視線が、白板の方へも一度動いた。三つの絵、脇の線、点の数。それからまた、新しい板の二本の線へ戻った。


「これで覚えるか」


 ガランは低く言った。

 ソウは木片を持ったまま頷いた。


「これで覚えます」


 ガランはそれ以上は何も言わなかった。

 空き地の中央の方へ、いつもの足の運びで歩いて行った。

 歩く背中の脇で、右の手が一度だけ膝の頭を撫でた。



 カヤが、束を一つずらした。

 苦い葉の束を、新しい板のオンの線の隣に置いた。

 丸い葉の束は、その下の傷の根の束の隣に置こうとして止まった。


「いつ煎じるか」

「いつ?」

「葉によって、煎じる時が違う。苦い葉は朝の鍋の前。丸い葉は、熱が出てから。傷の根は、傷ができた時」


 ソウは木片を持ち直した。

 考えていなかったわけではなかった。だが、カヤの口から出ると、形が違って聞こえた。誰が煎じるかと、いつ煎じるかは、同じ板の上に置けるのに別の場所が要る。


 ソウは白板の方へ目を戻した。

 苦い葉の絵の脇には線が一本、点が三つ、長い線。三枚を煎じて一杯分。

 丸い葉の絵の脇には線が一本、点が二つ、短い線。

 傷の根の絵の脇には線が一本、点が一つ、短い線。


 その絵の下に、ソウは木片で新しい印を一つずつ足した。

 苦い葉の絵の下に小さな太陽の形を一つ。朝に煎じる印。

 丸い葉の絵の下に横に寝かせた弧を一つ。熱が出てからの印。

 傷の根の絵の下に短い線が斜めに走る印を一つ。傷の印。


 三つの絵の下に三つの違う形が並んだ。


 カヤはしばらくその三つの形を見ていた。


「太陽は朝」

「朝です」

「横の弧は熱」

「熱です」

「斜めの線は傷」

「傷です」


 カヤは束の三つを、それぞれの印の前に並べ直した。

 苦い葉が太陽の前。丸い葉が横の弧の前。傷の根が斜めの線の前。

 束の置き方が、板の上の絵の順番と揃った。



 ソウは新しい板の方に目を戻した。

 オンの線、カヤの線。

 上が朝、下が夕。

 二本の線の脇にソウはもう一つ印を足した。


 オンの線の脇に太陽の形。

 カヤの線の脇には太陽より細い夕方の弧を一つ。

 朝のオンが苦い葉を煎じる。夕のカヤがその日に必要な葉を煎じる。


 二枚の板が、平らな石の上に並んでいた。

 白板には、何を、いくつ、いつ。

 新しい板には、誰が、いつ。


 ソウは指の腹で二枚の板の間の隙間を一度なぞった。

 二枚を寄せて隙間を一拍分だけ詰めた。

 二枚は別の板のままだったが、見る順番は決まった。左から右へ、白板で「何を、いくつ、いつ」、それから新しい板で「誰が、いつ」。


 配給の板、鍬印の板、それから——白板と新しい板。

 四枚目までは、ここで一枚増えていなかった。並んで一枚と、別の場所に二枚。

 だが、板の上に置かれていることは同じ形をしていた。



 空き地の縁に、リアが立っていた。

 いつから立っていたのかは、ソウには分からなかった。柵の杭の方から戻る途中だった足が、作業場の手前で止まっていた。

 リアの目は新しい板の上の二本の線と、その脇の太陽と夕方の弧の上を、ゆっくりと流れた。


「朝と夕」


 リアの声は低かった。

 確かめではなかった。読み上げる声だった。


「夜は」


 ソウは木片を持つ手を一度握り直した。


「夜は決めていません」

「決めなくていいのか」

「夜に熱が出たら誰が起こしますか」


 リアはしばらく黙っていた。

 黙ったまま、目は新しい板の二本の線の下の余白の方へ流れた。


「夜の見張りは二人いる」

「はい」

「見張りが起こせる」


 ソウは頷いた。

 木片の先で、カヤの線の下にもう一本短い線を引いた。

 その線の脇に、月の形を一つ。

 月の形の下に、小さな矢印を一つ。矢印の先は、見張り台の方を指していた。


「夜は見張りがカヤさんを起こす」

「起こす」


 リアはそれだけ言った。

 それから空き地の中央の方へ歩いて行った。

 歩く背中の角度は、柵の上にいる時と同じ角度だった。



 日が空き地の上を半分まで回った。

 光の角度が変わって、二枚の板の上の絵と線の影が、わずかに伸びた。素焼きの皿——昨日サガが置いていったあの皿——は、白板の脇にまだ置かれていた。皿の中の水は、もう半分になっていた。指の腹を湿らせるのに、何度か使われたあとだった。


 カヤは束を揃え直して、立ち上がった。


「鍋の方に戻る」

「はい」

「明日の朝オンに見せてくる」

「お願いします」


 カヤは焚き火の方へ歩いて行った。

 歩く背中の脇で、苦い葉の青い香りが薄く残っていた。


 ソウは板の前にしゃがんだまま、しばらく動かなかった。

 二枚の板の上の形を、もう一度、左から右へ目で追った。何を、いくつ、いつ。誰が、いつ。夜の月の脇の矢印。

 形は、できた。

 まだ足りないものがある気がした。だが、それが何かは今朝のこの場では出てこなかった。


 ソウは目を上げて焚き火の脇を見た。

 バアの椀が一つ。

 その隣にカナの椀。

 縁の欠けの形は二つとも違っていた。違ったまま、同じ場所に置かれていた。


 カナはいない。

 だが、カナが鍋の脇で揉んでいた葉の数も、煎じる息の数も、板の上に並んでいた。

 板の上に並ぶことは、カナがいなくなったことを埋め合わせるのではなかった。埋め合わせきれないことを、形にしていることだった。


 ソウは木片の先を皿の水の縁に一度浸した。

 濡れた木片の先で新しい板の右の端の余白に、短い線をもう一本だけ引いた。

 今は何の意味も持たないただの線。明日、ここに何かが置かれる場所。



 焚き火の脇で、ガランが咳を一つ落とした。

 短い咳が二度、それから一度。

 ガランは火の方を見たまま、低く呟いた。


「これで覚える」


 誰に聞かせる声でもなかった。

 火の縁の薪が一本、わずかに崩れた。粉が薄く立って、消えた。


 ソウは板の前で、もう動かなかった。

 二枚の板の上の形を、もう一度だけ目で追った。

 明日の朝、オンが見る。明日の夕、カヤが煎じる。夜は見張りが起こす。

 形は——できた。

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