表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

92/94

第92話「知ってた気がする」

 丘の東側、朝の早い時刻。

 三つの盛り土が並んでいる。バアの盛り土、カナの盛り土、トゥの盛り土。順に大きさが小さくなっていく形で並んで、上に秋の薄い光が乗っていた。葉はもう半分以上落ちて、盛り土の縁の地面に色を散らしていた。


 テツが、カナの盛り土の前にしゃがんでいた。

 膝の脇に薬草の束が三つ置かれている。苦い葉と、丸い葉と、傷の根。カナが煎じていた三種だった。テツは束をひとつ取り上げて、盛り土の上に並べた。


 並べる手が、薄く震えていた。

 震えは葉の縁にだけ出て、テツの指の動きを止めなかった。苦い葉を盛り土の頭の側に。丸い葉を中央に。傷の根を足元の側に。順序はカナが鍋の縁に並べていた順序と同じだった。


 ソウは、テツの脇に立っていた。

 声をかけなかった。かける場所を、自分の中にまだ作っていなかった。三つの束の上に、朝の光がゆっくりと回り込んでいくのを、目で追った。



 テツの手が、傷の根の束を直す途中で止まった。

 止まった手の指の先が、根の縁を半呼吸の間、空中で支えていた。それから根は盛り土の足元側に下ろされた。下ろした手は膝の上に戻った。戻った手の甲を、テツのもう一方の掌が一度押さえた。


 テツは顔を上げなかった。

 顔を上げない代わりに、声が低く出た。


「お前——」


 声の先は続かなかった。

 続かない場所に、風が一度抜けた。風はカナの盛り土の縁の枯れ葉を一枚だけ持ち上げて、トゥの盛り土の側まで運んで、地面に下ろした。

 テツの口が、もう一度開いた。


「薬草の話をしたとき、知ってた気がする」


 声は穏やかだった。

 責める高さの声ではなかった。柵の杭を確かめる時のリアの声でもなく、酒の輪で軽く転がす時のテツのいつもの声でもない。確かめではない、ただ低く置いた音だった。


 ソウは、答えを持っていなかった。

 持っていない場所で、口の中の唾を一度飲んだ。飲んだ音はテツの耳には届かなかったかもしれない。届かなくてもよかった。


「治る病と、治らない病があるって」


 テツは続けた。

 言い終えて、目を盛り土の上の三つの束の方に下ろした。並んだ苦い葉と、丸い葉と、傷の根。三つの束の影が、朝の光の中で短く伸びていた。



 ソウは口を開かなかった。

 開けなかった、と言う方が近かった。


 薬草の話をした夜のことが、頭の中で一度だけ形になった。焚き火の縁、カヤとカナが鍋の脇に膝をついていた夜。傷の根は切り傷に、苦い葉は熱に、丸い葉は腹に。効く場所を分けて、ソウは順に説明した。

 あの夜、テツは輪の外で薪を割っていた。割る手を止めて、こちらを一度見た。短い視線だった。


「……」


 ソウの口から出たのは、それだけだった。

 音にならない息だった。テツは、それを聞いて、追い問いを重ねなかった。



 テツの手が、もう一度膝の上で動いた。

 動いた手は、苦い葉の束の縁を指の腹で一度撫でた。撫でて、離れた。葉の縁から薄く青い香りが立った。香りは盛り土の上を一度通って、テツの方へ戻った。


「責めてるんじゃない」


 テツは低く言った。

 声の高さは、さっきと同じだった。


「お前にもどうしようもなかった」


 二つ目の言葉だった。

 言い終えて、テツは盛り土の頭の側にもう一度目を流した。苦い葉の束の上に、朝の光が薄く乗っていた。


「それは、分かる」


 三つ目だった。

 三つ目の言葉の後で、テツの息が一度、深く入って、深く出た。出た息は、白くならなかった。秋の朝の温度はまだ、息を白くするほどには下がっていなかった。


「ただ——お前は、知ってた」


 四つ目だった。

 四つ目の声の先で、テツの目はソウの方を見なかった。盛り土の上の三つの束の方に置かれたままだった。

 置かれた目の中に、確かめは無かった。問いも無かった。事実を一つ、テツが自分の中で並べた音だった。


 ソウの掌が、自分の脇で一度握られた。

 握った拳の中に、あの夜の薬草の話の説明と、カナの寝床の脇の粘土板の二十本の線と、今朝のテツの並べた三つの束が、同時に収まった。収まった場所に、声の形は無かった。


 ソウは、テツの方を見られなかった。

 見られない代わりに、盛り土の頭の側の苦い葉の束の縁に目を落とした。葉の縁の色は、カナが鍋の脇で揉んでいた時の色と、同じだった。



 風が、丘の縁から下りてきた。

 風は三つの盛り土の上を順に撫でて、薬草の匂いを薄く運んだ。匂いは、テツが並べた三つの束の上から立っていた。立った匂いは、トゥの盛り土の側まで流れて、地面の縁で消えた。


 テツは、しばらく動かなかった。

 動かないまま、盛り土の頭の側の苦い葉の束をもう一度、指の腹で角度を直した。直した角度は、最初に置いた角度と、同じだった。直す必要は無かった。直す手が、今、必要だっただけだった。


 ソウは、テツの脇に立ったままだった。

 立ったまま、自分の足の脇の地面の縁を見た。地面の縁には、夜の間に落ちた葉が一枚だけ乗っていた。葉の縁は乾いて、薄く反り返っていた。


 テツが、ゆっくり立ち上がった。

 立ち上がる動きは、いつもの軽さではなかった。膝の上に置いた掌を一度押し付けてから、ようやく腰が上がった。上がった腰の脇で、もう一方の掌が膝の頭を支えていた。

 立ち上がってからも、テツはしばらく盛り土の方を向いていた。


 向いたまま、テツの口から短い息が一つ出た。

 息の後で、テツは何も言わなかった。三つの束の方をもう一度だけ見て、それから、丘の下の方へ目を流した。



 テツの足が、一歩動いた。

 動いた足は、ソウの方へは向かなかった。丘の斜面の下の、空き地の縁の方へ向かった。砂利を踏む音は、いつもの軽い踏み方ではなかった。一歩、一歩、丁寧に踏む踏み方だった。


 ソウは、その背中を見送った。

 見送る目の中で、テツの肩の幅が、いつもより少しだけ狭く見えた。秋の朝の光の中で、肩の縁の影が地面の縁に短く伸びていた。

 テツは、振り返らなかった。


 振り返らないまま、丘の斜面を半分降りた。

 半分降りたところで、一度だけ足が止まった。止まった場所で、テツの顔が斜面の下の方を向いていた。顔の角度は、空き地の中央の焚き火の方向だった。

 止まった後、テツはもう一度歩き出した。


 ソウは、丘の上に残った。

 残った場所で、三つの盛り土の方を向いた。バアの盛り土。カナの盛り土。トゥの盛り土。盛り土の頭の側に並んだ三つの束。苦い葉、丸い葉、傷の根。順序はカナの順序だった。


 ソウは、その並びの前にしゃがんだ。

 しゃがんだ膝の脇に、テツが置いていった束の端が、薄く触れた。触れた葉の縁から、青い香りが一拍立った。



 お前は、知ってた。

 テツの四つ目の声の先が、ソウの頭の中で一度だけ繰り返された。

 あの春の朝、粘土板の脇で、リアは「思いつく」を尋ねた。今朝、テツは「知ってた」を置いた。違う場所だった。


 治る病と、治らない病。

 その区別を、ソウは知っていた。知っていたのに、間に合わなかった。間に合わなかった夜の最後にソウが口にした「俺は——間に合わなかった」を、テツは寝床の足元側で聞いていた。

 今朝、テツは別の場所に立っていた。


 責めない。分かる。ただ——知ってた。

 三段の言葉の形は、責めの形でも問いの形でもなかった。「お前は何者か」の方には、テツの口は伸びなかった。伸ばさなかった、と言う方が近かった。


 ソウは目を上げて、丘の下の方を見た。

 テツの背中はもう、空き地の縁に下りていた。焚き火の薄い煙が、中央から細く上がっている。煙はオンが朝の鍋の脇で立てた匂いと、混じっていた。



 日が斜面を半分まで上がった。

 光の角度が変わって、盛り土の上の影の伸び方が少し縮んだ。ソウは、その影の縁を指の腹で一度なぞった。指は地面の縁の枯れ葉に触れた。葉の縁は乾いていた。


 ソウは立ち上がった。

 三つの盛り土の方をもう一度だけ見た。頭の側の三つの束は、テツが置いた順序のままだった。順序を直す手は、ここではもう要らなかった。


 丘の斜面を、ゆっくり降りた。

 降りる足の運びは、テツの足の運びと似てはいなかった。だが、丁寧に踏む踏み方は、少しだけ近くなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ