第92話「知ってた気がする」
丘の東側、朝の早い時刻。
三つの盛り土が並んでいる。バアの盛り土、カナの盛り土、トゥの盛り土。順に大きさが小さくなっていく形で並んで、上に秋の薄い光が乗っていた。葉はもう半分以上落ちて、盛り土の縁の地面に色を散らしていた。
テツが、カナの盛り土の前にしゃがんでいた。
膝の脇に薬草の束が三つ置かれている。苦い葉と、丸い葉と、傷の根。カナが煎じていた三種だった。テツは束をひとつ取り上げて、盛り土の上に並べた。
並べる手が、薄く震えていた。
震えは葉の縁にだけ出て、テツの指の動きを止めなかった。苦い葉を盛り土の頭の側に。丸い葉を中央に。傷の根を足元の側に。順序はカナが鍋の縁に並べていた順序と同じだった。
ソウは、テツの脇に立っていた。
声をかけなかった。かける場所を、自分の中にまだ作っていなかった。三つの束の上に、朝の光がゆっくりと回り込んでいくのを、目で追った。
*
テツの手が、傷の根の束を直す途中で止まった。
止まった手の指の先が、根の縁を半呼吸の間、空中で支えていた。それから根は盛り土の足元側に下ろされた。下ろした手は膝の上に戻った。戻った手の甲を、テツのもう一方の掌が一度押さえた。
テツは顔を上げなかった。
顔を上げない代わりに、声が低く出た。
「お前——」
声の先は続かなかった。
続かない場所に、風が一度抜けた。風はカナの盛り土の縁の枯れ葉を一枚だけ持ち上げて、トゥの盛り土の側まで運んで、地面に下ろした。
テツの口が、もう一度開いた。
「薬草の話をしたとき、知ってた気がする」
声は穏やかだった。
責める高さの声ではなかった。柵の杭を確かめる時のリアの声でもなく、酒の輪で軽く転がす時のテツのいつもの声でもない。確かめではない、ただ低く置いた音だった。
ソウは、答えを持っていなかった。
持っていない場所で、口の中の唾を一度飲んだ。飲んだ音はテツの耳には届かなかったかもしれない。届かなくてもよかった。
「治る病と、治らない病があるって」
テツは続けた。
言い終えて、目を盛り土の上の三つの束の方に下ろした。並んだ苦い葉と、丸い葉と、傷の根。三つの束の影が、朝の光の中で短く伸びていた。
*
ソウは口を開かなかった。
開けなかった、と言う方が近かった。
薬草の話をした夜のことが、頭の中で一度だけ形になった。焚き火の縁、カヤとカナが鍋の脇に膝をついていた夜。傷の根は切り傷に、苦い葉は熱に、丸い葉は腹に。効く場所を分けて、ソウは順に説明した。
あの夜、テツは輪の外で薪を割っていた。割る手を止めて、こちらを一度見た。短い視線だった。
「……」
ソウの口から出たのは、それだけだった。
音にならない息だった。テツは、それを聞いて、追い問いを重ねなかった。
*
テツの手が、もう一度膝の上で動いた。
動いた手は、苦い葉の束の縁を指の腹で一度撫でた。撫でて、離れた。葉の縁から薄く青い香りが立った。香りは盛り土の上を一度通って、テツの方へ戻った。
「責めてるんじゃない」
テツは低く言った。
声の高さは、さっきと同じだった。
「お前にもどうしようもなかった」
二つ目の言葉だった。
言い終えて、テツは盛り土の頭の側にもう一度目を流した。苦い葉の束の上に、朝の光が薄く乗っていた。
「それは、分かる」
三つ目だった。
三つ目の言葉の後で、テツの息が一度、深く入って、深く出た。出た息は、白くならなかった。秋の朝の温度はまだ、息を白くするほどには下がっていなかった。
「ただ——お前は、知ってた」
四つ目だった。
四つ目の声の先で、テツの目はソウの方を見なかった。盛り土の上の三つの束の方に置かれたままだった。
置かれた目の中に、確かめは無かった。問いも無かった。事実を一つ、テツが自分の中で並べた音だった。
ソウの掌が、自分の脇で一度握られた。
握った拳の中に、あの夜の薬草の話の説明と、カナの寝床の脇の粘土板の二十本の線と、今朝のテツの並べた三つの束が、同時に収まった。収まった場所に、声の形は無かった。
ソウは、テツの方を見られなかった。
見られない代わりに、盛り土の頭の側の苦い葉の束の縁に目を落とした。葉の縁の色は、カナが鍋の脇で揉んでいた時の色と、同じだった。
*
風が、丘の縁から下りてきた。
風は三つの盛り土の上を順に撫でて、薬草の匂いを薄く運んだ。匂いは、テツが並べた三つの束の上から立っていた。立った匂いは、トゥの盛り土の側まで流れて、地面の縁で消えた。
テツは、しばらく動かなかった。
動かないまま、盛り土の頭の側の苦い葉の束をもう一度、指の腹で角度を直した。直した角度は、最初に置いた角度と、同じだった。直す必要は無かった。直す手が、今、必要だっただけだった。
ソウは、テツの脇に立ったままだった。
立ったまま、自分の足の脇の地面の縁を見た。地面の縁には、夜の間に落ちた葉が一枚だけ乗っていた。葉の縁は乾いて、薄く反り返っていた。
テツが、ゆっくり立ち上がった。
立ち上がる動きは、いつもの軽さではなかった。膝の上に置いた掌を一度押し付けてから、ようやく腰が上がった。上がった腰の脇で、もう一方の掌が膝の頭を支えていた。
立ち上がってからも、テツはしばらく盛り土の方を向いていた。
向いたまま、テツの口から短い息が一つ出た。
息の後で、テツは何も言わなかった。三つの束の方をもう一度だけ見て、それから、丘の下の方へ目を流した。
*
テツの足が、一歩動いた。
動いた足は、ソウの方へは向かなかった。丘の斜面の下の、空き地の縁の方へ向かった。砂利を踏む音は、いつもの軽い踏み方ではなかった。一歩、一歩、丁寧に踏む踏み方だった。
ソウは、その背中を見送った。
見送る目の中で、テツの肩の幅が、いつもより少しだけ狭く見えた。秋の朝の光の中で、肩の縁の影が地面の縁に短く伸びていた。
テツは、振り返らなかった。
振り返らないまま、丘の斜面を半分降りた。
半分降りたところで、一度だけ足が止まった。止まった場所で、テツの顔が斜面の下の方を向いていた。顔の角度は、空き地の中央の焚き火の方向だった。
止まった後、テツはもう一度歩き出した。
ソウは、丘の上に残った。
残った場所で、三つの盛り土の方を向いた。バアの盛り土。カナの盛り土。トゥの盛り土。盛り土の頭の側に並んだ三つの束。苦い葉、丸い葉、傷の根。順序はカナの順序だった。
ソウは、その並びの前にしゃがんだ。
しゃがんだ膝の脇に、テツが置いていった束の端が、薄く触れた。触れた葉の縁から、青い香りが一拍立った。
*
お前は、知ってた。
テツの四つ目の声の先が、ソウの頭の中で一度だけ繰り返された。
あの春の朝、粘土板の脇で、リアは「思いつく」を尋ねた。今朝、テツは「知ってた」を置いた。違う場所だった。
治る病と、治らない病。
その区別を、ソウは知っていた。知っていたのに、間に合わなかった。間に合わなかった夜の最後にソウが口にした「俺は——間に合わなかった」を、テツは寝床の足元側で聞いていた。
今朝、テツは別の場所に立っていた。
責めない。分かる。ただ——知ってた。
三段の言葉の形は、責めの形でも問いの形でもなかった。「お前は何者か」の方には、テツの口は伸びなかった。伸ばさなかった、と言う方が近かった。
ソウは目を上げて、丘の下の方を見た。
テツの背中はもう、空き地の縁に下りていた。焚き火の薄い煙が、中央から細く上がっている。煙はオンが朝の鍋の脇で立てた匂いと、混じっていた。
*
日が斜面を半分まで上がった。
光の角度が変わって、盛り土の上の影の伸び方が少し縮んだ。ソウは、その影の縁を指の腹で一度なぞった。指は地面の縁の枯れ葉に触れた。葉の縁は乾いていた。
ソウは立ち上がった。
三つの盛り土の方をもう一度だけ見た。頭の側の三つの束は、テツが置いた順序のままだった。順序を直す手は、ここではもう要らなかった。
丘の斜面を、ゆっくり降りた。
降りる足の運びは、テツの足の運びと似てはいなかった。だが、丁寧に踏む踏み方は、少しだけ近くなっていた。




