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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

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第90話「四人、熱が下がる」

 朝。

 カヤは薬草畑の縁にしゃがんでいた。

 葉を選ぶ指の動きは、いつもの順序ではなかった。いつもの順序はカナの順序だったから、カヤの指は、その順序を一拍ずつ思い出しながら動いていた。

 苦い葉を二枚。


 丸い葉を一枚。

 摘んだ葉を掌の上に揃えて、揃えた縁を一度だけ指の腹で押さえた。押さえる角度がカナほど深くなかったことを、カヤ自身の指が知っていた。それでも、葉は揃った。

 ミラは薬草畑の脇に立っていた。


 立ったまま、カヤの指を見ていた。

 助産の夜から、ミラの目は人の指の動きをよく見るようになっていた。何を見ているとも言わずに、一度だけ頷いた。



 空き地の中央。

 粥の鍋の脇にカヤが膝を落とした。

 鍋はもう温まっていた。火の高さは、低い。低い火で薬草を入れるのは丸い葉の方だと、カナが昨日まで言っていた。

 カヤは火の脇に苦い葉を先に入れた。


 湯が一度沸いた。

 沸いた湯の中で、苦い葉の縁が薄く青を放した。色が湯に移る速さを、カヤの目は鍋の縁から測っていた。測りながら、二度目の湯を待った。

 二度目の湯が沸いてから、丸い葉を入れた。


 湯気が立った。立った湯気の中の匂いは、カナが昨日まで毎朝立てていた匂いとよく似ていて、同じではなかった。違いの理由を、カヤは自分の指の角度に置いた。


 ミラが鍋の脇に椀を四つ並べた。

 キイの椀。ホシの椀。メイの椀。ムロの椀。

 カヤの杓が薬湯を順に注いだ。注ぐ角度はカナの角度ではなかった。それでも、湯はこぼれなかった。



 タル家の住居。

 革幕をめくった時、キイは寝床の上で目を開けていた。目は薬湯の椀よりも、その椀を運んできたカヤの顔を先に見た。見て、薄く頷いた。頷く角度は昨日より深かった。

 オンが寝床の脇から膝を立てて、椀を受け取った。


 受け取った手は震えなかった。

 タルは寝床の足元側で、息を一度だけ深く吐いた。

 キイは椀を両手で受け取って、三口で飲み干した。返した手は、昨日の朝より重みを持っていた。

 タルが、初めて口を開いた。


「熱、下がった」


 タルは普段、長く話す男ではない。今朝の声は、いつもより半拍長かった。

 オンは何も言わなかった。代わりに、自分の額をキイの額の脇に一度だけつけて、離した。離した目の縁を、オンは自分の袖で拭いた。

 カヤは椀を受け取って立ち上がった。次の住居の方角に、足はもう向いていた。



 ハマ家の住居。

 革幕をめくる前に、中から声が聞こえた。

 ホシの声だった。形のある言葉ではなく、母を呼ぶ短い音。「かあ」と一音。一音だけで、その先は続かなかった。続かなかったが、昨日まで八歳の喉の中で形にならなかった音だった。

 メイの声が答えた。


「うん」


 短い返事だった。

 革幕の中で、メイの声は震えていなかった。震える場所が、メイの中で今朝、置き直されていた。トゥの体は昨日、丘の東側に下ろされたまま戻ってこない。戻ってこないことの中で、ホシの声が一音上がってきた。

 カヤは革幕をめくった。


 メイは寝床の上で半身を起こしていた。

 額の上の湿った布はもう落ちていて、ハマの膝の上にあった。布の縁を撫でるハマの手は、まだ震えていた。

 カヤはホシの方を先に見た。


 ホシの目は薬湯の椀を見ていた。

 昨日まで、その目は革幕の縁か母の手の縁に止まっていた。今朝、椀の方を見ていた。


 カヤは椀を二つ並べた。

 ホシの椀。メイの椀。

 ホシが先に受け取った。両手で受け取って、唇の縁に当てた。一口飲んで、二口目で目の縁が小さく動いた。動いた目は、メイの方を一度だけ確かめた。

 メイは頷いた。


 頷いた角度は、まだ浅かった。

 浅い頷きの脇で、メイの掌がホシの背中に置かれた。置かれた掌の重さで、ホシの背中は二口目を飲み込んだ。

 メイは自分の椀を、両手で受け取って、低く飲んだ。


 飲み終わって、椀を膝の上に下ろした。

 下ろした手の指が、椀の縁を一度撫でた。撫でる指の動きは、昨日まで握り潰していた小さな木の輪を、もう握っていなかった。木の輪は、丘の東側の盛り土の上に置いてある。

 メイは口を薄く開いた。


「カヤさん」


 声は低かった。

 カヤは膝を浅く曲げた形で、メイの目の高さに自分の目を合わせた。合わせて、何も言わずに、メイの言葉を待った。

 メイの口は半呼吸動いて、止まった。


 止まった口の縁から、息が一度漏れた。

 漏れた息の中に「ありがとう」の三音が混じっていたかどうか、カヤには分からなかった。分からないまま、カヤは頷いた。頷く角度はバアの角度に少し近かった。

 ハマは布を膝の上で握り直した。白くなった拳の上に、トゥの体の重さが今朝もまだ乗っていた。乗っていたが、その隣で、ホシとメイの息が二つ、戻ってきていた。

 ハマは口を開かないまま、深く息を吐いた。



 昼前。

 ムロの住居は、丘の北縁に近い古い棟だった。

 ガランの古小屋の脇で、ヨルとイサがムロの寝床の縁に膝をついていた。ムロは寝床の上で、目を半分開けていた。半分開けた目は、革幕の隙間の光の方をぼんやり見ていた。

 ムロは集落で一番、年の数を持つ男だった。バアより五つほど若いという話を、去年の冬にカナが鍋の脇で一度していた。

 カヤは寝床の脇に椀を置いた。ヨルが椀を持ち上げてムロの口元に運び、ムロは三口に分けて飲んだ。飲み終わった口元から漏れたのは、咳ではなく、息だった。


 昨夜まで、ムロの寝床の脇で立ち会いの輪が組まれかけていた。今朝、輪は組まれなかった。組まれない理由を誰も口にしなかった。理由は寝床の縁で、ムロの額の温度が下がっていることの中にあった。

 イサがムロの額に掌を当てて、ゆっくり下げた。下げた指の縁が、頬の脇に止まった。

 ムロは目を閉じた。閉じた目の縁から、薄い水が一筋流れて、枕の縁ですぐに乾いた。



 昼。

 ソウは空き地の中央に立っていた。

 焚き火の脇でも、鍋の脇でもない一点だった。両足の間に、自分の影が短く落ちていた。

 四つの椀が、鍋の脇に空で並んでいた。


 キイの椀。ホシの椀。メイの椀。ムロの椀。

 四つともカヤが洗って伏せた向きで並んでいた。並んだ椀の縁に、昼前の光が薄く乗っていた。

 ソウは、その四つを見ていた。


 四人。四人とも、熱が下がった。

 下がった四人の脇に、カナの椀は無かった。カナの椀は焚き火の脇にバアの椀と並んで置かれていた。空き地の中央には来なかった。来る場所を、もう持っていなかった。

 ソウは口を薄く開いて、閉じた。

 言葉にする相手の場所を、今、自分の中に持っていなかった。代わりに、頭の中で四音だけが薄く回った。

 カナは自分を救えなかった。

 だが、四人を救った。


 声にはしないまま、ソウは四つの椀の縁から目を上げた。上げた先の遠くに、丘の東側の三つの盛り土が見えていた。

 日が、三つの盛り土の上に当たっていた。



 昼過ぎ。

 作業場の脇の白板の前に、カヤが膝を落としていた。

 粘土板は三枚並んでいた。配給板。鍬印板。そして白板。白板の上には、カナの寝床の脇で刻まれた葉の形が二つと、根の形が一つ、火の印と下向きの矢印が並んでいた。

 カヤの指が、木片を持っていた。


 持ち方は、昨日のカナの教え通りだった。

 カヤは白板の空いた縁に、新しい葉の形を一つ刻んだ。苦い葉の形だった。刻んだ脇に、数の線を二本引いた。二枚。さらに脇に、丸い葉の形を一つ。下に数の線を一本。

 形と線の間に、短い横線を一本引いた。


 苦い葉二枚、丸い葉一枚、合わせて煎じる。

 今朝、カヤが鍋の脇でした手の動きが、白板の上に置き直された。

 ソウは白板の脇に膝を落とした。


 落として、カヤの指の動きを見ていた。手を出す場所を、カヤは自分の指の動きの中に既に作っていた。

 ミラが脇に立って、白板の上の線を目で追った。縦と横の交わりを、ミラの目はもう知っていた。何も言わずに、頷いた。

 カヤは指を止めた。


 止めて、低く言った。


「カナの動きじゃ、ない」


 声は震えていなかった。

 ソウは、その声に答えなかった。答える代わりに、白板の上の線を一度、上から下に目で追った。

 目で追って、低く返した。


「動いた」


 二音だった。

 カヤは頷かなかった。頷く代わりに、もう一度木片を持ち直して、根の形の脇に短い縦線を一本引いた。引いた線の上で、木片は止まった。

 止まったまま、しばらく動かなかった。



 夕。

 焚き火の脇にソウは戻った。

 戻った場所に、ガランが先に座っていた。座って、空き地の中央の方を見ていた。

 ガランの喉の奥で、低い音が一つ上がった。咳だった。

 三日ぶりだった。葬列の前の夜から、ガランの咳は出ていなかった。出ていなかったことに、ソウは気づいていて、口にしなかった。

 咳は二度。三度ではなかった。ガランは口元に掌を当てて下ろし、膝の上に乗せて、低く言った。


「埃だ」


 声はいつもの声だった。

 ソウは答えなかった。答える必要を、自分の中に持っていなかった。代わりに、焚き火の脇の二つの椀に目を落とした。


 バアの椀。

 カナの椀。

 間に掌一つ分の隙間があった。隙間は昨夜と同じ広さだった。

 ガランは、二つの椀の方を見ていた。


 見ていたが、何も言わなかった。

 言わない代わりに、もう一度低く咳をした。今度は一度だけだった。咳の後で、ガランの肩がわずかに上がって、また下がった。

 ソウは焚き火の縁に膝を落とした。


 落とした膝の脇で、薪が一本爆ぜた。爆ぜた火の粉が、二つの椀の縁を一度だけ撫でて消えた。

 風が丘の縁から下りてきて、薬草の匂いを運んでいた。今朝、カヤが鍋の脇で立てた匂いだった。匂いは焚き火の脇を抜けて、空き地の縁の住居の革幕の方へ流れた。

 ハマ家の革幕の隙間から、メイの息が一度、深く下りた。震えてはいなかった。

 タル家の革幕の縁では、オンが何かを低く話す声が外まで薄く漏れていた。

 ムロの住居の方角からは、音は聞こえなかった。聞こえないことの中で、ムロの息は寝床の縁で続いていた。

 日は丘の東側の三つの盛り土の上から、ゆっくりと消えていった。


 ソウは二つの椀の間の隙間を見ていた。

 見ていて、隙間に何かを置こうとしなかった。

 置く理由は、まだ自分の中で形を持っていなかった。


 二つの椀は、焚き火の脇に並んでいた。

 二つの不在の縁を、薄い光がもう一度撫でて、消えた。

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