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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

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第89話「二つの盛り土」

 ソウは、目を開けていた。


 夜が明けかけている。革幕の隙間に薄い灰色が差して、寝床の毛皮の縁を白く撫でていた。何時に目を閉じたのか、覚えがない。閉じた覚えがないということは、寝ていない。寝ていないことに気づいたのは、外で誰かの咳の音が一度上がったときだった。

 咳はテツのものだった。


 ガランの咳ではなく、テツの咳。

 テツは住居の外に立っている。立っている場所は、空き地の中央ではない。カナが昨夜まで寝かされていた住居の革幕の脇だった。

 ソウは、寝床から身を起こした。


 動かした腕に、力が入らなかった。

 力の代わりに、昨夜の記憶が掌の縁から指の先まで一度に流れた。リアの手の上に重ねた自分の掌。掌の下で薄く二度動いて止まったカナの指。指の温度が皮膚の同じ温度に近づいていく速さ。

 ハマ家の方角から、細い声が漏れていた。


 メイの声だった。

 声というより、息に近かった。一度上がって、一度落ちて、また上がる。形にならない息が革幕の隙間から外に出ては、丘の縁の方へ流れていった。



 昼前。

 丘の東側に男たちが立っていた。

 ソウ、テツ、リア、ガラン、ベン、ハマ。六人。バアの盛り土の脇だった。盛り土の上には夏の終わりの草が薄く伸び、根元の土が三度の雨を受けて落ち着いた色をしていた。

 その盛り土の、左と右。


 二つの場所が、まだ平らな土のままで残っている。

 ガランが、左の場所に手で線を引いた。

 線は、バアの盛り土と同じ向きで同じ長さだった。


「ここにカナ」


 ガランの声は低かった。

 頷いたのはリアだった。声は出さなかった。

 ガランの手はもう一つ右の方に動いた。


「ここにトゥ」


 線は、左の半分の長さで引かれた。

 ハマが引かれた線の端を一度だけ見た。見て、目を逸らした。逸らした先で自分の掌を一度握り、握ったまま地面の方へ下ろした。

 誰も話さなかった。


 テツが最初に石の鍬を持ち上げた。

 持ち上げた手が、わずかに震えていた。震えをテツは止めようとしなかった。止めようとして止まらないと、もっと震えるとテツの肩が知っていた。

 鍬の刃が土の表面に落ちた。


 乾いた音だった。

 夏の終わりの土は表面が乾いていた。乾いた下に、秋の入り口の冷たさが薄く混じっていた。掘り進める刃の先でその冷たさが、二寸ほどの下から湧いてきた。

 ソウは鍬をテツの隣に下ろした。


 リアも、ベンも、ガランも下ろした。

 ハマは右の場所に一人で膝を落として、両手で土を掻いた。鍬を握る手が、まだ作れなかった。子の墓を自分の手で掘る形を、ハマの掌は今朝、初めて知っていた。

 刃と掌の音が丘の東側に並んで響いた。


 誰も話さなかった。

 話す喉が、男たちの誰にもなかった。あったとしても出てくる声が土の音より重くなる気がした。重くなる声を、誰も今、地面の上に置きたくなかった。

 二つの穴が少しずつ深くなっていった。


 左の穴が右の穴より深くなっていく。

 深さの違いを誰も口にしなかった。違いがあるということは、見れば分かる。見て分かることを言葉にする意味を、男たちの誰も今は持っていなかった。



 昼。

 空き地の中央にカナの体が運び出された。

 毛皮の上に寝かされていた。頭の側に、薬草の束がひとつ置かれていた。カヤが昨夜の住居の中で、自分の指で揃え直した束だった。

 運ぶ者は男七人だった。


 ソウ、テツ、ガラン、ベン、タル、ノモ、ゴウザ。

 毛皮の四隅と縁を七つの手で支えた。手の数は揃わなかったが、支える縁の長さは足りていた。テツが頭の側を持ち、ソウが足元の側を持った。バアのときには、ソウが頭の側を持った。今日はソウは足元の側に立った。

 頭の側を持つ者を、ソウは自分から譲った。


 譲った場所に立ったのが、テツだった。

 テツは何も言わずに、ソウが置いた場所に立った。立った両手の指が毛皮の縁を強く握り直した。握り直した指の関節が白くなった。白くなった指の上から、カナの髪の毛先が薄く垂れていた。

 ハマ家の住居からはトゥが運ばれた。


 運んだのはハマだった。

 自分の両手で抱きかかえた。三歳の体は軽かった。軽すぎて、ハマの腕の中で抱える形が定まらなかった。何度か持ち替えて、最後は胸の前で深く抱える形に落ち着いた。

 メイはハマの脇を歩いた。


 歩く足が時々止まった。

 止まる足をハマは待たなかった。待たないことがメイにとって今、必要だった。歩き続ける夫の背中があれば、自分の足は次の一歩を出せる。メイの掌の中で、トゥが昨日まで握っていた小さな木の輪が、握り潰されたまま運ばれていた。

 ホシはメイの脇を歩いた。


 八歳の手は母の指の縁を一本だけ握っていた。

 離さなかった。

 昨日の朝、革幕の隙間から漏れた小さな息は、今朝、声の形を見つけていなかった。見つけないまま、ホシは母の指を握る形で葬列の中に自分の場所を作っていた。


 丘の東側まで足の遅い列だった。

 誰も先を急がなかった。先に着いて待つ理由が、誰の中にもなかった。

 穴の脇に、二つの体が下ろされた。


 カナをテツとソウが下ろした。

 下ろした手の角度を、テツは何度も直した。直した角度が、何度直してもテツの目には正しく見えなかった。最後にリアが脇から手を伸ばして、毛皮の縁を一度だけ整えた。整えた角度で、テツの手が止まった。

 トゥをハマが下ろした。


 一人で下ろした。

 他の誰の手もハマは入れさせなかった。入れさせない形が、ハマの掌の中で固く決まっていた。下ろした体の脇にメイが膝を落とした。膝の上で握り潰された木の輪がトゥの胸の上に置かれた。

 カヤが薬草畑から摘んできた葉を二枚持っていた。


 苦い葉を一枚。

 丸い葉を一枚。

 苦い葉をカナの口元の脇に。丸い葉をトゥの胸の脇に置いた。葉の青い面を両方とも上に向けた。バアのときにカナが置いた向きだった。

 置き終わって、カヤは目を伏せた。



 土が上からかぶせられた。

 最初の一掴みを、ガランが入れた。

 二人分の穴の上に別々に。左に一掴み、右に一掴み。掴んだ手の力は、左と右で同じだった。

 ガランは口を開かなかった。


 ソウは、ガランの隣で待っていた。

 待っていたが、ガランは長く語らなかった。語る形を、ガランは今日、自分の中に作っていなかった。代わりに、低い声がひとつだけ落ちた。


「我々の中の二人だ」


 声は葬列の輪の縁まで届いた。

 届いて、その先に行かなかった。届いた場所で、三十九人の耳がその四音を一度ずつ受け取った。

 ソウは頷くこともしなかった。


 頷く動作が今、自分の中で形にならないと知っていた。

 代わりに自分の掌で土を掴んだ。掴んだ土をカナの方の穴に入れた。次の一掴みをトゥの方に入れた。順序を、ソウは自分で決めた。決めたことを誰も訂正しなかった。

 テツが次に入れた。


 リアが次に入れた。

 ベンが、カヤが、ハマが、メイが、ホシが入れた。

 ホシの手は小さかった。掬う土の量は、大人の三分の一だった。それでもホシは二度に分けて、左と右の両方に入れた。入れ終わって自分の掌をズボンの脇で一度払った。払った掌はまだ土の匂いを残していた。

 誰も、何も言わなかった。


 土は少しずつ盛り上がっていった。

 左の盛り土がバアの盛り土と同じ高さになった。

 右の盛り土は左の半分の高さで止まった。


 三つの盛り土が、丘の東側に並んだ。

 真ん中にバア。左にカナ。右にトゥ。

 日が三つの盛り土の上に当たっていた。秋の入り口の日だった。冬の手前の光だった。



 夕。

 空き地の中央の焚き火の脇に、ソウは戻った。

 戻った時、誰かが既に来ていた。誰と顔を確かめる前に、焚き火の脇の地面の上に、新しいものが置かれていた。

 バアの椀の隣だった。


 カナの椀は、置かれた。

 誰も触れなかった。


 二つの椀が、焚き火の脇に並んでいた。

 一つはバアの。古い縁が薄く欠けて、木目が湯気の跡で薄黒く残っている椀。

 もう一つはカナの。縁はまだ滑らかで、薬湯の跡が内側の底に丸く残っている椀。

 二つの間に、掌一つ分の隙間があった。


 ソウはその隙間を見た。

 見ていた。

 隙間に何かを置こうとしなかった。置く理由を今、自分の中に持っていなかった。

 焚き火が爆ぜた。


 爆ぜた音が二つの椀の縁を一度ずつ揺らした。

 揺らしたのではない。光が揺れた。光の揺れが椀の縁を撫でて消えた。

 ソウは焚き火の脇に膝を落とした。



 夜。

 ハマ家の住居の中から、メイの声が時々上がっていた。

 声というより、息の崩れた音だった。崩れる度にハマの低い声が脇から重なった。重なる声はメイを止める形ではなかった。隣で同じ方向を向いて、ただ夜の深い場所まで降りていく形だった。

 ホシは住居の入り口の脇に立っていた。


 兄として何をすればいいかを、ホシは知らなかった。

 知らないまま、入り口の革幕の縁を片手で握っていた。握ったまま空き地の焚き火の光を見ていた。

 光は、二つの椀の縁に薄く落ちていた。


 ソウは焚き火の脇に座っていた。

 バアのときと違う種類の重さが、自分の掌の中にあるのが分かった。バアのときは五十年の積み重ねが終わる音がした。今夜は十五年の途中で止まった音がした。止まった音は終わった音より長く尾を引いた。

 風が丘の縁から下りてきた。


 風は薬草の匂いを運んでいた。

 カナが煎じていた、苦い葉と丸い葉の匂いだった。匂いは焚き火の脇を抜けて、ハマ家の革幕の方へ流れた。流れた先で、メイの息が一度、深く下がった。

 焚き火がもう一度爆ぜた。


 二つの椀の縁に光が薄く乗った。

 日は丘の東側の三つの盛り土の上から、ゆっくりと消えていった。

 夜が丘の縁から深く上がってきていた。

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