表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/39

第9話「川沿いの土」

 播種から一週間が過ぎた。


 種は、まだ芽を出さない。

 それは予想の範囲内だった。前世の知識では、発芽まで七日から十日ほどかかる。


 だが、問題は別のところにあった。


 畑は川から少し離れた場所にある。

 毎日、水を運ばなければならない。

 バアが運んでくれた最初の一回分を除けば、ソウとテツの二人で水汲みをしている。


 片道五分ほどの距離だが、皮袋一つ分の水では、二本の溝を一度潤すのがやっとだ。一日に三往復すると、ソウの体は夕方には動かなくなる。


「——人手が、要る」


 ソウはガランに、もう一度話しかけた。



「水を運びたいだけです。一人か、二人だけで良いんです」


「駄目だ」


 ガランの返事は早かった。


「冬越しで、族の皆が疲れとる。狩りの人手は削れん。お前一人でやると、自分で言った」


「……はい」


 ソウは退き下がった。


 ガランが言ったことは正しかった。

 ソウは「一人でやる」と宣言した。その宣言を自分で破れば、次に何か頼む時、ガランは耳を貸さなくなる。


 ——考え方を変えよう。


 ソウは集落へ戻る途中、支流の流れを見ながら歩いた。

 川の水がゆるやかに流れている。水は畑の方へ運ぶのではなく、畑の方が水の近くへ行けばいい。


 そう考えた瞬間、答えは決まっていた。


 ——川沿いに、第二の畑を作る。


 最初の畑は、すでに種を蒔いてしまっている。動かせない。

 だが、種はまだ残っている。第二の畑を川のすぐ近くに作れば、水汲みは要らなくなる。



「——で、どこに作るんだ」


 テツはソウの説明を聞くと、すぐに立ち上がった。


「川沿いの、東に少し下った場所。平らな地面で、支流が曲がっているところだ」


「あそこは、水が出ると浸かるぞ」


「わかっている。だから、少し高い部分に作る。水が溢れても、浸からない程度の高さの場所」


 テツは頷いた。


「行ってみよう」


 その場所に着くと、テツはすぐに地面に石鍬を打ち込んだ。


 石の刃が——跳ね返った。


「……硬い」


 テツは眉をひそめた。

 もう一度打ち込んだ。

 半分だけ、刃が入った。だが、土を起こそうとすると、鍬の柄にひどい抵抗があった。


 土の色を見ると、青黒い。

 最初の畑の土とは、明らかに違った。


 ソウはしゃがんで土を握った。


「……粘土質だ」


 粘土の割合が多い土は、雨が降れば泥になり、乾けば岩のように固くなる。川沿いの低地にはよくある土質だった。

 前世の知識では、「粘土質の土は、そのままでは農業に向かない」という常識だった。


 テツが不安そうにソウを見た。


「これ、駄目なのか」


「駄目じゃない。でも、このままでは種が根を張れない」


「じゃあ、どうする」


 ソウはしばらく考えた。


 前世の堆肥の知識を、この世界の素材で翻訳する。

 枯れ草、落ち葉、獣の糞、魚の残骸。発酵して、土の構造を柔らかくする。

 時間はかかる。だが、原理的にはこの世界でも同じことができるはずだった。


「——枯れ草と、落ち葉と、余った魚の骨や頭を、土に混ぜる」


「……魚?」


「そうだ。腐りかけのものほど、良い」


 テツの眉が、さらにひそんだ。



 翌日から、ソウとテツは枯れ草と落ち葉を集め始めた。


 支流の岸沿いには、冬の間に枯れた草が厚く積もっている。それをかき集め、土に混ぜる。落ち葉も冬の林の床から、かごに詰めて運んだ。


 問題は、魚の残骸だった。


 リアたちが川で捕った魚を、解体したあとの骨や頭を、普段はそのまま川に捨てる。ソウはそれを自分の畑に使いたいと頼んだ。


 リアは魚の内臓を切り取りながら、呆れた顔でソウを見た。


「……お前、魚の頭、何に使うの」


「土に、混ぜる」


「臭くなる」


「わかっている。でも、それが土を柔らかくする」


 リアはしばらく無言だった。

 それから、解体した魚の頭と骨をまとめて皮の袋に入れて、ソウに差し出した。


「好きにすれば」


「……ありがとう」


「礼は要らない。どうせ捨てるものだった」


 ソウはその皮袋を受け取った。


 リアは付け加えるように言った。


「ただ、臭かったら文句は言う」



 翌日から、ソウとテツは第二の畑に、枯れ草・落ち葉・魚の残骸を混ぜ込む作業を始めた。


 土を一度、深めに掘り返す。

 そこに、集めた材料を放り込む。

 また土を戻す。上から踏みつける。


 この繰り返しだった。


 問題は匂いだった。

 魚の残骸と、濡れた枯れ葉の発酵の匂いが、畑全体を包んだ。

 春先の風は、その匂いを集落まで運んだ。


 ムロが顔をしかめて通りかかった。


 ムロは族の最年長の男だ。バアと同じくらい年老いていて、杖をついて歩く。だが目だけは鋭く、若い頃は狩人の中でも知られた存在だった。今は、族の「長老」として、ガランの相談役のような立ち位置にいる。


「ソウ」


「はい」


「……何をしておる」


「畑の土を柔らかくするために、枯れ草と魚を混ぜ込んでいます」


 ムロは目を細めた。


「不浄なことをしておる」


「……え?」


「死んだものを、土の中に埋める。土は獣の骨を葬る場所じゃ。生き物の残骸を、食べ物と一緒にするものではない」


 ソウは少し返答に詰まった。


 前世の自分であれば、「腐植の科学」として一言で説明できる話だった。だがこの世界で、「土に死んだものを混ぜれば、土が肥える」という概念は、「死」と「食」を結びつける、違和感のあるものとして映る。


「……土は、怒りませんか」


 ソウはあえてこの世界の言葉で返した。


「怒るかどうかは、わしにはわからん」


 ムロはそう言って、杖をつき直した。


「じゃが、お前のやっとることには、どこか——違和感がある」


 そして、ムロはソウの畑を最後に一度見て、去っていった。


 テツはムロの姿が見えなくなってから、小声で言った。


「……なんか、怖いな」


「怖い?」


「うん。ムロ爺さんは普通、そんなに他人のことに口を出さないんだ。今日、わざわざ見に来たってことは——」


 テツは言葉を切った。


「これから、もっと色んなことを言うかもしれない、ってことか」


 ソウは静かに頷いた。



 数日後。


 ソウは掘り返した第二の畑の土を、手に握ってみた。


 最初の時より、ほんの少しだけ指の間からこぼれやすくなっていた。

 握れば団子になるが、少し崩れる。


 まだ、完璧ではない。

 だが、明らかに土の構造が変わり始めていた。


 ソウはもう一度、深く掘り返した。

 混ざりきっていない枯れ草を、下の方まで押し込んだ。


「テツ」


「なんだ」


「……うまくいきそうだ」


 テツは石鍬を肩に担いで、ふうと息を吐いた。


「……本当か?」


「本当だ」


「なら、いい」


 テツは空を見上げた。

 暖かくなり始めた春の陽が、顔にあたっていた。


「お前のやってること、理屈は俺にはよくわからん。でも、なんか動いてるものがあるのは、わかる」


「……そうか」


「だから、俺もついていくよ」


 テツは鍬を下ろして、地面を平らにならし始めた。


 ソウはその背中を見て、胸の中で静かに呟いた。


 ——これで、片方が失敗しても、もう片方が残る。


 もし最初の畑が失敗しても、第二の畑がある。

 もし第二の畑が失敗しても、最初の畑に賭ける。


 二つの畑を持つのは、危険分散の発想だった。

 前世の論文で何度も書いたリスク・マネジメントの言葉が、今、土の上で現実になっていた。



 その夜。

 焚き火の前で、ゴウザが誰かと話していた。


「……あいつ、まだ続けてるのか」

「続けてるらしい」

「もう少しすれば、音を上げる」


 ソウはその会話を、聞こえる距離で聞いた。

 気づかれていないふりをした。


 ——まだ、音は上げない。


 最初の畑から芽が出るかどうか、もうそろそろわかる頃だった。

 ソウの頭の中には、二週間後、三週間後までの予定がびっしりと詰まっていた。


 雨が降るのか、降らないのか。

 鳥が来るのか、来ないのか。

 テツの石鍬が、いつ折れそうになるか。


 一つ一つに、対応が必要だった。


 ——やることは、まだ、山ほどある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ