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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

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第85話「四人、来た」

「南の斜面に、四つ」


 ダイの声が、見張り台の上から降りてきた。

 朝の薬湯の湯気は、鍋の縁の内側でまだ薄く立っている。秋の入り口の空は丘の縁の上で淡く、雲は一筋もない。


 空き地で粘土板の前に立っていたソウは、白板の上の二本の線の片方を木片の先で指したまま顔を上げた。

 白板に重ねた印は、明日の方の線に置いたものだ。今朝の白板はそのまま残してある。


「四つだ」


 ダイがもう一度言った。声色には、驚きの粒がない。

 南の斜面の下、林の縁のもう一段下の方で、ゆうべ赤い点を一つ揺らしていた焚き火の主がいま斜面を登ってきていた。



 ベンが、住居の革幕の脇からこちらへ歩いてくる。

 昨日の夕方からベンの肩の角度は少し変わっていた。今朝はその角度のまま空き地の中央の方を通り越し、柵の門の方へ向かう足になっている。

 ガランが薪の脇から立ち上がる。立ち上がる時、右手を膝の脇に一度だけ当てた。半秒で離れる。喉の奥で低い音が一度鳴って、ガランは短く置いた。


「埃だ」


 誰も問い返さない。今朝も、同じだった。


「お前が、先に降りろ」


 ガランは、ベンの背中に向けてそれだけ言った。

 ベンが一度だけ頷く。それから、ガランの隣に立っていたソウの方を見た。


「いいか」


 ベンは確かめた。声は低い。


「いい」


 ソウは答える。


「お前が先に出迎えろ。話はその後でいい」


 ベンの足が、門の閂の方へ動いた。

 あの夜に四人で斜面を登ってきたベン自身の歩みと、いまベンが斜面を降りていく歩みは、登りと降りの向きが逆だ。だが背中の肩の角度は、あの時の誰かを下から見上げる角度と、よく似ていた。



 ソウは見張り台に登った。

 ダイの隣に並び、柵の隙間から斜面の下を見る。

 四人。先頭は背の高くない男。肩の前の方が、前に出ている。元狩人の歩き方だ。男の手にベンの時のような白い布の竿はなく、代わりに掌の中で何か小さなものを握っている。木片のようにも見えた。

 男の後ろに女が一人。その脇に背丈の低い少年が一人ついている。少年の背丈は、キイより少し低いくらい。

 女の前の方では母らしき女が片手を後ろに回し、もう一人を抱えるように歩かせていた。

 もう一人は、小さい。

 ベンの時のコノよりも小さく、タルの時のキイよりも小さい。

 幼児だ。


「下の子は三つくらいと聞いた」


 ソウは、確かめるように呟いた。


「三つだな」


 ダイも答える。

 ダイの目は、幼児の足の運びの方を見ていた。斜面の小さな段差ごとに、母の手が後ろから幼児の背中に添えられる。添えられた手の動きが、迷わない。母らしき女の手だった。


 ベンが、斜面の中ほどまで降りていく。

 ベンと先頭の男の足が、同時に止まる。距離は十歩ほど。二人ともしばらく動かない。


「ハマか」


 ベンの声が、見張り台の上のソウの耳までかすかに届いた。低い。


「ベンか」


 返ってきた声も、同じ低さだった。

 二人はもう一度動かずに立ち、それからほぼ同時に半歩ずつ近づいた。手は出さない。腕も伸ばさない。ただ、十歩の距離を六歩にした。

 六歩のところで、ベンが先頭の男の後ろの方へ視線を流す。母らしき女と、二人の子の方へ。

 母らしき女が、初めて口を開いた。


「四人、来た」


 声は乾いている。


「四人で——来られた」


 ベンが、一度だけ深く頷いた。



 四人とベンが斜面を登り終え、柵の門の前に着いた。

 門の脇に、リアが立っている。弓は背に回したまま、手はどこにも向けていない。リアは四人を順に見た。先頭の男の目。母らしき女の肩。年長の少年の足の運び。それから、母の脇の幼児の方に視線が落ちる。

 落ちて、しばらく動かなかった。

 リアの目は幼児の足元から、掌の中に握られた小さな物の方へ流れ、また足元に戻る。

 幼児の足は、土の上を小さく踏んでいる。踏み方は不確かだ。一歩ごとに、母の手が背中の脇に添えられている。


 リアがソウの方を一度振り向いた。

 ソウは、梯子を半分降りた位置で頷く。

 リアも頷いた。それから、門の閂を片手で外す。

 門が、内側に開いた。


 先頭の男が一歩進み、空き地の縁で足を止めた。


「ハマだ」


 男は名乗った。短い。


「妻のメイ。長子のホシ。末子のトゥ」


 ハマは指で順に示す。

 メイが頷いた。ホシは一度視線を空き地の中央の焚き火の方へ流し、それからすぐに父の脇に戻す。

 トゥは母の脇から動かなかった。



 ガランが空き地の中央でゆっくりと立ち上がっていた。

 立ち上がる時にもう一度ガランは右手を膝の脇に当てる。今度はソウもベンもダイもその動きを見なかったふりをした。喉の奥で低い音がもう一度鳴り、半秒で止まる。


「四人、入れる」


 ガランは短く言った。それからベンの方を一度見る。


「お前が案内しろ」


 ベンが頷く。

 ハマがガランの方に向き直り、口を結んだまま深く頷いた。礼の言葉は出ない。出さないのが、この四人の歩いてきた距離の重さだった。


 ソウは、作業場の脇の白板の方へ歩いた。

 白板の上の二本の線の明日と置いた方の脇に、木片の先で短い印をもう一つ重ねる。

 明日が今朝になった。線は変わらずそこに残っている。



 空き地では、女たちが集まり始めていた。

 カヤが住居の革幕の脇から、二つの革袋を出してくる。昨夜の段階で、口を内側に向けて並べておいた革袋だ。ミラが籠の中に革袋を一つずつ収め直し、メイの腕の方へ差し出した。メイは両手で受け取って頷く。

 カナは鍋の脇に戻っていた。粥の鍋から椀へいつもより一杓深く粥を注ぐ。注ぐ時の手の運びはいつもと同じ速さだった。だが立ち上がる時に膝の片方がわずかに重い。カナはそれを、椀を運ぶ時の腕の重さに乗せて通り過ぎた。


 カナの椀がトゥの前まで運ばれた。

 カナはしゃがみ、椀をトゥの両手の高さまで下ろす。下ろす時の肘の角度が、バアが昔こうやって粥を子供に渡していた角度と、よく似ていた。

 トゥはしばらく椀を見ている。

 それから母の方を一度見上げ、メイが小さく頷くと、椀の縁に両手を添えた。添える指は小さい。掌は粥の湯気の縁まで届いていなかった。


「あったかい」


 トゥの声が出た。

 短い。短かったが、空き地の脇のカヤとミラとカナの三人の耳に同じ大きさで届いた。


 カナの口が薄く開く。

 開いただけだった。「みんな、元気で」は、出てこない。代わりにカナは、椀の縁の脇から指を一度だけ離し、もう一度添え直した。添え直す時の指の動きが、半拍だけ余分な時間を必要としていた。

 カナ自身はそれに気づいた顔ではない。


 ホシが弟の隣にしゃがみ、椀の縁を兄の方からも支えてやる。八歳の手だ。年長の子の手の動きはすでに弟を支えるための形を覚えていた。



 空き地の脇ではキイがしゃがんでホシの方を見ていた。

 同じ背の高さの子供をキイは久しぶりに見ている。これまで丘の上にはアサとハナの乳飲み子しかいなかった。

 キイがゆっくり立ち上がり、ホシの方へ二歩近づいた。それから足を止める。

 ホシもキイの方を一度見た。二人は何も言わない。だがキイがしゃがんで地面の小石を一つ拾い、掌の上に乗せた。あの夜のコノが斜面の途中で掌に乗せた小石と似た大きさの石だった。

 ホシが自分の手の中の何かを掌に開く。木片だった。先が削られ、小さな鳥のような形に整えられている。

 二人はしばらく互いの掌の上の物を見ていた。


 ヨルがその背中の脇に立っている。

 通訳のために言葉を足す必要はない。子と子の間で言葉は要らなかった。

 ヨルはしばらくその場に立ち、それから何も言わずに作業場の方へ戻った。



 昼の前に四人の住居の場所が決まった。

 ガランの古小屋の隣のナギから来た四人と並ぶ位置。柵の二段目の内側で焚き火の脇からは少し離れた場所だ。ハマが革袋を担ぎ直し、メイがトゥの手を引き、ホシが父の革袋の方を支えるようにしながら、四人で住居の方へ歩いていく。

 歩いていく背中の四つをソウは作業場の脇から見送った。

 頭の中でソウは数える。

 ガラン、ゴウザ、ムロ、サガ、リア、ヨル、イサ、ハル、トト、ノタ、アズ、ハナ、ダイ、ヒガ、ミラ、テツ、カナ、ノモ、ベン、カヤ、ジン、コノ、タル、オン、キイ、ガン、ハク——そして、ハマ、メイ、ホシ、トゥ。

 指で数えるのをやめた。


「四十一」


 ソウは口の中だけで呟いた。

 声を出した相手はいない。白板の上には二本の線と二つの印が残っていた。線の片方にもう一段先の印が重ねられるかもしれない。だが今日は重ねなかった。



 夕の風が丘の縁から薄く上がってきた。

 焚き火の脇でバアの椀の縁の欠けが、夕の光の中で短い影を地面に落としている。誰の手も触れない場所のままだった。

 ハマ一家の住居の革幕の方からメイがトゥを胸の前に抱えて出てきた。トゥは母の肩に頬を寄せ、目を半分閉じている。歩き疲れた幼児の、眠りに入る前の顔だった。

 ホシが父の脇で革袋の中から何か小さなものを取り出す。先ほどの木片の鳥だった。鳥の先を指の腹でなぞり、革袋の口に戻した。


 カナが焚き火の脇で自分の椀を両手で包んで湯気の中に頬を寄せていた。

 湯気の縁で頬がわずかに赤く見える。カナはしばらくその姿勢のまま目を閉じた。

 ソウは焚き火の反対側からその姿を見た。閉じた目の奥でカナが何を見ているのかソウには分からない。あの夜、薬草の葉を持ち上げる速さが半拍だけ遅かった時のカナ自身が気づかなかった半拍が、今夕の閉じた目の中にも入っているのかもしれなかった。

 ソウはそれをただ秋の入り口の夕の冷たさのせいにしておく。


 カヤがカナの背中の脇に立った。

 立ったまましばらく動かず、それからカナの肩の脇に椀を一つそっと置く。

 カナが目を開けて椀の方を見、それからカヤの方を見上げた。カヤは何も言わない。ただカナの肩の方を一度だけ目で確かめ、それから自分の椀の方に戻っていく。

 カヤの目の中の確かめは誰の方にも見られなかった。



 ガランが空き地の中央で薪を組み直していた。

 組み直す手はいつも通り。だが膝を落とす前にもう一度、ガランは右の膝の脇に右手を当てた。半秒で離す。

 ソウだけがその動きを見ていた。今朝も昨日も同じ動きを見ている。だが頭の片隅に置いたまま振り返らなかった。

 白板の上には二本の線と二つの印。明日はまだ来ていない。


 風がもう一度空き地の脇を抜けた。

 ハマ一家の住居の革幕の隙間から薄い焚き火の光が漏れる。漏れた光の中でトゥの小さな声が一度だけ聞こえた。

 短い声。眠る前の幼児の声だった。


 秋の入り口の夜が丘の縁からゆっくりと上がってきている。

 ガラの丘にはいま四十一人がいた。

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