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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

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第84話「四人、来る」

「四人だ」


 カヤが鍋の脇でそう置いた。


 朝の薬湯の湯気が、まだ鍋の縁の内側で薄く立っていた。秋の入り口の空は丘の縁の上で淡く、雲は一筋もなかった。空き地の足元の土はゆうべの夜露で色を深くしている。

 カナは杓を鍋の縁に立て掛けたところだった。立て掛ける角度は斜めのままだった。両手は腹の前に下ろされていた。

 ソウは作業場の脇で粘土板の三枚を並べ直していた。並べ直す手が、カヤの「四人だ」で止まった。


 カヤは続けた。


「親が二人。子が二人。下の子は——三つくらいと聞いた」


 声は低かった。輪の中の他の者には届かない大きさで、鍋の脇の三人の間にだけ落ちた置き方だった。

 カヤの背中の方角にベンが立っていた。ベンは何も言わなかった。だがカヤの言葉の半歩後ろで、足を一度だけ踏み直した。



「同じ尾根の、向こう側か」


 ソウは問うた。


「同じ尾根の、こちら寄り」


 カヤが答えた。


「ベンのいとこの家だ。冬の前から南へ歩いていたらしい。途中で別の家族と——道が、重なった」


 カヤの言い方の中に、ベンが歩いてきた時の言い方が混じっていた。崩れた、の一語と、ありがたい、の一語の間にあった種類の声だった。

 ベンが、カヤの隣で頷いた。一度だけだった。それから、視線を空き地の中央の焚き火の脇の方へ落とした。


「ハミから——聞いたのか」


 ソウは確かめた。


「ハミからは別の家族の話を聞いた」


 カヤは答えた。


「南で熱が広がっている。避難する家族がいる、と。あの話の家族といとこの家とは別だ。いとこの家はもっと早く出ている」


 カヤは指で空に短く別の角度を描き、それからその指を腹の前で組み直した。

 ベンが脇からひと言だけ足した。


「南の熱と、北の崩れは別だ」


 ベンの声は低く、確かめの形だった。ソウは頷いた。頷きを返す動きはいつもより半拍遅かった。



 空き地の中央でガランが薪を組み直していた。

 組み直す手はいつも通りだった。だが膝を落とす前に、ガランは右の膝の脇に右手を一度だけ当てた。半秒で離した。ソウだけがその動きを見ていた。

 ガランは膝を落とし、薪の崩れる小さな音を聞いた。

 ソウはガランの背中の方へ歩いていった。


「いとこの家らしい」


 ソウは小声で伝えた。


「親が二人。子が二人。明日か、明後日か」


 ガランは薪の方を見たまま、しばらく動かなかった。

 それから、肩を一度上げてまた下げた。


「お前が話せ」


 ガランは短く言った。

 あの夜の柵の上での委ねの形と、骨組みが同じだった。命令ではなく、委ねの重みだった。

 ソウは頷いた。頷き返す動きはいつもの速さに戻っていた。



 昼までに、空き地の脇でいくつかの手が動いていた。

 タルが柵の南側の二段重ねの結びを点検していた。一本ずつ縄の張りを掌で確かめ、緩んだ場所には別の縄を寄せて巻き直す。タルの手は早かった。柵の南側の半分を昼の前に終えた。

 ハクはテツの作業場の脇で、粥の皿を二枚追加で乾燥に回していた。皿の縁を指の腹でなぞり、欠けの薄い場所を陽の当たる方へ向けて並べ直す。テツが横目で見て、頷きを一度返した。


 ミラが住居の方で、編みかけの籠の口の方を広げていた。

 籠は粒を入れるためではなかった。革袋を二つ、そこに収める形に編み直していた。受け入れる家族の最初の夜の革袋を、誰の革袋と取り違えないよう、別の籠に入れておく。ミラの手の動きは、誰にも何も問わなかった。問わずに、編んでいた。


 オンが備蓄壺の脇で粒の量を計っていた。

 計る手は迷わなかった。革袋三つ分の粒を一旦壺の縁から出し、四つ目の壺の方へ移す。四つ目の壺は去年の夏まで使っていなかったが、ハミの取引のあとで縁を陶器の小片で補強してあった。

 オンの隣で、キイがしゃがんで粒の数を数えていた。声には出さなかった。指の腹で、壺の縁を一度ずつ叩いていた。



 ソウは作業場の脇に戻り、粘土板の白板の前に立った。

 白板にはまだ何の線も引かれていない。配給板にはこの七日の配給の数の線が並び、鍬印板には播種の畝の数の印が並んでいた。白板だけが、空のままだった。

 ソウは木片を取り、白板の隅に短い線を一本引いた。

 その隣に、もう一本。間隔は掌一つ分ずれた位置。


 二本の線は、明日と明後日の二つの可能性だった。

 どちらかが答えで、もう一方は消える線になる。ソウはその二本を引いただけで、木片を石の上に戻した。今は引くだけだった。


 白板の上の二本の線を、テツが作業場の奥から一度だけ見た。

 テツは何も言わなかった。粘土を捏ねる手の動きを止めず、ソウの方へ短く頷きを送った。



 昼を回って、薬湯の鍋の脇にカナが戻ってきた。

 北壁の干し束から、苦い葉を二枚選んだ。指の腹で葉脈の真ん中をなぞり、裏の色を確かめる。その手の運びはいつもと同じだった。

 同じだったが、葉を持ち上げる速さがほんの少しだけ遅かった。葉の重さが昨日と違うわけではない。葉の方は同じ重さだった。掌の方が、葉を受け取る時の構えに半拍だけ余分な時間を必要としていた。

 カナ自身は、それに気づいた顔ではなかった。


 鍋の縁に葉を落とす時、葉の香りがいつもより薄く感じられた。

 薄く感じたのはカナの鼻の方だった。葉そのものの香りは、薄くはなっていない。だがカナはその違いを、ただ秋の入り口の朝の冷たさのせいだと判じる顔だった。

 判じた、というよりは、判じずに通り過ぎた。


 カナは杓を取った。柄頭から指三本下を握る位置はいつも通りだった。鍋の表面を一周撫でる。逆向きの一周だった。撫で終わって、杓を鍋の縁に立て掛けた。

 立て掛けたあと、カナはその場にしばらく立っていた。

 立ち上がる時のように、膝の片方がわずかに重い。だが今は座っていない。立ったままなのに、膝の片方の重さが残っていた。

 カナはそれを、葉の入った鍋の方を見届ける時間として通り過ぎた。



 夕の風が丘の縁から薄く上がってきた。

 焚き火の脇でバアの椀の縁の欠けが、夕の光の中で短い影を地面に落としていた。誰の手も触れない場所のままだった。

 ガランが膝を落とす動きが、朝より半拍だけ遅かった。喉の奥で低い音が一度鳴った。半秒も続かない、鈍い音だった。


「埃だ」


 ガランは短く置いた。今夕は言葉が出た。

 誰も問い返さなかった。


 カヤが住居の革幕の脇で、革袋を二つ並べた。

 明日の朝の分けの形だった。受け入れる家族の最初の朝に、革袋の口を内側に向けて置く。バアの形だった。カヤがバアの形を知っているはずはなかったが、革袋の口の向きが偶然に同じだった。

 ソウはその偶然を、頭の中の白板の上に置いた。線は引かなかった。



 日が落ちる前に、見張り台の上からダイの声が降りた。


「南の斜面の下に」


 ダイの声は低く、確かめの形だった。


「火が一つ」


 ソウは作業場の脇から立ち上がった。梯子を半分まで登り、ダイの隣に並んだ。

 南の斜面の下、林の縁のもう一段下の方に、小さな赤い点が一つ揺れていた。焚き火だった。家族の焚き火の大きさだった。

 四人分の焚き火だった。


「明日だな」


 ダイが言った。


「明日だ」


 ソウは答えた。

 声は震えなかった。あの夜のドルクへの柵越しとも、ベン一家を見下ろした朝の柵の上とも、声の重さが別だった。三度目だった。



 ソウは梯子を降り、作業場の脇に戻った。

 白板の上の二本の線の片方に、木片の先で短い印を一つ重ねた。明日、の方の線だった。明後日の方の線は、印を重ねずに残した。残しておけば、もう一度別の家族が来る日のために、線の形だけは覚えておける。


 焚き火の脇でカナが自分の椀を両手で包んで湯気の中に頬を寄せていた。湯気の縁で頬がわずかに赤く見えた。

 カナの口は薄く開いた。

 開いただけだった。声は出なかった。「みんな、元気で」も「いてね」も、出てこなかった。

 代わりに、カナは鍋の縁の方へ薄く頭を寄せて、軽く一度だけ頷いた。


 頷きが終わると、カナは椀を膝の上に下ろした。

 下ろす時の腕の運びが、いつもより半拍だけ余分な時間を必要としていた。カナ自身は、その半拍を秋の入り口の夕の冷たさのせいだと判じる顔だった。


 ソウは焚き火の脇からその後ろ姿を見送った。

 粘土板の白板の上には、二本の線と一つの印が残っていた。残ったまま、夜に入った。


 風がもう一度、空き地の脇を抜けた。

 焚き火の脇でバアの椀の縁の欠けの影が、ほんの少しだけ動いた。

 秋の入り口の夜が、丘の縁からゆっくりと上がってきていた。

 明日、四人が斜面を登ってくる。

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