第72話「ここの蒔き方」
三日が過ぎた。
その間に丘の上の土は、上の層まで完全に緩んだ。指で押せば二節分ほど沈み、押した跡の縁が崩れずに残るようになった。蒔ける土の感触だった。
四日目の朝、ソウは第三畑の北縁に立った。
畑の縁に石鍬が二本、改良型が一本、合わせて三本が並べて置かれていた。テツが冬の間に刃の縁を研ぎ直していた三本だった。土に入れる前の刃は乾いていて、朝の光を細く返した。
革袋がソウの足元にあった。
昨日トウカが運んできたままの位置だった。袋の口は結ばれている。中の粒は四十二本分。皮ひもの印が結ばれていた穂から外した粒だけが、その袋に入っていた。
別の革袋がもう一つ、その隣に置かれている。
こちらの粒は、印のない穂から外した粒だった。数は多い。去年の秋に集落全体で外した粒の残りで、こちらは普段の収穫の種にする分だった。
トウカが畑の縁を歩いてきた。
「畝、北縁の二列を切る」
トウカが言った。声は短く、確かめる調子だった。
「印のある方を外側」
ソウは頷いた。
「印のない方を内側」
「うん」
トウカは石鍬を一本取り、北縁の一番外側の列をゆっくりと切り始めた。刃が土に入る音が、朝の畑の上で初めての音だった。
*
空き地の方から、人の足音が並んで聞こえてきた。
サガが先に来た。ノタとアズが続いた。ベンとタル、ジンも来た。ガンが少し遅れて薪の方の手を離してから来る。ヨルも来ていた。ハルは少し離れた場所からだった。
全員、石鍬は持っていなかった。鍬はこの畑には三本しかない。ほとんどの者は、種を持つ手と土をかぶせる手が仕事になる。
トウカが切った最初の溝の前で、サガが膝を折った。
膝を折ってから革袋の口を解いた。印のある方の革袋だった。掌を浅くまるめて、粒を四つほど取った。
「一粒ずつ。間は指一本分」
サガが言った。
声には誰に向けるという形は付いていなかった。だが、視線は移住者たちの方に薄く流れていた。
サガは溝の縁にしゃがみ、指先で一粒を溝の底に置いた。指の腹で軽く押して底に粒を据える。次の粒は、最初の粒から指一本分の幅をあけて置いた。同じように指の腹で押す。
三粒目、四粒目。
動きは速くなかった。だが、迷いはなかった。
ベンが、その手元を見ていた。
しばらく見てから、ベンは膝を折った。革袋から粒を取る掌の作り方は、サガと同じだった。だが、ベンの掌の中に入った粒は、サガより多かった。五粒。六粒。
ベンは溝の縁にしゃがみ、指で土に小さな穴を掘った。深さは、指の第二関節の手前まで。穴の底に粒を三粒まとめて落とした。穴の縁の土を寄せて軽く埋めた。
次の穴は、最初の穴から掌一つ分間をあけた場所だった。
サガが手を止めた。
ベンの方を見た。
「お前、それは——」
サガの声は責める形ではなかった。確かめる声だった。
「北の谷では、こうやる」
ベンが答えた。低い声だった。手元の動きは止めなかった。
「穴を深く。三粒まとめて。間は掌一つ」
サガは口を閉じた。
閉じたまま、自分の手元の溝に目を戻した。すでに置いた粒は、一粒ずつの間隔で並んでいる。ベンの穴とは、形が違った。
*
タルが、隣の列の前にしゃがんでいた。
手の中に印のない方の革袋から取った粒が、こちらも掌の浅いまるめの中にあった。タルの手元の溝は、サガが切った溝より浅かった。
タルは溝の底に粒を置いた。間は、サガとほぼ同じ、指一本分だった。だが、置く粒の数は少なかった。タルの掌の中には、最初から三粒しか入っていなかった。
「東の谷では、浅い溝で蒔いた」
タルが言った。
誰に向けるでもない、独り言の形だった。
「土が厚くかぶさると、芽が出にくい」
ヨルが、タルの背後で頷いた。
タルの隣の列にしゃがみ込み、自分も浅い溝の作り方を指で確かめた。
「東の谷の畑は、土が固い場所だった。ここの土はもっと柔らかい」
ヨルが言った。
「同じやり方でいいかどうかは、分からない」
タルはヨルの方を一度だけ見て、頷いた。
頷いて、自分の手元に戻った。
*
ソウは畑の縁の少し高い場所から、その三つの動きを見ていた。
サガ=指一本分の間隔、浅い溝、一粒ずつ。
ベン=掌一つ分の間隔、深い穴、三粒まとめて。
タル=指一本分の間隔、もっと浅い溝、一粒ずつ。
三つは似ているところと違うところが、地面の上で並んで見えていた。
ジンがその脇で石鍬を担いでいた。
二本目の溝をトウカに代わって切る役だった。鍬を振り下ろす腕は、ベンに似た太さを持ち始めていた。
ジンは溝を切り終えてから、父の方を見た。
「父さん」
ジンが言った。
その声は、低い場所から出ていなかった。十五の声だった。
「ここでは、どうするんだ」
ベンは答えなかった。
すぐには答えなかった。掌の中の粒を溝の縁の土の上に一度だけ落とし、それから自分の手元の穴をもう一度見た。
穴の深さ。粒の数。間の幅。
ベンの目が、サガの方の溝に流れた。
*
ソウは畑の縁から一歩降りた。
「ここは、こうしてみないか」
ソウは言った。
声は張らなかった。誰かを止める形でも、誰かを直す形でもなかった。
「溝はサガのやり方。指一本分の間隔。一粒ずつ」
ベンが顔を上げた。
「深さは、ベンの言うとおり、もう少しだけ深く。指の第一関節まで」
サガが顔を上げた。
「土のかぶせ方はタルのやり方。薄く。指の腹で押すだけ」
ヨルが、頷いた。
「数は一粒。だが、印のある粒だけ。印のない方はこれまで通り」
ソウはそこで一度、息を入れた。
「今年は、これで一度やってみないか」
誰も、すぐには答えなかった。
サガは自分の手元の溝を見た。ベンは自分の穴を見た。タルは自分の浅い溝を見た。ヨルはその三つを見比べてから、ソウを見た。
最初に動いたのは、ベンだった。
「分かった」
ベンは短く言って、次の穴を作りかけていた手を止めた。掌の中の粒を二粒、革袋の縁に戻した。残った一粒だけを指の腹に持ち直した。
次にサガが頷いた。
「指の、第一関節までな」
サガは自分の指を一度溝の縁に当てて深さを測り直した。
タルは何も言わなかった。だが、自分の浅い溝に薄く土をかぶせ直す動きをもう始めていた。
*
第三畑の北縁の二列に、粒が並び始めた。
印のある粒が外側の列に。印のない粒が内側の列に。間隔は指一本分。深さは指の第一関節まで。土のかぶせ方は薄く、指の腹で押すだけ。
四つの手の動きの中から、一つの形が地面の上にゆっくりと立ち上がっていた。
ハルが印のない方の革袋の脇にしゃがんでいた。
粒を数える役だった。ハルは籠の中に粒を移しながら、数を口の中で繰り返している。声には出さなかった。
その横で、コノが小さくしゃがんでいた。十歳の手は、粒を選ぶには小さい。だが、印のある皮ひもの切れ端を集める役は、コノの手に丁度だった。畑の縁に落ちた皮ひもの切れ端を一本ずつ拾い、空の革袋に入れていく。
コノはそれを楽しそうにやっていた。
穀物の粒と皮ひもの切れ端を、コノの目はちゃんと見分けていた。
ガンは溝の終わりの方で無言で穴の縁の土を整えていた。
ジンの石鍬がずれた一箇所をガンの掌が静かに直す。ジンが気づいて頷いた。ガンは頷きを返さず、次の場所に手を移した。
*
ソウは畑の縁にもう一度上がった。
日が高くなっていた。北縁の二列の半分まで、粒が入った。残りの半分は午後に蒔く。畑の中の三十七人ではなかった。畑にいたのは十人ほどだった。残りは別の場所で別の仕事をしている。
空き地の方を見ると、焚き火脇でカナが鍋の縁の薬草を揉んでいた。鍋の縁の脇にバアの椀がいつもの場所にあった。今朝も光が当たっている。
カナの隣にキイがいた。今朝も、椀を並べる役を引き受けているらしかった。
その向こうの丘の北の縁に、カヤがしゃがんでいた。
昨日も同じ場所にいたとソウは聞いていた。今朝もそこにいる。苦い葉の畝の縁。最初の芽の隣に、二つ目の小さな緑が顔を出していた。カヤはそれを、今日も触らずに見ていた。
ソウは畑の方に目を戻した。
北縁の二列の上に、ベンの掌があった。
ベンは穴を作っていなかった。指の腹で、サガが切った溝の底に一粒ずつ粒を押し込んでいた。深さは指の第一関節まで。土のかぶせ方は薄く。タルの動きをまねた、指の腹だけの動きだった。
ベンの手は速かった。
ゴウザが「あの男の手は早い」と冬の入り口に言った、その手だった。
ソウは小さく頷いた。
それから、革袋の口をもう一度結び直し、畑の縁から降りた。
次の溝に、自分の指を入れる時間だった。




