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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

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第70話「新しい地平」

 夜が明けた。


 空き地の中央で焚き火の昨夜の名残が灰になり、薄い白い煙が一筋だけ立ち上っている。煙は風のない朝の空気の中で垂直に伸びていた。住居の屋根の高さで一度だけ折れて北へ流れていく。

 ソウは住居を出て、空き地を抜け、丘の上に向かった。


 丘の縁に出ると、東の空に日が出かけていた。

 まだ斜めの光だった。光は丘の縁の草の先を一本ずつ照らし、草の根元はまだ夜の影に残っていた。光と影の境目が丘の表面をゆっくりと西へ移っていく。

 夜の間に薄く積もった雪が、その光の境目の先で溶け始めている。雪は厚くはない。地面の起伏の凹みの中にだけ薄く白く残り、出っ張った草の先や石の上では、もう水の粒に変わって光を返していた。

 ソウは丘の縁に立ち止まり、息を吐いた。吐いた息が白く揺れて、すぐに散った。


 眼下に、ガラの丘の集落が広がっていた。


 五棟の住居の屋根に、薄く雪が積もっている。屋根の南の斜面はもう光が当たり始めていて、雪が縁から少しずつ滴になって落ちていた。北の斜面はまだ白いままだ。一棟ごとに屋根の南北で雪の溶け方が違い、その違いが朝の時間の進み方そのものを地面の上に映していた。

 ガランの古小屋の屋根にも、同じように雪が積もっている。ナギから来た四人——ヨル、イサ、ハル、トト——はその古小屋の革幕の中だ。革幕の隙間から薄い煙が一本上がり、誰かが火を起こしたばかりだと分かる。


 移住者を受け入れた住居の革幕からも、煙が上がっていた。冬の間は既存の住居に分かれて寝起きしている。革幕の隙間から漏れる煙は朝の風の弱さの中でどれもまっすぐに立ち上り、住居の屋根の高さでわずかに東へ折れていた。


 空き地の中央に人の動きが出始めている。

 カナが鍋を持って、住居から出てきた。鍋を焚き火の脇に置き、昨夜の灰を木の枝で掻き分けて、種火を探している。膝の脇に薬草の束。粥に入れる二枚の葉を、もうそこに用意していた。


 アズが水運搬壺の方へ歩いていく。腕の中に赤ん坊のハナがいる。ハナは眠ったままで、アズの胸の上で小さく息をしている。アズの後ろからノモが出てきて、無言で水運搬壺を担ぐ役を代わった。


 ヒガが見張り台から降りてくる。夜の番が終わったところだった。ダイとすれ違いざまに短く何か言い、ダイが見張り台の梯子を上っていく。サガが薪の山の脇でしゃがみ、今朝の分の薪を選んでいる。ムロが住居の前で空を見上げ、雪の溶け方を確かめている顔だった。


 移住者たちも動き始めていた。ベンが革幕を開けて出てきて、空を見上げ、息を白く吐く。タルが住居の脇で柵縄の切れ端を結び直している。ガンが寡黙な顔で薪の山の方へ歩き、ハクがテツの作業場の脇に立っていた。今日もそこに立つつもりらしい。

 三十七人。

 その朝の動きが、地面の上で重なり、離れ、また重なる。


 ソウは丘の東の縁の方に目を移した。

 バアの盛り土がある。薄く積もった雪が、盛り土の表面を白く覆っていた。盛り土の南斜面の縁から、雪が一筋滴になって落ち始めている。北の側はまだ白い。

 雪の下の土の色は、もう見えなかった。だが、土がそこにあることは分かる。

 ソウはそれを見て、目を伏せた。



 息を吐いた。


 序章のひと巡りを、頭の中で並べてみる。

 文字を試した。粘土板の上に七本の線を引いた。線は今朝も、変わらずそこに並んでいる。テツが窯で焼けば、線は固定される。固定されたものは、消えない。

 交易が始まった。ハミという名の男が、南の海の方から来た。黒曜石が十二片、丘に入った。塩、染料、見たことのない貝殻が、丘の上に並んだ。「次から、数えよう」という声を、ハミは置いていった。

 人が増えた。ベン一家の四人、タル一家の三人、独身の兄弟二人。ナギから来た四人。新しいハナの泣き声。三十七人。空き地で焚き火を囲む顔の数が、二年前の倍を超えた。

 全て、動いた。

 動いた——だが、まだ何も形になっていない。


 ソウは丘の縁の草を一本、指で抜いた。

 文字は七本の線で止まっている。線が「七」を意味することを知っているのは、ソウだけだ。明日テツに相談してもテツに伝わるかどうかはまだ分からない。線が誰の頭の中でも同じ意味を持つようになるまでには、まだ何段階もある。

 交易は一度きりだった。ハミが次に来るのがいつかは分からない。「また、来る」と言った声は確かに聞いた。だが、来るのが半月後か来年の春か、それとも、もう来ないか。確かなものは丘の上に残っていない。


 移住者は受け入れた。だが、移住者と既存族民の間で粥の椀の盛りが揃うまでに半年かかった。三十七人の暮らしを支える形は、まだ「揃ったところ」までで、その先に何が要るかはソウの頭の中にも輪郭がない。


 動いたものは動いたまま、まだ風に流れる位置にある。

 動いたものを、その場所に固定する形が要る。

 形にしなければならない。


 ソウはそう、頭の中で言葉にした。

 言葉にすると、その言葉は丘の上の朝の光の中で形を持ち始める。

 春が来る。

 ここから半月ほどで、土の中に降りていた冷気が浮き上がってくる。雪が消える。地面が緩む。畑に入れる季節がもう一度回ってくる。

 春が来るまでに、形を決めておかなければならない。文字の形を、交易の形を、人と人の間の形を。一つひとつ形にしていく。

 ソウは抜いた草を指の間で軽くひねった。茎の中の薄い水分が、指の腹に湿りを残した。



「ソウ」


 振り返ると、リアがいた。


 柵の上から降りてきた顔だった。腰に革袋。背中に予備の弓。夜の見張りを誰かに引き継いだあと、見回りの途中で丘の方に足を向けたのだろう。リアは丘の上には滅多に上ってこない。今朝は上ってきた。

 ソウは少しだけ目を上げて、リアを見た。


「お前またここか」


 リアの声に、責めの色はなかった。確かめる声だった。


「うん」


 ソウは短く頷いた。


 リアは丘の縁まで歩いてきて、ソウの斜め後ろで立ち止まった。座らなかった。リアはいつも座らない。革袋の重みを腰の上で一度だけ持ち直してから、眼下の集落の方に目を移した。

 しばらく、二人とも何も言わなかった。

 朝の風が南の畑の方角から渡ってきて、丘の上を抜けていった。雪の溶ける気配が、その風の中にわずかに混じっていた。


「春が来る」


 リアが言った。


「今年は何を作るんだ」


 声の中に、責めはなかった。問いの形だった。

 いつも何かを「作る」のはソウだと、リアの口の置き方は確かめていた。去年は何だったと問うのではない。今年は何だ、と問う。リアの中で、ソウが今年も何かを作ることは、すでに前提になっていた。


 ソウは少し考えてから、答えた。


「形だ」


「形」


 リアはその言葉を一度、自分の口の中で繰り返した。声には出さず、唇の形だけが動いた。


「形のあるもの」


 ソウは続けた。声を張らずに、確かめるように。

 風がもう一度、二人の間を抜けた。リアは眼下の集落の方を見たまま、しばらく口を閉じていた。


「分かるような、分からないような」


 リアはそう言って、わずかに頭を振った。

 それは戸惑いの動きではなかった。受け入れた上で、まだ手の中に形が来ていない、という顔の振り方だった。リアは責めない。リアは置く。置いてから、見る。


 それから、リアはソウの方に体ごと向き直った。

 目を逸らさなかった。


「お前のやることは、いつも——」


 リアは言葉を一度、切った。

 切ったあとの間が、いつもより長かった。リアの目はソウの目を、真っ直ぐに見ていた。


「分かる頃には、もう、形になってる」


 ソウは答えなかった。

 答えようがなかった。

 リアの声の中に、確信があった。確信は今朝のものではなかった。リアの中でずっと少しずつ積み上がっていた何かが、今朝の丘の上の光の中で初めて言葉の形を取った。そんな声だった。

 ソウはガランの声を頭の片隅で思い出した。昨夜の焚き火脇の、低い声。「理由は、聞かない/結果を、見せ続けろ」。ガランが言った言葉の場所と、今朝リアが置いた言葉の場所は、別の方角から来て丘の上の同じ一点で重なっていた。

 別の方角から来た二つの言葉が、同じ一点に並んで立っていた。


 ソウは小さく息を吐いた。


「うん」


 ソウは頷いた。

 頷きは、約束ではなかった。受け取った、という形の動きだった。

 リアももう何も足さなかった。リアの目がソウの目から一度離れて、眼下の集落の方へ戻った。リアの背中はまっすぐで、腰の革袋が朝の風の中でわずかに揺れていた。


「降りる前に粥を食え」


 リアは短く言った。


「うん」


「カナがもう薬草を入れてる」


 リアはそれだけ言って、丘の縁から離れた。下り始めた足音は、いつもの通りに静かだった。柵の上に戻る方角ではなく、空き地の中央——焚き火と粥の鍋の方へ歩いていく背中だった。



 ソウは丘の縁に一人で残った。


 日がさらに上り、雪の溶け方が速くなっていた。バアの盛り土の南斜面からも、もう一筋、滴が落ちている。北の側の白さも縁から崩れ始めていた。

 南の風が丘を渡って北へ抜けていく。

 風はまだ冷たい。だが、冷たさの中に土の匂いが薄く混じり始めていた。雪の下で土が呼吸し始めている。春の方角から、その匂いが少しずつ近づいてきていた。


 ソウは指の間でひねった草の切れ端を、丘の縁の風に放した。

 切れ端は風に乗って、低く長く、南の畑の方へ流れていった。


 春が、来る。

 新しい季節が、新しい挑戦を、連れてくる。

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