第69話「冬の夜の会話」
夜の始まりに、雪が降った。
量の多い雪ではなかった。冬の入り口の風に乗って、白い粒が斜めに流れる程度の降り方だった。空き地の地面に粒は積もらず、薪の山の縁にだけ薄く白く残った。粒は落ちた場所から動かなかった。
焚き火の脇では、火に近い分だけ雪は届く前に溶けた。火から離れたところに、椀が一つ置いてある。バアの椀だった。誰の手も触れない場所にあるその椀の縁の方に、白い粒が少しずつ積もり始めていた。
カナが鍋の脇からその椀の方へ歩いてきた。鍋を下げる前に、椀の縁に手を伸ばした。掌の腹で、薄く積もった雪をそっと払った。雪は粉のように指の間からこぼれて、椀の脇の地面に落ちた。
カナはそれ以上は触らなかった。椀をどける気はなかった。手を引いて、また鍋の方に戻った。鍋を住居の方へ持ち帰る前に、もう一度椀の方を振り返り、雪のかかり方を目で確かめた。今夜の風向きでは、雪は椀の縁の同じ方向にしか積もらない。明日の朝もう一度払えばいい、という顔だった。
夕食の片付けが終わり、族民は一人また一人と住居に戻っていった。
タルとオンがキイを抱えて、東寄りの住居の革幕をくぐった。ガンとハクはガランの古小屋の方へ歩いた。ナギ四人と相部屋で寝起きしている。ベン一家の革幕は早くに閉じていた。ナギの四人も住居に入った。ムロとサガが住居の入口で何か低く言葉を交わし、ミラが編み物の道具を膝に乗せて運んでいった。
カナも鍋を抱えたまま、最後に住居の方へ歩いていった。
空き地の中央には、焚き火の音だけが残った。
*
焚き火の前に、二人が残った。
ソウとガランだった。
ガランは焚き火の脇のいつもの位置に腰を下ろしていた。膝の上に椀がある。粥の最後の方が、椀の底に少しだけ残っていた。普段なら、ガランは椀を傾けて底の最後まで啜る。今夜はその一口を残したまま、椀を膝の上に置いていた。
ソウもガランの斜め向かいに座っていた。自分の椀はすでに空にしてあった。
焚き火が一度、低く爆ぜた。火の粉が小さく舞い上がり、すぐに消えた。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
風が薪の山の方から渡ってきて、火の縁を撫でて南に流れていった。雪はもう降っていない。空気だけが冷えていた。
ガランが椀を膝の上で持ち直した。持ち直す時に、椀を持つ手がいったん膝の上で止まり、そこから持ち上げる動きに移った。動きの間に、半秒ほどの遅れがあった。ガランは何も言わなかった。
ガランが口を開いたのは、焚き火が灰になりかけた頃だった。
「ソウ」
ガランの声は低かった。火を見たまま出た声だった。
「ん」
「お前のやることは、毎回——」
ガランは一度言葉を切った。
焚き火の中で薪が一本、小さく崩れた。
「理由がよく分からん」
ソウは答える前に、自分の椀の縁を指でなぞった。
「理由はいずれ分かるはずだ」
ソウは確かめるように言った。
ガランは火の方を見たまま、しばらく黙っていた。火の中の薪のひびを目で追っているような顔だった。
それから、ガランはもう一度口を開いた。
「理由は、聞かない」
ガランの声は、命令ではなかった。委ねでもなかった。確かめる声に近かった。火の方を見たまま、ソウの方には体を向けなかった。
「結果を、見せ続けろ」
その二つの短い文の間に、わずかな間があった。
ガランはそれだけ言って、また口を閉じた。
ソウはすぐには答えられなかった。
答える言葉が頭の中にいくつかあったが、どれもこの場で口にする形ではなかった。「分かりました」と取り繕えば、ガランの声の重みが軽くなる気がした。「努めます」と決意の形にすれば、それも違う気がした。
ソウは椀の縁から指を離した。火の方に視線を向け、ガランと同じ薪を見た。
少しして、ソウは小さく頷いた。
「……はい」
声は短かった。
ガランも何も足さなかった。焚き火の音だけが、二人の間に長く残った。
*
しばらくして、ガランがまた口を開いた。
「わしもいつまで族長でいられるか分からん」
ソウはガランの方を見た。
ガランは火を見たままだった。
「その時はリアだ」
ガランは続けた。
「あいつはもう決まっておる。柵の上で決めておる」
ソウは頷いた。
ガランの言うとおりだった。ベンの長子の見張りシフトを動かした時の、リアの声の置き方を思い出す。「お前が決めろ」と委ねられた側の声ではなく、決めてから来た側の声だった。リアの中ではすでに次の形が動いている。
「だが、お前も——」
ガランは言いかけて、止めた。
火の中で薪のひびがまた一つ走った。
ガランは続きを言わなかった。続きが何だったのか、ガランの口は閉じたままだった。「後を継げ」ではないのは分かる。族長の後はリアだとガラン自身がたった今言った。
では何だったのか。
ソウは続きを想像しないことにした。ガランが言葉を切ったということは、続きを言わないと決めたということだった。続きを引き出すことは、ガランの今夜の沈黙を壊すことになる。
ソウは少しの間を置いてから、口を開いた。
「俺は、後ろから支えます」
決意の声ではなかった。
約束の声でもなかった。自分の役目の場所を、自分で確かめるための声だった。
ガランはソウの方を一度見た。短い視線だった。それから、また火の方に視線を戻した。何も言わずに、ガランは頷いた。頷きの動きだけが、火明かりの中で見えた。
*
焚き火がだいぶ低くなっていた。
火の高さは膝の半分くらいまで落ちていた。橙色の光が二人の足元だけを照らし、二人の顔の上半分は闇に沈んでいた。
ガランは膝の上の椀を持ち上げた。底に残っていた粥の一口を、ようやく口に運んだ。冷めかけた粥を、ゆっくり噛んでから飲み下した。
ガランは椀を脇に置いた。
「ソウ」
ガランの声が、また低く出た。
「ん」
「お前を見ていると、たまに——」
ガランは言葉を切った。
今度の言葉の切り方は、さっきよりも長かった。
火の中で炭の表面が一度、赤く光った。ガランは続きを言わなかった。続きを探していないようにも見えた。続きの言葉そのものが、ガランの口の中でまだ形を持っていないようだった。
ソウは答えなかった。
答えようがなかった。ガランが何を言いかけたのか、ソウには分からなかった。ただ、ガランの声の中に、これまで聞いたことのない種類の間があった。命令でも委ねでも判定でもない、何かを見ようとしている目の前で言葉が止まる、その時の間だった。
ガランはそれ以上は続けなかった。
代わりに、立ち上がる準備に入った。膝の脇に右手を一度だけ当てて、半秒で離した。それから、椀を持って立ち上がった。立ち上がる動きの中に、いつもよりわずかに重い間があった。
ソウだけが、その手の動きを見ていた。
「先に戻る」
ガランは短く言った。
「お前は火を見ておれ」
ソウは頷いた。
ガランは住居の方へ歩いていった。背中はまっすぐだった。歩き方もいつもの通りに見えた。だが歩幅が、いつもより少しだけ短くなっていた。
ガランの背中が革幕の向こうに消えると、空き地に残ったのはソウ一人になった。
*
焚き火が、また一つ、爆ぜた。
その音だけが、長く残った。
ソウはしばらく動かなかった。
火の方を見ていた。膝の半分の高さまで落ちた火が、小さく息をしながら炭の中で揺れていた。火明かりの届かない場所に、バアの椀があった。椀の縁にはもう雪は積もっていない。カナが払った跡の地面に、白い粉だけがわずかに残っていた。
ソウは頭の中で、ガランの二つの言葉を並べた。
「理由は、聞かない/結果を、見せ続けろ」
「お前を見ていると、たまに——」
二つの言葉は、別の場所から出てきた言葉だった。前の方は、ソウを族長の中の役目の場所に置く言葉だった。後の方は、その場所の縁から少しだけ外側を見ている言葉だった。
二つの言葉がガランの中で並んでいる。並んでいることをガラン自身も分かっている。だから今夜は、後の方の続きを言わなかった。
ソウはそう感じた。
焚き火の炭がもう一つ崩れた。
火の高さがさらに低くなった。
夜の冷気が、火の縁まで近づいてきていた。
ソウは膝の上で両手を組んだ。
組んだ手の中に、椀の温かさはもう残っていなかった。




