第63話「新しい顔」
「人だ」
南の見張り台から、ヒガの声が降ってきた。
空き地で粉挽きをしていたソウの手が、石臼の取手の途中で止まった。粉挽きは午前の終わりの仕事で、刈り入れ三日目の畑から先に運ばれてきた粒を石臼で砕いて粉にする。今朝の分配で揉めた粒の、その先の工程だった。
ヒガの声に、いつもの軽口の語尾がなかった。
「四人」
ヒガが続けた。
「武器なし」
ソウは石臼の取手から手を離し、立ち上がった。
「旗のような白い布を竿に」
*
空き地から見張り台までは十数歩だった。
ソウが梯子を半分まで登ると、上のヒガの足が見えた。ヒガはこちらに振り向かず、視線を南の斜面の下に固定したまま、片手で梯子の縁を握っていた。
ソウが見張り台の床に出ると、ヒガの隣の柵の隙間から丘の南の斜面が見えた。
四人だった。
先頭の男は背が高くなく、肩幅だけが厚い。顔の左に古い傷の線が下から斜めに走っている。手に何も持っていない。代わりに、後ろの女の手にあった長い棒の先に白い布が一枚結びつけられていた。布は風に押されて棒の先で水平に伸びている。
女の後ろに少年が一人。少年の背の高さは母らしき女の肩までだった。さらにその後ろに、もっと小さな子供が一人。男の子だった。
「四人」
ソウは数え直した。
「武器なし。布」
「布、だな」
ヒガが言った。
「敵じゃない、か」
「分からん」
ソウは答えた。
「だが、ドルクの形じゃない」
ヒガが頷いた。あの時の二十人の入り方を、二人とも覚えていた。あれは肩に力を入れた列だった。今、斜面を半分まで登ってきている四人は肩に力が入っていない。むしろ入れる余力が顔のどこにも残っていなかった。
*
ガランは空き地の北寄りで薪を組み直していた。
ヒガの声を聞いて薪を置き、立ち上がった。それから柵の南の側へ歩いてきた。歩み方はいつも通りで急がない。だがソウの方を一度見て、目で「降りてこい」と言った。
ソウは梯子を降りた。
ガランの隣に並んだ時、ガランは斜面の方を一度見て、それから空き地の方を一度見回した。視線の先には、刈り入れから戻ってきたサガとアズと、薬草を干し直していたカナと、住居の入口で何かを言いかけていたムロがいた。誰も今は揉めていなかった。だが今朝までの揉めごとの空気は、まだ空き地のどこかに残っている。
「四人だ」
ソウが小声で言った。
「父・母・子二人。北からの形だ」
「北、か」
ガランは短く返した。それからしばらく動かずに斜面を見ていた。
「お前が話せ」
ガランが低く言った。
声には、命令の重みではなく委ねの重みがあった。あの夜の柵の上でのドルクへの委ねと、形が同じだった。
ソウは頷いた。
*
ソウは柵の南の側に立った。
立った位置は柵の高さの肩の上に、自分の頭の上半分が出る場所だった。あの夜と同じ位置。丸太の上に両手を置いた時、掌の下の木の感触までが同じだった。
四人は丘の斜面の三分の二の高さで足を止めていた。誰も柵まで近づかない。柵までの距離の取り方が、こちらを警戒させない距離だった。
ソウは声を出した。
「お前たちは誰だ」
声は震えなかった。
先頭の男が白い布の竿を後ろの女から受け取り、一度地面に立て掛けた。立て掛けたのは両手を空ける動作だった。両手を体の脇に下ろし、男は丘の上を見上げた。
「ベンだ」
男の声は低く短かった。
「妻のカヤ。長子のジン。末子のコノ」
ベンは指で順に示しただけで、それ以上は言わなかった。
「どこから来た」
「北の谷」
ベンが答えた。
「冬で——崩れた」
ベンの声には、それ以上の説明を求めない種類の短さがあった。崩れた、の一語の中に何人かが死に、何人かが散ったことが入っていた。四人で歩いてきたということは、四人だけが残ったということだった。
ソウは聞いた。
「何が欲しい」
単刀直入だった。あの夜のドルクへの問いと骨組みが同じだった。だが声色は別だった。ドルクへの声には威圧があり、ベンへの声にはただ確かめがあった。
ベンは答えるまでに一度だけ息を吐いた。
「ここに——入れてほしい」
ベンの声は乾いていた。
「働く。食う分は働きで返す」
言い終えて、ベンは口を結んだ。
言葉を足さなかった。足せば言い訳になることを、ベンは知っていた。
*
空き地の柵の内側で、ヨルがこちらの方へ歩いてきた。
昨日までは見ているだけだった。今朝の発話のあと、ヨルの足の運びは少しだけ変わっていた。ソウが柵の上から振り返ると、ヨルが二歩手前で足を止め、低く言った。
「あいつらの言葉は分かる」
ヨルが続けた。
「東の谷の言葉に似ている」
「北の谷と東の谷は近いのか」
ガランが横から低く聞いた。
「同じ尾根の、向こうと、こちら」
ヨルは答えた。
「言葉は混じる」
ガランがソウを一度見て、それから視線をベンの方に戻した。ヨルが通訳に立てるなら、こちらの問いも向こうの答えも伝わる。ヨルの一言は輪の中での自分の場所を一段だけ前に出した。
*
ソウは柵の上から、もう一度ベンの方に声を出した。
「条件を聞く」
ソウは続けた。
「ここでは刈り入れの最中だ。粒は——余りそうだが揉めもしている。お前たちが加われば口の数が四つ増える。働きの数も四つ増える」
ベンは頷いた。
「だが、ここの揉めごとにお前たちの言い分はしばらく出すな。聞くだけにしろ。形が決まるまで口を挟むな」
ベンはしばらく動かず、それから、はっきり頷いた。
「やる」
ベンの返事は一語だった。
その一語が低い声で空き地の方まで届いた。
空き地で、ムロが住居の入口の脇からベンの方を一度見た。サガが鎌の手入れを止めて、こちらを見た。アズが子の頭から手を離した。
「もう一つ」
ソウは続けた。
「子は働けない分は、こちらが食わせる」
言ってから、ソウは自分の声の中に誰の声が混じったかを感じた。今朝のアズの声だった。「子のいる者は、二人分必要だ」と言った声。あの声をソウは今、柵の上で自分の声の形に変えて、ベンの方に投げていた。
ベンはまた頷いた。一度。それから、もう一度。二度目の頷きは深かった。
「ありがたい」
ベンの声に、初めて感情の粒が入った。
*
ガランが柵から離れた。
離れて、空き地の中央の方へ歩いた。歩いていく背中に、ソウは一瞬わずかな違和感を覚えた。ガランの足の運びがいつもよりほんの少しだけ重かった。気のせいかもしれない。あるいは刈り入れ三日目の疲れの影かもしれない。ソウは違和感を頭の隅に置いたまま、振り返らなかった。
ガランは空き地の中央で、まだ仕事の手を動かしていない者たちに短く声を出した。
「四人入れる」
それだけ言って、ガランは座った。腰を落とす動きが、いつもよりわずかに遅かった。
誰も反対はしなかった。ムロもサガもヨルもアズも、口を開かなかった。今朝の揉めごとのあとで、口を開く順番をそれぞれが考えている顔だった。
*
ソウは柵の上からベンの方に声を出した。
「上がってこい」
四人は斜面を登り始めた。
先頭のベンが白い布の竿を地面から拾い、肩に担いだ。布はもう棒の先で水平に伸びてはいなかった。
カヤがベンの後ろに続いた。母らしき女の歩みは長い距離を歩いてきた者の歩みだった。膝の運びが、すでに自分の体ではない。だが目だけは——歩きながら、こちらの集落の柵の二段重ねや見張り台や、空き地の中央の焚き火脇の椀を順に見ていた。観察していた。観察の目を母らしき女が持っていた。
ジンが母の後ろをついてきた。十五ほどの背丈で、肩幅はベンに似て厚かった。畑の方角をジンは一度見た。穂の束が積み上がっている方角を目で測っていた。
末子のコノが最後だった。歩きながら首を上下左右に動かしていた。柵の上の貝殻警報を見て、見張り台の足場を見上げ、焚き火脇の椀に目を留め、それから地面の小石を一つ拾った。拾った小石をしばらく掌の上で眺めていた。
「これ、何?」
コノの声が丘の斜面の途中で、初めて空き地まで届いた。
誰も答えなかった。だが、ヨルがわずかに笑った。
*
四人が柵の門の前に着いた時、リアが見張り台の足場から音もなく降りてきた。弓は背に回したまま、手はベンの体に向けていなかった。
リアは門の脇に立ち、四人を一人ずつ見た。ベンの目を見た。カヤの目を見た。ジンの肩を見た。コノの掌の小石を見た。
最後にソウの方を一度振り向いた。
ソウは頷いた。
リアも頷いた。それから門の閂を片手で外した。
門が内側に開いた。
ベンが先に入った。
カヤが続いた。
ジンが母の手をわずかに支えるようにして続いた。
コノが最後だった。コノは門をくぐる時にもう一度、振り返って後ろを見た。後ろには自分たちが歩いてきた斜面と、その向こうの林の縁と、その奥の、もう戻れない北の谷の方角があった。
コノは振り返ったまま、しばらく動かなかった。
それから、向き直って、空き地の中へ歩を進めた。
*
ソウは柵の丸太から両手を外した。
外した手は震えてはいなかった。あの夜のドルクへの柵越しとは震えの有無で別の意味になっていた。
空き地で、ガランが座ったままベンの方に短く言った。
「あとで話す」
ベンが頷いた。
ヨルがコノの方に歩いていって、しゃがんだ。コノの掌の上の小石をのぞき込み、低く何か言った。コノがヨルの言葉に頷き、頷いたあとで笑った。
その笑いを見て、カヤが初めて肩から息を抜いた。
ソウは空き地の中央を見回した。
ガラン、ゴウザ、ムロ、サガ、リア、ヨル、イサ、ハル、トト、ナツ、トウカ、ノタ、アズ、ハナ、ダイ、ヒガ、ミラ、テツ、カナ、ノモ——指で数えるのをやめて、ソウは頭の中で四つ足した。
「四人、増えた」
ソウは小声で言った。声を出した相手はいなかった。
「三十一人になった」




