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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

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第50話「グラムの影」

 ドルクが去ってから、五日が過ぎた。

 二段目の柵が立ち始めて、ようやく半分まで来ていた。テツが薪用の丸太から十本を立て、ダイとハルが脇で穴を掘った。穴に丸太を立て、根元に石を詰める。間隔は前の柵の半分。一段目と二段目の隙間は、人が一人横になって入れるくらいだった。倒されても、二段目で止める。それが形だった。


 ヨルが東の谷から来た時に拾ってきた革ひもを、二段目の柵の上に渡し始めた。革ひもには、小さな貝殻の欠片を結びつけてある。風が当たると、低く鳴る。夜に揺すれば気づく。形のもう一つの層だった。

 ソウは柵の進みを見ながら、空き地の中央に座っていたガランのところに歩いていった。

 ガランは焚き火の脇で、革の防寒具の縁を畳んで膝に置いていた。革の防寒具は、もう要らない季節だった。畳んで、奥の小屋に仕舞う。それが、丘の春の終わりの動きだった。


「ナギに、伝令を出したい」


 ソウは座って言った。

 ガランは縁を畳む手を止めずに、低く言った。


「何を伝える」


「ドルクが来て、引いた、ということを」


 ソウは続けた。


「ナギに頼んで流した噂が、効いた。効いた、ということも、伝える。礼を、伝える」


 ガランは縁の最後の折り目をつけ、革を膝の上で軽く叩いた。叩く音は乾いていた。


「礼か」


 ガランは低く繰り返した。


「ナギが噂を流したのは、礼を求めてのことか」


「いえ」


 ソウは答えた。


「ナギは、礼を求めて流したのではない。だが、効いた、と知らせるのは、別の話です。次に頼みごとをする時のために、効いた、と一度伝える」


 ガランは首を一度動かした。


「ゴウザを行かせる」


 ガランは言った。


「ゴウザは前に往復している。道が分かる。日数も読める。明日の夜明け前に出して、二日目の夕方に戻す」


 それは、前と同じ手順だった。前と同じということは、形になり始めている、ということだった。



 夜、空き地の中央の焚き火の脇で、ガラン、ソウ、テツ、リア、ゴウザの五人が、また座った。

 形が固まりつつあるこの五人の集まりを、ソウは頭の中で「枝」と呼ぶようになっていた。族長の太い幹から伸びる、決め事の枝。決まった顔ぶれで、決まった形で、丘の動きを話す。


「ドルクは、引いた」


 ガランが、火を見ながら言った。


「だが、ドルクは、グラムではない」


 誰もすぐには答えなかった。火が一度爆ぜた。


「ドルクの背に、グラムがいる」


 ゴウザが低く言った。


「西の谷の向こうの族の中で、ドルクは、まだ大きい方ではない。グラムはもっと大きい。族民は、ドルクの倍。武人もそろっている。冬を越せた数も、ドルクより多い」


 ゴウザは続けた。


「ドルクが引いた話は、いずれグラムの耳に入る。煙の数が嘘だったかどうか。落とし穴がいくつあったか。丘に何人いたか。グラムは、それを聞いて、自分の頭で読み直す」


 ソウは火を見ていた。

 火を見ながら、ソウは前世の言葉の中の、どれかを思い出していた。奪うより、買う方が安い。安いと相手に思わせるのが、商いだ。商いという言葉は、丘にはまだなかった。だが、形は、ある。


「グラムが攻めて来ない理由を、作ります」


 ソウは口を開いた。


「攻めない方が、得だと、思わせる」


 ガランがソウの方を見た。


「奪うより、取引した方が、得だ、という形を、見せる。粒を、欲しがる相手には、粒を出す。代わりに、こちらが欲しいものを、もらう。猟場の知らせ、人手、別の谷の道。攻めて取れる物より、取引で取れる物の方が、多い、と相手に分からせる」


 ソウの声は静かだった。静かだったが、迷いはなかった。

 ガランは火を見たまま、しばらく答えなかった。

 答えない時間の中で、ソウはガランの首の動きを見ていた。首は前に落ちていなかった。


「すぐにはやらん」


 ガランは低く言った。


「だが、いずれ、やる」


 ガランは続けた。


「ドルクは、引いた。グラムが来るのは、明日でも、明後日でもない。来るとすれば、夏か、秋か、もっと先か。来る前に、形を整える」


 ガランは火から目を上げて、ソウを見た。


「お前が、形を考えろ」


 ガランは言った。


「俺は、ナギの伝令の戻りを見て、それから、決める」


 ソウは頷いた。

 頷いて、火に視線を戻した。

 火の脇でテツが、自分の手元の小さな石——昼に試した黒曜石の欠片——を、指の腹で回していた。リアは弓を膝の横に立て、火の方は見ずに、空き地の北の見張り台の足場の方を見ていた。



 翌朝、夜明け前に、ゴウザが出た。

 二度目の伝令だった。前の時よりも、出立は早かった。空はまだ暗く、東の縁にうっすらと白いものが立ち始めたばかりだった。ガランは柵の北の門の脇に立って、ゴウザの背を見送った。ソウもその脇にいた。


「二日後の夕方」


 ガランは低く言った。


「戻らなかったら、別の手を考える」


 ソウは頷いた。

 頷いてから、空き地の住居の方を見た。住居の奥は、まだ静かだった。バアの咳の音は、夜のうちに二度聞こえた。一度目は短く、二度目は長かった。長かった方の咳は、止まったあとに、しばらく息の音もしなかった。

 ソウは、その音を覚えていた。

 覚えていたが、ガランには言わなかった。



 二日目の昼、ソウは薬草の煎じを陶器の小鉢で作って、住居の奥に運んだ。

 住居の入口の革幕を、ソウは静かにめくった。中はうす暗く、奥の寝床にバアが横になっていた。革の毛皮を肩までかけ、目は閉じていた。閉じた瞼の下の眼球の動きは、止まっていた。寝ているのか、起きていてただ目を閉じているのか、ソウには分からなかった。


 近づいて、寝床の脇に膝を折った。

 ソウが小鉢を寝床の脇の板の上に置く音を、バアは聞いた。聞いて、ゆっくり目を開いた。


「……ソウかい」


 バアの声は、低く、薄かった。


「煎じてきました」


 ソウは答えた。


「飲めますか」


 バアは答えなかった。代わりに、半身を起こそうとした。起こそうとした腕が、毛皮の縁で一度止まった。止まってから、ゆっくり、ほんの少しだけ起きた。半身まで起こすのに、いつもの倍の時間がかかった。

 起こしてから、バアは小鉢を両手で包んだ。包んだ手は、震えていた。


「効くかのう」


 バアは言った。


「お前が言うと、効く気がするよ」


 それは、吹雪明けの時の言葉と同じだった。同じ言葉だったが、声の薄さは、その時より進んでいた。

 ソウは答えなかった。答える代わりに、バアの手の震えが止まるまで、寝床の脇でじっと待った。

 バアは、二口飲んだ。三口目を口に運ぼうとして、咳が出た。咳は短かったが、二つ続いた。続いた咳のあと、バアは小鉢を寝床の脇に置き、寝床に背を戻した。


「あとは、また、後でね」


 バアは言った。


「今は、もう、いいよ」


 ソウは小鉢を一度、寝床の脇に揃え直した。

 揃え直した手で、バアの掌に、一度触れた。バアの掌は、温度がいつもより低かった。低かったが、まだ、温かさは残っていた。


「また、来ます」


 ソウは低く言った。

 バアは目を閉じた。閉じた瞼の縁が、わずかに動いた。返事の代わりだった。



 二日目の夕方、ゴウザが戻ってきた。

 戻ってきたゴウザは、前の時と同じ顔色で、同じ歩幅で、北の門をくぐった。粥を二口飲んでから、空き地の中央で、ガランとソウに向かって短く言った。


「伝えた」


 ゴウザはそれだけ言ってから、続けた。


「ナギは、聞いた。ナギは、こう言った。『次に来た時には、また話そう。礼は、いらん。だが、もし、お前たちが粒を分けるなら、その時に、別の話を、する』」


 ゴウザの声は、武人の声だった。必要なことだけが入っていた。

 ソウとガランは、目を合わせた。


「別の話、か」


 ガランは低く繰り返した。


「ナギの方も、形を考え始めている、ということだな」


 ソウは頷いた。

 頷きながら、ソウは思った。ナギは、ドルクが引いたあとの丘を、もう、ただの食料の出所として見ていない。ナギの方も、丘との関係を、別の形に進めようとしている。

 形は、こちらの頭の中だけで進むのではない。

 あちら側の頭の中でも、進む。

 形が、動き出している。



 夜、ガランがソウに言った。

 ガランの声は、いつもより低かった。低くなった声で、ガランはソウに向かって、短く言った。


「ソウ。お前にもう一つ、向き合わなければならんことがある」


 ソウは火を見ていた目を、上げた。

 ガランはソウの目を、まっすぐ受けた。受けてから、住居の方を、一度見た。

 住居の奥は、暗かった。

 暗い住居の奥から、咳の音が、低く一つ、聞こえた。

 一つで終わらなかった。二つ、三つ、と続いて、それから、止まった。止まったあと、しばらく、何も聞こえなかった。


 ガランはそれだけ伝えてから、自分の場所に戻った。

 ソウは焚き火の脇に座ったまま、住居の奥の暗がりを、しばらく見ていた。

 守りの形は、外に向かって、立ち上がっていた。立ち上がりながら、内側の別の形が、静かに、終わりに向かっていた。

 ソウは、その両方を、同時に見るしかなかった。

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