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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

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第49話「守りの形」

 ドルクが去って、二日が過ぎた。

 空き地の朝の動きは、撃退の前と同じ形に戻っていた。粥の鉢が回り、ナツが石臼を回し、ヨルとハルが第二の畑の畝切りに戻っていた。戻っていたが、戻り切ってはいなかった。誰かの目が時々、林の縁の方に流れて、戻ってきた。


 ソウは空き地の南の柵の脇に立って、その目の流れを数えていた。

 数えるほどには多くはなかったが、一日に一人につき二度か三度はあった。林の縁を見て、戻ってきて、また粥を食べる。それが、撃退の二日後の丘の朝の形だった。


「絵は終わったが、形は残ったな」


 ガランがソウの脇に来て、低く言った。


「ドルクは引いたが、引いた先で、何を考えているかは分からん。煙が嘘だったと気づくか、気づかぬか。気づいた時に、また来るか、来ぬか」


 ガランの声は急いではいなかった。急いでいないということは、急がないと決めた、ということだった。


「次に来る前に、形を作る」


 ガランは続けた。


「策ではない。形だ。次の二十人が来た時にも、その次の三十人が来た時にも、丘がいつも同じ形でいられるように」


 ソウは頷いた。

 頷いてから、自分の頭の中で、夜の焚き火の絵をもう一度引いた。今度の絵は、踏まれて消える絵ではなかった。残す絵だった。



 夜、焚き火の前に、五人が集まった。

 ガラン、ソウ、テツ、リア、ゴウザ。前の絵の時と同じ顔ぶれだった。違うのは、ソウが地面に枝を持ち出さなかったことだった。

 今度は言葉だけで足りる、とソウは判じた。絵を引かずに済むなら、引かない方がいい。形は、頭の中に残す。


「三つだ」


 ソウは口を開いた。


「柵を厚くする。見張りを常に置く。来た時に丘の全員に伝わる仕組みを作る」


 ソウは指を一本ずつ立てて続けた。


「柵は、今ある四十本の内側に、もう一列を作る。間隔を半分に。倒されても、二段目で止める」


 テツが頷いた。


「丸太は揃う。冬の薪用に積んだのが、まだ三十本ある。間に合う」


「見張りは、昼を二人、夜を二人」


 ソウはもう一本指を立てた。


「昼は、見張り台と柵の南西の角。夜は、見張り台と空き地の中央の焚き火の脇。一人で長く立たない。半刻で交代する」


 ガランが頷いた。半刻で交代、というところで、わずかに首が動いた。一人を疲れさせない、という意味を、ガランは取った。


「警報は、何で鳴らす」


 ゴウザが低く言った。狩りの男の声だった。獣を呼ぶ笛と、人を呼ぶ笛の違いを、ゴウザは知っていた。


「鐘がない」


 ソウは答えた。


「だから、二つの音を作る。木を打つ音と、声だ。見張り台の脇に、乾いた木の板を吊る。叩けば乾いた音が鳴る。林の梢の上に届く。声は、ナツが上手い」


 リアが小さく頷いた。ナツの三日目の朝の声を、リアは覚えていた。


「板は俺が作る」


 テツが言った。


「明日の昼までに、板と打つ棒を一組。柱は、見張り台の北の角の横木に吊るす」


 ガランは三人の話を聞き終わってから、低く言った。


「形になる」


 ガランの声は満足を含んでいなかったが、不足も含んでいなかった。形を聞いて、形のままに受け取った声だった。


 それから、ガランはリアの方を見た。

 リアは焚き火の方を見ていて、ガランの目には気づかない振りをしていた。気づかない振りをするほどには、リアもガランの方を意識していた。


「リア」


 ガランは呼んだ。


「お前が、見張りと弓を束ねろ。昼の二人と夜の二人。誰を立てるかはお前が決める。交代の時刻もお前が決める。弓の手入れと矢の数もお前が見る」


 リアは焚き火から目を上げた。上げた目は、ガランをまっすぐ見たわけではなかった。ガランの顎の下のあたりを見ていた。


「分かった」


 リアはそれだけ言った。

 軽口は出なかった。冗談も出なかった。リアは焚き火の脇に置いていた弓を肩に取り直し、立ち上がって、ガランの前に半歩近づいた。


 ガランが、自分の腰に下げていた小さな革袋を外した。

 袋には、見張り台の梯子の縄を結ぶ時に使う節の細工——獣の角の小さな環——が入っていた。古い、ガランが族長になった頃から腰に付けていた物だった。リアもそれを見て育っていた。

 ガランはその袋を、リアの掌に置いた。


「これは、見張り台のものだ。見張り台のものは、見張りを束ねる者が持つ」


 リアは袋を受け取った。

 受け取った掌の中で、袋の革のささくれの感触を、リアは一度確かめた。確かめてから、自分の腰の革ひもに袋を結びつけた。結ぶ手の動きは、迷わなかった。

 迷わなかったが、ゆっくりだった。

 結び終わってから、リアは小さく頷き、もう一度焚き火の脇の場所に座った。座って、弓を膝の上に横たえた。


 ガランは何も言わずに、自分の場所に戻った。

 ソウは、二人の動きの全部を見ていた。

 見ていた目の中で、ソウは思った。リアは、もう、軽口を返す場所にはいない。リアの方も、戻る気がない。撃退の翌日に置かれた言葉と、今夜の革袋は、別の物だが、同じ場所にある。



 翌朝、ソウは道具小屋の前で、テツと並んで立っていた。

 道具小屋の壁に立て掛けてあった石の矢じりの束が、テツの目の高さにあった。テツは束の中の一本を抜き、指の腹で先を確かめた。


「石は、よく欠ける」


 テツは言った。


「ドルクの足元に刺さった矢じりも、回収したら先が割れていた。地面の固いところで一回当たれば、もう同じ形では使えない」


 テツの指は石の矢じりの欠けた縁を、何度かなぞった。


「もっと、鋭くて、もっと、硬いやつが、いる」


 テツの声は、低かった。

 ソウはその声に、覚えのある形を聞いた。窯の覆いの脇でテツが言った『もっと熱い火が、作れたら。石より硬い、何かが、作れる気がする』の、続きの音だった。今は窯ではなく矢じりだったが、欲しているものは、繋がっていた。


「黒曜石なら、鋭くなる」


 ソウは答えた。


「割れた縁が、刃物のように薄く尖る。石より、薄く、鋭く、硬い」


「黒曜石」


 テツは繰り返した。繰り返したのは、聞き覚えのない音を、舌の上に置いて確かめる動きだった。


「どこにある」


「南の谷の向こうの河原」


 ソウは答えた。


「ナギに、聞いた。ヨルが東の谷から来る途中で、見たそうだ。黒い、艶のある石が、河原の縁に転がっていた、と」


 テツの目が一度、空き地の方に流れた。流れた先で、ヨルが第二の畑の畝の脇でハルと話していた。


「ヨルに聞く」


 テツは言った。


「場所と、量。今すぐは行けないが、形を覚えておく」


 テツは石の矢じりの束を、もう一度壁に立て掛けた。立て掛けてから、束の脇に並べてあった黒い石の塊——焚き火の火打ち石として小さく削っていた、艶のある石——を、一つだけ手に取った。

 手の中で、テツは石を回した。回しながら、石の角を爪で押した。爪が滑る。爪が、滑った先で、石の縁の薄いところが、ほんの少しだけ、欠けた。欠けた縁が、光った。


「これか」


 テツは低く言った。


「これは——うん、これは、効く」


 テツの声には、いつもの欠片が戻っていた。窯の覆いの前でテツが言った『効く』の、同じ音だった。違うのは、今度は火ではなく、石の縁を見ていることだった。


「試作してみる」


 テツは言った。


「石の矢じりと並べて、何本か。鋭さの限界を見たい」


 ソウは頷いた。

 頷きながら、ソウは思った。テツの欲しいものは、いずれ石を超えて、石ではない何かに届く。今日はまだ石だが、その石は、石より硬い何かへの、半歩だった。



 昼、見張り台の北の角に、テツが板を吊した。

 板は乾いた樫の薄い切れ端で、縦に二尺、横に半尺の大きさだった。打ち棒は同じ樫の枝を削ったもので、テツが板の脇に紐で結んで下げた。

 吊し終わってから、テツは台の足場から半歩降りて、リアに向かって声を上げた。


「リア。鳴らしてみろ」


 リアは梯子の下に立っていて、テツの声に頷いてから、足場に上った。上って、打ち棒を手に取り、板の中央を一度叩いた。

 乾いた、高い音が空気を切った。

 音は林の梢の上を越えて、丘の北の斜面の方へ、はっきりと届いた。空き地の全員が、手を止めて、見張り台の方を見た。


 リアはもう一度叩かなかった。一度で、形は確かめられた。

 足場から降りて、リアは打ち棒を板の脇に戻した。戻した手で、自分の腰の革袋に、一度だけ触れた。



 夜、ソウは柵の脇に立っていた。

 立った場所は、撃退の夜の場所と同じだった。違うのは、隣に、二段目の柵の丸太が積み上げ始められていたことだった。テツが昼のうちに薪用の三十本のうちの十本を運び、柵の内側半歩のところに並べていた。明日には、間隔を半分にして立て始める。


 空には、星が出ていた。

 星の下で、見張り台の足場に、ヒガとヨルが並んで立っていた。最初の夜の見張りだった。リアが二人を選び、半刻で交代と決めた。リアは交代の時刻を、自分の腰の革袋の感触で覚えるつもりらしかった。袋に触れて、半刻と決めた長さを、体で測る。


 ソウは星を見て、それから、空き地の住居の方を見た。

 住居の奥のどこかで、咳の音が小さく聞こえた。

 バアの咳だった。一つでは終わらなかった。二つ、三つと続いて、それから、止まった。止まったあと、しばらく息の音もしなかった。少しして、また小さく息の音が戻った。


 ソウは柵の丸太に手を置いて、しばらくその音を聞いていた。

 手を置いた丸太の冷たさを、ソウは指の腹で覚えた。


 守りは、形になり始めていた。

 形になり始めた守りの内側で、別の終わりが、静かに進んでいた。

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