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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

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第5話「アムを探して」

 翌日から、ソウは支流沿いを歩き始めた。


 目的は、穂をつけた野草を探すことだ。前世の記憶にある麦や稲そのものが、この世界にあるとは思っていない。だが、禾本科の植物なら、きっとどこかにある。食べられる種子をつける草は、自然界に必ず存在する。


 問題は、体力だ。


 朝、集落を出て川沿いを半刻歩いただけで、ソウは膝に手をついて休まなければならなかった。足の筋肉が燃えるように痛んだ。息は、ずっと浅い呼吸になっている。


 ——情けない。


 ソウは前世で、大学院までほぼ運動をしなかった。その報いが、この世界の体にまで引き継がれている。


 それでも、歩いた。


 歩かなければ、種は見つからない。

 見つからなければ、何も始まらない。



 三日目の朝、支流沿いを歩いているソウの横を、リアが通り過ぎた。


 リアは、肩に矢筒を背負い、手には弓を持っていた。朝の狩りに出る途中だった。


 リアはソウを横目で見た。


「何してるの」


「……草を、探している」


「草?」


「食べられる種子をつける草だ」


 リアは足を止めた。

 眉をひそめて、ソウの顔をまじまじと見た。


「お前、まだその話、続けてるの?」


「続けている」


「族長に却下されたんでしょう」


「却下された。でも、一人でやれと言われた」


 リアは呆れたように大きく息を吐いた。


「……馬鹿じゃないの」


 それはいつもの毒舌だった。


 だが、リアは、その場をすぐには離れなかった。


「お前、体力もないくせに、毎日どこまで行く気なの」


「……行けるところまで」


「倒れても、誰も拾いにこないよ」


「わかってる」


 リアは、もう一度、呆れた顔をした。


 そして、何も言わずに、朝の狩場の方へ歩いていった。


 だがリアは——去り際に一度だけ、振り返った。


 ソウには、その視線が何を意味しているのか、わからなかった。軽蔑にしては、少しだけ柔らかかった。心配にしては、少しだけ硬かった。


 ——ただ、見られている。


 それだけが、確かなことだった。



 発見は、五日目の午後にあった。


 支流の少し上流の、小さな入り江のような湿地帯。普段、狩人は通らない場所だ。獣が少なく、歩きにくい。


 そこに、腰の高さまである群生地があった。


 細い茎の先に、小さな穂。

 穂には、硬い外皮に包まれた粒がびっしりとついていた。


 ソウは膝をついた。


 一本の穂を、そっと指で挟んだ。

 外皮を歯で割った。

 中から、乳白色の小さな粒が出てきた。


 前世の麦でも、稲でもなかった。

 大きさは稗に近い。形は粟に近い。だが、前世のどの穀物とも、完全には一致しない。


 噛んでみた。

 渋みがあった。生のままでは食べにくい。

 だが、粉にして水と練れば——食える。


 ソウは膝をついたまま、小さく息を吐いた。


「……アム」


 思わず、そう口にした。


 ガラの民の言葉で「粒」を意味する言葉だった。


 前世の「麦」や「稲」という名前は、この世界には似合わない。この世界で見つけた穀物には、この世界の名前を与えるべきだった。


 アム。


 口に出すと、自分の声が少し震えていることに気づいた。



 集落に戻ると、バアが薪を束ねていた。

 ソウの手に握られた穂の束を見て、バアは手を止めた。


「それは、何じゃね」


「食べられるかもしれない、粒です」


 バアは穂を受け取り、指で外皮を剥いた。中から出てきた小さな粒を、じっと見つめた。


「……見たことがある」


「え?」


「この草は、あちこちに生えとる。誰も食わんがな。硬くて、渋くて、鳥しか食わんからの」


「俺は、これを食えるようにしたい」


 バアは、ソウの顔を見た。

 それから、小さく笑った。


「面白いことを考える子じゃ」


「バア、他に同じ草が生えている場所を知っていますか」


「知っておるよ。薬草を集めるついでに、見かけておるから」


 バアは指で地面に簡単な地図を描いた。支流の上流、北の丘の裏、東の林の縁。三箇所、アムの群生地があるという。


 ソウは、その情報の価値を、すぐに理解した。


 前世の自分が一ヶ月かけて探しても、三箇所は見つけられなかっただろう。この世界で薬草を集めて六十年以上歩いてきたバアの頭の中には、ソウの知らない地図が広がっている。


「ありがとうございます」


「礼には及ばん。教えただけじゃ、手は出さん」


「それで十分です」


 バアは穂の束をソウに返した。


「ただ一つだけ、聞いてやろう」


「はい」


「お前がやろうとしとること——成功したら、何が変わる」


 ソウは少し考えてから、答えた。


「……誰も、飢えて死ななくて済むようになります」


 バアは、それを聞いて、しばらく黙った。

 遠くの空を見ていた。


「……そうかい」


 それだけ言って、バアは薪を束ね直し始めた。


 だがソウには、バアの背中が、いつもより少しだけ小さく見えた。



 次の問題は、蒔く場所だった。


 ソウは前世の知識を整理した。麦や粟に近い穀物なら、水はけの良い土地を好む。だが、ある程度の水分は必要だ。理想は、川の近くの沖積地。川が氾濫した時に運んできた細かい土が積もり、養分が豊かで、水も近い。


 支流の、少し内側に入った平らな地面。

 陽当たりがよく、排水もそこそこ。

 前世の教科書で「初期農耕地に適している」と書かれていた条件に、かなり近い場所があった。


 ソウはそこを、頭の中で畑と呼んだ。


 その夕方。

 テツがソウの横にやってきた。手には、改良した石器。


「何見てるんだ」


「畑になる場所」


「畑?」


「種を蒔く場所のことだ」


 テツはその場所を見渡した。


「広いな」


「最初はもっと狭くていい。半分、いや、もっと小さくていい。二人で耕せる範囲だけ」


 テツは少し考えてから、地面に自分の足で線を引いた。


「この線から、あっちまで」


「それくらいでいい」


「じゃあ、明日から整地するか」


「やろう」


 テツは、それだけ言って、石器を肩に担いだ。


「……面白いな」


 そう呟いて、にっと笑った。


 ソウは頷いた。



 その夜、ソウは焚き火の前で、ガランに話しかけた。


「ガラン」


「何だ」


「川沿いの、東の平地に、小さく畑を作ります」


 ガランは、穂の束を見た。

 それから、ソウの顔を見た。

 長い沈黙があった。


 ゴウザが横から「また始まった」というように舌打ちしたが、ガランは反応しなかった。


「——本当に、やるのか」


「やります」


 ガランは、ゆっくり頷いた。


「そうか」


 それだけだった。

 許可ではないし、応援でもなかった。


 だが——

 その「そうか」の中に、反対の色は、なかった。


 ソウにとっては、十分だった。



 寝床に戻る前、テツが横で欠伸をしながら言った。


「冬が来るぞ」


「ああ」


「種、蒔くのは春だろう?」


「春だ。それまで、種を保つ方法を考える」


「保つ?」


「湿気で腐る。虫に食われる。それを防がないと、春まで持たない」


 テツは小さく唸った。


「……また、面白いことを考えてるな」


 ソウは笑わなかった。

 笑う代わりに、焚き火の向こうの闇を見た。


 ——冬が来る。


 種を抱えて、南の低地へ移動する。

 その道中は、ソウの体力にとって、最初の大きな試練だった。

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