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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

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第42話「ナギの部族」

 バアの言った七日目に温かい風が吹いた。

 吹いたのは朝のうちだった。風は南からゆっくりと丘の上を撫で、北の林の方へ抜けていった。雪原の上に張っていた薄い氷が、その風の通り道で、音を立てて割れた。

 昼前には、空き地の南側の雪が、踏むとぐずりと崩れる柔らかさになった。

 ガランは焚き火の脇で立ち上がり、空の南側を、長く見ていた。

「七日だな」

 ガランは誰にも言わなかった。



 その昼過ぎだった。

 南の見張り台に立っていたヒガが、丘の下の方を指差して声を上げた。

「来るぞ」

 ヒガの声は警戒の声でも怯えの声でもなかったが、いつもの声でもなかった。

 空き地にいた者が、それぞれ手を止めた。ソウは粘土壁の補修跡を確認していた手を下ろし、リアは弓の弦を張り直していた手を弦から離した。テツは脇に立て掛けてあった石斧の柄を、軽く握り直した。

 ガランが、空き地の中央に立った。

「何人だ」

「五人。痩せておる。武器は持っておるが構えていない」

 ヒガは見張り台の上から、続けて言った。

「先頭は年嵩の男。後ろの一人は子供だ」



 現れた男は丘の下からゆっくりと登ってきた。

 四十代の半ば過ぎだろう。頬は痩せ、痩せているだけではなくそげていた。皮の下の骨の形が頬の輪郭の代わりになっている。背はガランよりやや低く、革の防寒具は肩のあたりが擦り切れていた。腰には短い槍を提げていたが、男はそれを抜こうとはしなかった。

 男の後ろに四人が続いた。一人は同じくらいの年の男で目の下に深い隈があり、一人は若い女で両手で布の包みを抱えていた。一人は十代の少年で頬が赤く唇が乾いており、一人は十歳に届かないほどの子供だった。子供の手は若い女の腰の革に握り込まれている。

 五人とも皆、痩せていた。

 冬を越せなかった顔だった。


 先頭の男は、空き地の手前で一度足を止めた。

 止めてから、後ろの四人を軽く振り返り、頷いた。それからガランの方へ向き直り、もう一歩前に出た。

「私は、ナギ」

 男は言った。声は低く、掠れていたが、芯は保たれていた。

「東の谷の向こうの族の長だ。族民は、もとは十二人。冬を越して五人残った」

 ナギはそれだけ言って、口を結んだ。

 言ったあとで、ナギの目が後ろの子供を一度確かめ、それから、ガランの方に戻った。


 ガランは答えなかった。

 答える代わりに、ナギの後ろの四人を順番に見た。子供の手の握り方を見て、若い女の抱えた包みの位置を見て、十代の少年の唇を見て、年嵩の男の目の下の隈を見た。

 全部見終わってから、ガランは口を開いた。

「ここで待て」



 ガランがソウを住居の脇に呼んだ。

 離れた場所だった。空き地のナギたちには、声が届かない場所だった。

 ガランはソウの顔を見て、低い声で言った。

「お前の判断を聞く」

 ソウは息を吸った。

 ナギの一族の姿が、頭の中でまだ残っていた。子供の手の握り込み方。若い女の包みの抱え方。

「食料を求めに来ています」

 ソウはそう言った。

「武器は持っているが抜かなかった。族民を後ろに置いている。あの位置は、戦いの位置ではありません」

「それは、わしも見た」

 ガランは頷いた。

「で、どうする」

 ソウは考えた。

 備蓄の壺は半分どころか、底の方に薄く広がるだけになっていた。あと七日もたない、とナツが言った。だが種袋は別だった。種袋は、奥の乾いた場所に吊るしてあり、そこに手をつけてはいけない。畑に蒔く粒だ。

 ソウは口を開いた。

「今ある粒の半分を出しましょう」

「半分か」

「半分です。ただし、ただ渡すのではありません」

 ガランはソウの顔を見た。



 ソウはガランの脇から、ナギの前に出た。

 ナギの背は、近くで見るとソウよりやや高かったが、目の高さは、ソウの目と同じくらいに落ちていた。

「俺は、ソウ」

 ソウは自分の名を先に言った。

「粒を分ける。だが、ただでは分けない」

 ナギの目がわずかに動いたが、口は結んだままだった。

「交換しよう」

 ソウは続けた。

「食料と引き換えに、二つ欲しいものがある。一つはお前たちの知っている、良い猟場の場所。一つは——」

 ソウは息を一度整えた。

「人手を」


 ナギは答えなかったが、肩がわずかに動いた。動いてから、ナギは後ろを振り返り、四人を長く見た。

 若い女が、子供の手を握り直した。

 十代の少年が、唇を舐めた。

 年嵩の男は、ナギの背中を見ていた。

 ナギは向き直った。

「人手とは何だ」

 ナギは聞いた。

「畑を耕す手だ」

 ソウは答えた。

「お前たちがここで暮らすことを認める、という意味だ。冬を越せたのは、ここに家があったからだ。畑があったからだ。次の冬まで、ここで共に作る。それが人手だ」


 ナギはもう一度、後ろを振り返った。

 今度は年嵩の男が、わずかに頷いた。若い女も子供の手を握ったまま頷き、十代の少年はナギの目を見つめ返した。

 ナギはガランの方へ向き直った。

「あんたが、長か」

「わしが長だ」

「あんたの若いのが決めるのか」

「わしが聞いた」

 ガランは低く答えた。

「だが、決めるのはわしだ。——いいか」

 ガランの最後の一言はソウに向けられていた。

 ソウは頷いた。


 ガランは、ナギの方に向き直った。

 向き直った時のガランの背は、いつもよりわずかに高かった。低い声で話す時のガランの首は普段、軽く前に落ちている。今は落ちていなかった。

「決まりだ。猟場と人手と引き換えに、粒を分ける。冬の間、ここの家を使え。次の冬までは共に、種を蒔き、刈る」

 ナギはその場で、深く頭を下げた。

 誇りを保ったままの頭の下げ方だった。下げたあとで、ナギはゆっくりと頭を上げた。上げた目は、潤んでいなかった。

「分かった」

 ナギはそれだけ言った。

 後ろの四人が、ナギに続いて頭を下げた。子供だけは母親の腰の革を握ったまま、頭は下げなかった。だが母親の腰の高さに合わせて、子供の頭も自然に下がっていた。



 ナツが住居の奥から、粒を入れる革袋を運んできた。

 袋の中の粒を、別の袋に半分移した。移しながら、ナツは自分の指を一度口の前に当て、すぐに外した。

 ナギの一族は、空き地の脇でその作業を見ていた。

 子供だけが、空き地の中央の焚き火の方を見ていた。火を見ているのではなく、火の脇に置いてあった粥の鉢を見ていた。

 カナがその視線に気づいた。

 カナは粥の鉢を持って、子供の前にしゃがんだ。

「食べる?」

 カナは言った。

 子供は母親の方を見上げた。母親は軽く頷いた。子供は両手で鉢を受け取り、口をつけてから、子供の目から水がこぼれた。泣き声は立てなかった。



 夜、空き地の焚き火の周りに、二十八人が座っていた。

 ガランは火の脇で、しばらく何も言わなかった。それからソウの方を軽く見て、火に視線を戻した。

「お前が、最初の年に言ったな」

 ガランは低く言った。

「土に種を埋める、と」

 ソウは答えなかった。答える必要がなかった。

「あの時、わしは聞いた。何のためかと」

 ガランは続けた。

「お前は食べ物を作る、と言った」

 火が一度ぱちりと鳴った。鳴った音の余韻が消えるのを、ガランは待った。

「今日、その意味が分かった」

 ガランはナギの一族の方を見なかった。火を見ていた。

「食べ物は——力だ」

 ガランはそれだけ、言った。

 言ったあとで、もう何も続けなかった。


 ソウは自分の膝の上で、両手を軽く組んでいた。

 組んだ手の中で、指の先がわずかに温かかった。

 前世で読んだ本の中に、あった気がする。交易が文明を加速させる、とある書き手が書いていた。書き手の名前も本の題も、ソウはもう思い出せない。だが、その一行の意味が、今、目の前で起きていた。

 粒と猟場と人手が、交換された。

 交換された結果、ガラの丘には、五人増えた。


 二十三人で定住し、冬を越した。

 二十八人で、次の春の種を蒔く。



 夜の遅く、ソウは住居の外に立った。

 南の風は、まだ止んでいなかった。雪解けの匂いが、空気の中に残っていた。

 住居の屋根の煙は、五本のままだった。ナギの一族は、空き地の脇のガランの古小屋にまとめて入っており、古小屋の屋根の隙間から、薄い煙が新しく立ち上がっていた。家ではなく小屋だったが、屋根があり、火があった。それで足りた。

 ソウはその煙を、しばらく見ていた。


 定住で冬を越した。

 越したあとに、交易が来た。

 来てしまえば、それはもうガラの丘の暮らしの一部だった。粒と猟場と人手が交換できることを、丘の上の二十八人はもう知ってしまった。一度知ったことは、忘れる前に暮らしの形を変えていく。古小屋の屋根の薄い煙は、その最初の形だった。


 二十八人で蒔く。

 ソウは口の中で、そう呟いた。呟いた声は、誰にも届かなかった。届かなかったが、ソウの足元の方角に、煙はわずかに靡いていた。

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