第40話「悪くない冬だ」
バアは七日目に起き上がった。
寝床の上で半身を起こし、毛皮を肩に巻き直して、入口の革幕の隙間から外の雪を見た。
「だいぶ、明るくなったのう」
バアはそれだけ言って、また少し横になった。
十日目には薪小屋の脇まで歩いて、乾いた薬草の束を自分で並べ直した。並べ直しているあいだ、何度か手を止めて、息を整えた。
動けるようにはなったが、起き上がる前のバアと、起き上がったあとのバアは同じではなかった。
咳の頻度は、薬草を煎じる前より確かに増えており、歩く速度も少しだけ遅くなっていた。手の中の薬草の束を持つ時間が、以前より短くなっていた。
ソウはそれを口にしなかった。
バア自身が口にしなかったからだ。
*
冬の半ばが過ぎた。
備蓄の壺の蓋をガランが開けて中を覗き込んだ。
粒は壺の中で入れた時のままの色をしており、湿気もなく、鼠の跡もない。蓋を閉めた時に、隙間を粘土で塞いだのが効いていた。
ガランは中を覗いてから蓋を戻し、もう一度、粘土で隙間を埋め直した。
「半分はまだある」
ガランは振り返らずにそれだけ言った。
「春までは、もつ」
ソウは頷いた。
去年の冬、族民は、数えるたびに減っていく燻製肉と、底の見え始めた革袋の中の粒を、毎日確かめていた。確かめるたびに、誰かの顔が暗くなった。
今年は誰も毎日は確かめない。確かめなくても、壺の中にある。
ある、と分かっていることが、暮らしの形を変えていた。
*
狩りも続いていた。
冬場の獣は少なく、動きも鈍く、痩せている。それでもゴウザは、三日に一度は何かを担いで戻ってきた。
ある日は痩せた小鹿、ある日は罠にかかった野兎が二羽、ある日は雪の上を彷徨っていた、老いた雌の獣。
ゴウザは戻るたびに、空き地の脇で皮を剥ぎ、肉を切り分けた。手の動きはいつもの通り、無駄がなかった。
ダイとヒガが脇についた。テツはゴウザの切り分け方を、横で見ていた。
誰もゴウザに「ありがとう」とは言わなかった。だが肉が分けられて、それぞれの住居に運ばれていく時、ゴウザの脇を通る者は皆一度ずつ、ゴウザの背中の方を見た。
*
夜、空き地の中央の焚き火の周りに何人かが集まった。
ガランがいた。テツがいた。リアもいた。ナツが煮た肉と粥の鉢を、火の脇に置いた。
ゴウザが少し離れた場所に座っており、膝の上に剥ぎ終えたばかりの皮を、たたんで載せていた。
話す者はいなかった。
火が時々弾ける音だけが、聞こえていた。
ゴウザが鉢の一つを引き寄せた。
粥だった。バアの薬草の葉が少しだけ入っている。
ゴウザは木の匙で、一口口に運んだ。噛む音はしなかった。粥は噛むほどの硬さはない。
ゴウザはもう一口口に運んでから、しばらく火を見ていた。
「……悪くない、冬だ」
ゴウザは低く言った。
誰もすぐには返さなかった。
ゴウザは鉢の縁に自分の指を一度当ててから、また火の方を見た。
言ったあとで、付け足すような言葉はなかった。
ガランは火を見ていた。テツも火を見ていた。リアは自分の鉢の中の粥を、匙でゆっくりとかき混ぜていた。匙はいつもより、長く回り続けた。
ナツが粥の鉢を持ったまま二度瞬きをし、それから、自分の鉢を見た。
誰もゴウザの方を見なかった。
だが空き地にいた全員が、ゴウザの言葉を聞いていた。
ガランがようやく口を開いた。
ガランの口から出たのは言葉ではなく、一度深く息を吐いただけだった。吐いた息が、火の上で白く揺れて消えた。
言葉にしなかったことが、ガランの返事だった。
*
ソウは焚き火の縁から少し離れた場所に座っていた。
最初の春、種を蒔いた畑の前で、ゴウザは笑った。
「土に種を埋める。それで食えるようになると本気で思っているのか」
あの笑い方を、ソウは覚えていた。
収穫の年、第二畑に立った穂を見て、ゴウザは何も言わなくなった。
その次の年、ゴウザは自分の手で鎌を取った。誰にも頼まれずに、最初の畝の前に立った。
冬の前、グラムについてゴウザは長く語った。語った内容は嘲笑ではなく、守る側の顔だった。
そして今夜。
「悪くない、冬だ」
ゴウザはそう言った。
ソウは自分の膝の上で、右の拳を小さく握った。
握った拳を誰にも見せず、火の手前にも出さなかった。膝の毛皮の下に、握ったまま留めた。
声にも出さなかった。
声を出せば、ゴウザの言葉の重さが軽くなる気がした。
火がまた一度弾けた。
粥の湯気が、火の上をまっすぐに昇っていった。
*
反対側の住居の方から、カナが粥の鉢を両手で抱えて歩いてきた。
カナは焚き火の周りをひと回りして、ナツの脇を通り、テツの脇を通り、ガランの脇を通り、それぞれの鉢に、自分が抱えてきた鉢から少しずつ粥を足した。
「みんな」
カナは火の脇に立って両手の鉢を軽く傾けた。
「温かいね」
カナは笑った。
ゴウザの脇を通る時も、カナは同じ仕草で、ゴウザの鉢に粥を足した。ゴウザはカナの方を見て、軽く頷いた。それだけだった。
カナは焚き火の前に戻ってきて、自分の革袋からもう一握りの薪を取り出して、火の脇に置いた。
「春が来るよ」
カナは言った。
「もうすぐ」
カナの「春が楽しみだね」は、覚えている者が何人もいた。
最初の石鍬を見て、最初の畑が芽吹いた時、最初の祭りで貝殻の首飾りを巡らせた時。カナは何度も同じ調子で、春を口にしていた。
今夜のカナの「春が来るよ」は、その続きの一つだったが、誰も聞き流さなかった。
ソウは膝の上の拳をほどき、その手を火の方へ軽くかざした。掌の腹が、少しだけ温まった。
リアが自分の匙をようやく止めた。
止めた匙を鉢の縁に置いて、立ち上がった。
立ち上がる時、リアの視線が一度ソウの方に流れ、すぐに逸れた。逸れたあとで、リアは何も言わずに、自分の住居の方へ歩いていった。
歩き方は、いつもよりゆっくりだった。
*
夜半、ソウは住居の外に出て丘の中央に立った。
空き地の脇に、粒の壺が二つ並んでいた。蓋には新しい雪が薄く積もっていたが、隙間の粘土は剥がれていなかった。
水運搬用の首の細い壺は、入口の脇に置かれていた。
窯は今夜は焚いておらず、覆いの上は、雪に埋もれていた。
住居の屋根からは、五本の煙がそれぞれ細く上がっていた。
備蓄はぎりぎりもちそうだった。
春まではまだひと月以上ある。
風はもう一度来るだろう。雪ももう一度来るだろう。
だが、住居はある。壺はある。陶器はある。煮炊きの煙は絶えない。バアはまだいる。
ソウは北の空を見上げた。
雲が東へゆっくりと流れていた。
「春が——」
ソウは口の中だけで呟いた。
続きは声にしなかった。
声にしなくても、丘の住居の中の二十三人が、それぞれの形で同じ言葉を待っていた。
ゴウザの「悪くない、冬だ」は、ゴウザ一人の言葉ではなかった。
最初の春の嘲笑からここまでの三年。誰かが種を蒔き、誰かが鎌を打ち、誰かが粒を運び、誰かが粘土を捏ね、誰かが薬草を語った。それぞれの場所で、それぞれの手が動いた。動いた手の総和の最後の一滴が、ゴウザの口からこぼれただけだった。
春はまだ来ていなかった。
だが春を待てる場所に、ガラの丘は立っていた。
ソウは丘を一度だけ振り返り、それから、自分の住居の方へ歩き出した。
住居の屋根の煙が、ソウの足元の方角へ、わずかに靡いていた。




