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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

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第3話「焚き火の前で」

 煙で乾かした肉は、三日経っても腐らなかった。


 五日経っても、まだ食えた。

 七日経って、表面にうっすらと黴が出かけたところで、ようやく「そろそろ限界だ」とテツが判断した。


 普通の生肉なら、秋のこの時期でも二日が限度だ。七日持つというのは、ガラの民にとって、前例のないことだった。


 族民たちが、少しずつ気づき始めた。


「あの肉、まだ食えるのか」

「テツんとこに干してある肉、色が変だぞ」

「……でも、食ったら死ぬんじゃないのか」


 誰かが一切れを口に入れ、無事だったことが確認された夜——焚き火の周りに、微妙な空気が流れた。


 興味と、警戒と、少しの困惑。


 古参の狩人ゴウザだけは、鼻で笑った。


「たまたまだ。秋の乾いた日が続いただけだ。雨が降れば、あんなもの一日で駄目になる」


 誰もゴウザに反論しなかった。


 ソウも反論しなかった。

 反論する必要が、なかったからだ。



 夜が深まってきた。


 焚き火のそばで、ガランが狩人たちに指示を出していた。


「明日は北の林に回れ。南はしばらく休ませる。獣が戻ってくるまで、待つ」


 短い言葉だった。


 ガランは族長だが、声を張り上げることはほとんどない。むしろ、部族の中で一番静かに話す男だ。それでも、彼が口を開けば、全員が黙って聞いた。


 ソウはその様子を、少し離れた場所から見ていた。


 ——この人は、結果を見る。


 前世の修士論文で、ソウはかつて「族長型リーダーシップ」の古典研究を読んだことがあった。狩猟採集民の首長は、命令する者ではなく、「最も正しい判断をしている者」として認められている、という理論。


 ガランは、まさにその型だった。


 今日ソウが作った燻製肉は、小さな結果だ。それだけでは、族長は動かない。だが、族長の頭の中に、一つの記憶として残った。「あの肉の件」として。


 それで、十分だった。


 ——次は、もっと大きな結果を見せる。


 そう思った瞬間、胸の奥で、何か温かいものが動いた。



 バアがソウの隣にやってきた。

 手に、小さな皿のようなもの——平たい石——を持っている。上に干した薬草が少しだけ載っていた。


「ソウ、一つ、話を聞かんか」


「はい」


「川の向こうに、昔、ツハという男がおった」


 バアはそう言って、火を見た。


「その男は、一つの場所に留まろうとした。獣を追うことをやめて、石で囲いを作った。木の実を集め、魚を捕って、なんとか食いつないだ」


「……それから、どうなりましたか」


「冬が来た。木の実は尽きた。魚も凍った川では捕れん。男は、食料が尽きて死んだ」


 ソウは何も言わず、バアの横顔を見ていた。


 バアは昨夜、これと似た話をした。あの時は「そういう男がいた」という概要だけだった。今夜は、違う。もう少し詳しい。


 バアは、わざと詳しく話している。


「笑われる道を選んだ男の話じゃ。笑った者の方が、正しかったのかもしれん」


「……それでも、バアはその男のことを覚えている」


 バアは小さく笑った。


「そうじゃな。覚えておる」


 火の粉が、風に舞った。


 ソウはバアの話の裏にあるものを、静かに読み取った。


 ——もし、ツハが食料を保存できていたら。

 ——もし、ツハが食料を「育てる」ことを知っていたら。


 冬を越せたかもしれない。死ななかったかもしれない。ツハの選んだ道が、正しかったということになったかもしれない。


 バアはこの話を、ソウが「煙で肉を乾かした」今夜、したのだ。


 偶然ではない。


「バア」


「うん」


「……俺はもう少し、やってみたいことがあります」


「何じゃね」


「種を、土に埋めてみたい」


 バアは横目でソウを見た。


「育てるのかね」


「はい」


 バアは何も言わなかった。少しだけ、目を細めた。


「お前は、本当に不思議な子じゃ」


 それだけ言って、火に視線を戻した。



 ソウがテツのところに戻ったのは、夜もかなり更けてからだった。


 テツは相変わらず石を削っていた。昼間、燻製小屋を組み上げたばかりだというのに、手が止まらない。


「テツ」


「なんだ」


「……種を土に埋めたら、食べ物が増える。そういう話を、知ってるか」


 テツは手を止めた。

 石の欠片を、掌の上で転がした。


「……土に?」


「そうだ」


「石や木の実みたいに、勝手に増えるのとは違うのか」


「違う。種を選んで、土に埋めて、水をやって、時間を待つ。ちゃんと世話をすれば——一つの種が、何十、何百の種になる」


「……百?」


 テツは石を持つ手を止めた。


 長い沈黙があった。

 焚き火の燃える音だけが、二人の間に落ちていた。


「それ、本当か」


「理屈では、正しいはずだ」


「……煙で肉を乾かす話より、もっとすごいってことか」


「たぶん、もっとすごい」


 テツは石を地面に置いた。


「面白そうだな」


 ソウは、喉の奥で小さく笑った。

 テツの「面白そう」は、ソウにとって、何よりも心強い言葉だった。


「カナにも聞かせてやろう」


「カナ?」


「幼馴染だ。あいつも、変な話が好きなんだ」


 ソウは頷いた。

 その名前を、頭の中に留めた。



 焚き火が、少しずつ小さくなっていった。


 族民たちは、一人、また一人と眠りに戻っていった。


 ソウは自分の寝床に横たわり、天井代わりの獣皮を見上げた。


 ——明日。


 明日の朝、ガランが一人になる時間がある。水を汲みに、一人で川に降りていく習慣がある族長は、その時だけ、誰の目も気にせずに一人で立っていられる。


 その時、声をかける。


 今日作った燻製肉を、手に持って。


 ——煙で肉を乾かせた俺が、次は食べ物を育てたい。


 その言葉を、どう組み立てるか。


 ソウは目を閉じた。


 笑われるだろう。

 反対されるだろう。

 それでも——一度、言葉にしてしまえば、引き返せなくなる。


 その「引き返せなさ」こそが、必要だった。

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