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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

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第2話「弓と槍と、煙の棚」

 翌朝、リアが狩りから戻ってきた。


 背中に小さな鹿を担いでいる。矢は首筋に一本。一撃で仕留めた痕だ。リアの後ろから若い猟師が二人ついてきたが、獲物を担いでいるのはリアだけだった。


 赤い紐で束ねた髪が、汗で頬に張りついている。目の色は、狩りの直後特有の、少しだけ澄んでいて、少しだけ鋭い色をしていた。


 ソウは解体の場に近づいた。


「リア、手伝わせてほしい」


 リアは一瞬だけソウを見た。


「お前、今日は何をしていたの?」


 軽い声だった。意地悪というより、もっと素朴な軽蔑。「お前に狩りの手伝いなんてできるの?」という、ただの事実確認。


「解体の手伝いなら、できる」


「ふうん」


 リアは鹿を地面に下ろし、石の刃を手に取った。ソウは腰を落として、内臓を受ける皮を広げた。


 リアの手は速かった。


 皮を剥ぎ、関節を外し、骨から肉を削ぎ取る。流れるような動きだった。ソウはその横で、指示されるまま余った肉や内臓を運んだ。


 解体が進むにつれて、地面に捨てられる部位が積み上がっていった。


 ——これだけ、捨てる。


 ソウは捨てられた内臓と余り肉の山を見つめた。前世の知識が勝手に動いた。ガラの民は獲物の三割近くを、腐るという理由で捨てている。冷蔵する手段がないからだ。夏なら半日で、秋でも二日で腐る。


 だが、もし煙で乾かせば。


「リア」


「なに」


「この肉、少しだけもらってもいいか」


「……何に使うの」


「試したいことがある」


 リアは肉切りの手を止めなかった。


「好きにすれば。どうせ捨てるものだから」


 ソウは余り肉を数切れ拾い上げた。リアはそれ以上何も聞かなかった。



 テツは集落の端で石を削っていた。


 同じ年頃の少年だが、リアとは正反対の存在だった。手先が異常に器用で、集中しすぎて一日中食事を忘れる。肩幅は狭く、足は速くない。狩りには連れていかれない。


 そして——ソウ以外に、部族の中で唯一、ソウの話を真剣に聞く相手だった。


「テツ、頼みがある」


 テツは石から顔を上げた。目が、少しだけ輝いた。


「何だ」


「肉を、煙で乾かす棚を作りたい」


「……煙で?」


 ソウは地面に棒で図を描いた。木の枝を組んで棚を作り、その下で火を焚く。煙が棚に当たるように、周りを皮で囲う。


 テツはしゃがんで図を見た。


「この棚に、肉を吊るす?」


「そうだ。じっくり煙を当てる」


「……火が強すぎると、肉が焼けるんじゃないか」


「だから、直火じゃなく、少し離す。煙だけを当てる」


 テツは黙って図を見ていた。

 それから、にっと笑った。


「面白い。やってみよう」


 テツの「面白い」は、ソウが最も聞きたい言葉だった。


 この少年が「面白い」と言った瞬間、その手は止まらない。



 最初の試作は、失敗した。


 煙が足りなかった。棚の高さがありすぎて、煙が拡散してしまう。肉は半分生乾きのまま、いつまでも柔らかかった。


「上からじゃ駄目だ。下から、もっと密に当てないと」


 ソウがそう言うと、テツは半日かけて棚の周囲を掘った。浅い穴を作り、その中で火を焚く。穴の上に棚を設け、周囲を獣皮で囲う。煙が逃げず、棚に滞留するようにした。


 半地下の燻製小屋。


 前世の基礎技術に、ほぼ近い形になった。


 火を焚いてから半日。棚の中を開けると、肉の表面が飴色に変わっていた。触れても指がべとつかない。匂いは、焚き火の香りと肉の香りが混じった、不思議な匂いだった。


 テツがその一切れを、指でつまんだ。


「……食っていいのか」


「食ってくれ。俺より先に」


 テツは口に放り込んだ。

 噛む。


 噛むたびに、表情が変わっていった。


「……硬い」


 うん、とソウは頷いた。


「でも、うまい」


 ソウの心拍数が、一瞬上がった。


 前世で「うまい」と言われたことはあっただろうか。修士論文を書いていた頃、誰かに何かを褒められた記憶はほとんどない。


 なのに今、石器時代の少年に「うまい」と言われて、体温が上がっている。


 ——これが、結果か。


 形になった成果は、言葉よりも速く、相手の体に届く。


「もう一切れ、バアとリアにも食わせよう」


 テツはそう言って、二切れを皮に包んだ。



 バアは目を閉じて、ゆっくり噛んだ。


 咀嚼の時間が長かった。

 飲み込んで、少し黙って、もう一度口を開いた。


「……これは、良い」


「気に入りましたか」


「煙で乾かせば、肉が腐らん。お前、それを考えついたのか」


「昔、誰かから聞いた気がして」


「嘘じゃな」


 バアはそう言って、笑った。


「じゃが、聞かんよ。上手くいったなら、それで良い」


 バアのこういう距離感に、ソウは何度も救われていた。



 リアは、解体場の近くに一人で座っていた。


 手が血で汚れたままだ。獲物の血は、すぐには洗えない。洗うのは夜、焚き火の前で湯を作ってからだ。


 ソウは肉の一切れを差し出した。


「……なに?」


「煙で乾かした肉だ。食ってみてくれ」


 リアは眉をひそめた。だが、一切れをつまみ、口に入れた。


 噛んだ。

 もう一度、噛んだ。

 飲み込んだ。


「……なにこれ」


 声が、いつもの軽蔑混じりではなかった。単なる驚き。


「悪くないだろう」


「……悪くない」


 リアは自分の言葉を、もう一度口の中で確かめるように呟いた。それから、ソウを見た。


 初めてだった。

 リアがソウを、「何もできない役立たず」以外の目で見たのは。


「お前、朝の解体で肉をもらった時、これが作れると分かってたの?」


「理屈では」


「……変な奴」


 リアはそう言って、顔を背けた。


 それだけだった。

 それだけだったが——軽蔑は、そこに混ざっていなかった。



 夜。

 焚き火の前で、ガランがバアから一切れをもらった。


 族長は、黙って噛んだ。

 黙って、飲み込んだ。

 何も言わなかった。


 だが、翌朝——ガランは、集落の隅でソウに視線を向けた。一瞬。短く。


 ただ、それだけ。


 ソウはその視線を、正面から受け止めた。


 ——届いた。


 族長の頭の中には、小さな記憶が一つ残ったはずだ。「あの痩せた若造が、煙で肉を保存する方法を考えついた」という記憶が。


 それだけで、十分だった。



 作業を終えたテツが、ソウの隣にしゃがみ込んだ。手は炭で黒く汚れている。だが目だけは、いつもより光っていた。


「なあ、ソウ」


「なんだ」


「お前の頭の中って、他にも面白いもの入ってるのか?」


 ソウは答えなかった。


 答える代わりに、少しだけ、笑った。


 テツは不思議そうに首を傾げた。


「……ある」


 ソウはそう言った。


「もっと、大きなことが」


 テツは笑った。


 二人の影が、夕暮れの焚き火の光で、地面に長く伸びていた。

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