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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

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第22話「作り手の閃き」

 雨が止んで五日。


 ソウは朝の光の中で、第一の畑の縁から歩き始めた。

 長雨の前と比べて、葉が一段、大きい。茎の根元に近い方が太くなり始めていた。蒔き直してから、二十数日。水の逃げ道を先に作ってから種を入れた畑は、三日間の雨に叩かれても、芽の位置をほとんど変えなかった。


 第二の畑も、同じ。

 川沿いの畝は、雨の前に整えてあった溝が想定通りの量を流し続けて、土の表面に泥の波だけが薄く残っていた。葉は、緑の濃さを増している。


 第三の畑へ回る。

 北側の八列は、雨をくぐり抜けたあとに、むしろ葉を広げ始めていた。雨水を吸って息を吹き返した、という顔をしている。


 南端の二列だけが違った。

 黄色のまま、芽が土に伏せている。引き抜いてしまえば終わるが、ソウはまだ、抜いていない。抜く理由がある。ここに芽があったことを、自分が忘れない理由が。


 ソウは、その二列の前でしばらく立ち止まった。

 それから、踵を返した。



 道具小屋の入口で、低く石を打つ音が聞こえていた。


 規則的ではなかった。

 二度三度続けて打っては、止まる。何かを覗き込むような間が空き、また、二度打つ。


 ソウは、入口の幕を片手でめくった。


 テツがしゃがんでいた。

 膝の前に、平らな石が一つ。その上に石鍬の刃が伏せて置かれている。テツは小さな尖った石を片手に持って、刃の根元の一点を、こつ、こつ、と削っていた。


 顔は上げなかった。

 ソウが入ってきたことには気づいているはずだが、手元の集中を切るのを惜しんでいる、という背中の角度だった。


「何してる」


 ソウは低く聞いた。


「穴」


 テツが、削る手を止めずに短く返した。


「穴?」


 ソウが屈み込んで、刃の根元を覗き込む。

 石の刃の柄に近い側に、浅い窪みが彫られかけていた。窪みは丸ではなく、細長い溝の形をしている。深さは、まだ爪の半分。


「柄を、通す」


 テツがそこで初めて、顔を上げた。


「今まではここに革紐を巻いて、柄に括り付けてただろ。あれ、最初の数回はいい。でも、力を入れて土を抉ると、刃がじわっとずれる。三度叩くと、もう斜めになってる」


 テツの指が、宙で、刃が斜めに傾く動きを真似た。


「だからな」


 テツが、刃の溝を削った石の先で、こつ、と一度叩いた。


「ここに最初から穴を開ける。そこに柄を直接通す。穴の中で柄が嵌まれば、ずれない。抜けない。革紐は、補助で巻くだけでいい」


 ソウは、すぐには返事をしなかった。


 膝の上で、指を軽く組んだ。

 組んだ指の関節の内側に、自分の脈が、一つはっきり感じられた。


 着柄、という言葉が、ソウの頭の奥で静かに点いた。

 前世の教科書で、図版とともに見た覚えがあった。石の刃に穴を開け、木の柄を通して固定する。革紐の縛りから、穴と柄の組み合わせへ。新石器時代の道具が一段、別の段階に上がる転換点。考古学の本では、その変化にわざわざ名前がついていた。


 その名前を、テツが、いま、独力で形にしようとしていた。

 誰に教わったわけでもない。雨の三日間、刃が泥の中で何度もずれた、その手の感触から、テツの中で自然に立ち上がってきた答えだった。


 ソウは、口の中で、その事実をもう一度確かめた。


「やってみて」


 ソウはそれだけ、言った。



 テツが削り終えた刃を、外に持ち出した。


 日の光に、刃の溝がはっきり見える。

 溝は細長く、奥に向かって少し広がっていた。テツが横に置いてあった木の柄を取り、先端を溝の入口に当てた。柄の先は、溝の幅より、ほんのわずかに太く削ってある。


 てこの要領で、押し込む。

 木の繊維が軋んだ。柄の先端が、溝の奥までぴたりと収まった。


 テツが立ち上がった。


「よし」


 短く息を吐いた。


「これ、絶対うまくいく!」


 テツが、改良型の石鍬を、両手で、肩の上まで持ち上げた。

 道具小屋の前の地面、踏み固められた赤い土の上で、刃を振り下ろした。


 乾いた、重い音が鳴った。

 刃が土に食い込んだ。


 テツはすぐに、もう一度振り上げた。

 二度目。さらに深く、土に食い込んだ。


 三度目。

 刃は、ずれなかった。


 ソウは、その三度を目で追った。

 従来の革紐で縛っただけの石鍬であれば、二度目で柄と刃の角度が一度傾き、三度目には、もう一度、巻き直しが必要になる。それが、ずっと当たり前だった。


 四度目を、テツが続けた。

 五度目も、刃は、柄の上でまったく動かなかった。


 テツが息を弾ませて、ソウを見た。

 頬が少し赤い。目の奥に、光が増していた。


「な」


 テツがひとことだけ、言った。


 ソウは頷いた。


「これを鎌にも応用できないか」


 ソウが続けて聞いた。


 テツの目の奥の光が、もう一段大きくなった。


「やってみる」


 テツが即答した。

 すぐに頭の中で、鎌の刃のどこに穴を開けるか、を探っている顔だった。鎌の刃は、石鍬より薄い。穴の位置を間違えれば、刃が割れる。その計算を、テツは、自分の手の感覚の中で、すでに始めていた。


 しばらくして、テツが、ぽつり、と言った。


「俺さ」


 手の中で、石鍬の柄を握り直す。


「作ることが好きなんだ。理由はない。手が動くと、楽しい」


 ソウは何も返さなかった。

 返す言葉が要らない種類の言葉だ、と分かったからだった。


 テツが、刃の根元の柄が嵌まった部分を、指の腹で撫でた。

 しばらく撫でてから、独り言のように続けた。


「もっと硬くて、割れない道具が作れたらなあ」


 ソウの指が、わずかに止まった。


「石は、割れる」


 テツの声は地面の方を向いていた。


「もっと硬い何かがあれば——」


 その先を、テツは続けなかった。

 言葉にしないまま、視線を、改良型の石鍬の刃に戻した。


 ソウは答えなかった。


 頭の奥で、いくつかの単語が順番に並びかけた。

 銅。錫。鉄。鉱石。火の温度。鞴。炉。——並びかけて、ソウは、その単語の列を、自分で一つずつ畳んだ。


 まだ早い。

 今のテツに渡すべき答えではなかった。窯すらない。土を高温で焼く経験すら、まだ、誰も持っていない。順番がある。順番を飛ばせば、テツの手は、答えに届く前に空回りする。


 ソウは口を開かなかった。

 代わりに、テツの肩を一度だけ、軽く叩いた。


 テツはそれで満足したように、また、刃の根元の溝を撫で始めた。



 道具小屋を出ると、畑の方角から、湿った土を掘り返す音がしていた。


 ソウは音の方へ歩いた。


 第三の畑の北の縁。

 畝の列から少し離れた、もともと雑草が生えていた土地で、バアがしゃがんでいた。膝の前に、小さな石鍬が一本。バアの手の動きは、速くも遅くもなかった。土を掌一杯分ずつ、横に寄せている。


 ソウが近づくと、バアは顔を上げた。

 眉の上の皺が、朝の光の中で、いつもより深く見えた。


「何を」


 ソウが屈みかけて、手元を覗き込んだ。


 バアの隣に、根のついた小さな苗が、四つ並べてあった。

 葉の形に、ソウは見覚えがあった。集落の端の、バアが昔から植えておく一画で育っていた、咳に効くという葉。それから、傷口に当てると治りが早くなる、別の種類の葉。


「お前さんがやっとることを見ておったらな」


 バアが、苗の根元の土を指でほぐしながら、ゆっくり言った。


「いつもの端に並べとる薬草を、今年は土を耕して、きちんと列に並べてみようと思ってな」


 ソウはすぐに、返事をしなかった。


 バアの掌が、苗の根を掘った穴の中に置いた。

 周りに土を寄せ、軽く押さえる。動きは遅い。だが、迷いがなかった。誰かに手順を教わって覚えた、という動きではない。バアが長く続けてきた薬草の半栽培の手つきに、土を耕して種を入れるソウの畑の形が、横から重ねられていた。


 ソウは、自分の喉の奥がわずかに熱くなるのを感じた。


 山で集めたものを、集落の端にただ挿しておくだけだった。それが、バアの長年の半栽培だった。

 今年は、土を耕し、列を整え、苗を並べる形に、バアは、自分の手で一段進めていた。ソウの手元を横で見てきた一年半が、バアのもとからの手つきに、別の形を足していた。


 知恵は、行き来する。

 その言葉が、ソウの口の中で形になった。


 声に出さなかった。

 口の中で確かめるだけで、十分だった。


「お前が変えたんじゃよ、この集落を」


 バアが、二つ目の苗を植えながら、こちらを見ずに言った。


 ソウは、首をわずかに横に振った。


「俺は、何も」


「変えたんじゃ」


 バアの声は、強くも弱くもなかった。

 ただ、こちらの否定を最初から数に入れていない、という低さだった。


 その時、バアが、肩をわずかに前に丸めた。


 咳が出た。


 短い咳だった。

 二つ続けて。それから、一つ。バアは、自分の口の前に、土のついていない方の手の甲を当てて、咳が収まるのを待った。


 ソウは、その音を聞いた。


 五日前にも、聞いた。

 夜の焚き火の脇で、バアが薪をくべながら、同じ間隔で同じ深さの咳をしていた。あの時も、こんなふうにすぐに収まった。


 ソウは、頭の片隅に、その重なりを置いた。


「しつこいねえ」


 バアが、咳を払うように口の端で笑った。


「年寄りの咳じゃ。気にせんでくれ」


 ソウは頷くしかなかった。

 頷きながら、頭の片隅の置いた場所が消えないように、もう一度、印をつけ直した。


 バアはそれきり、咳のことには触れず、三つ目の苗の根を土の中に埋めた。



 ソウは、薬草の苗の列から、視線を畑の方へ移した。


 第一の畑で、葉が風に揺れていた。

 第二の畑の畝は、川からの光を受けて、葉の縁が銀色に光っていた。第三の畑の北側八列も、同じ風の中で揺れている。南端の二列だけが揺れずに黄色いまま、伏せていた。


 道具小屋の方からはまた、石を削る音が聞こえ始めていた。

 今度は間隔が短い。テツが、鎌の刃の穴の位置を、もう探り始めている音だった。


 バアの薬草の苗が、土の上に四つ、行儀よく並んでいた。

 苗の葉はまだ小さい。だが、根はもう、この畑の土の中に入っていた。


 ソウは立ったまま、そのすべてを目で順番に追った。


 テツの手が、石を削る。

 バアの手が、薬草を埋める。

 自分の手は——次に、何を整えるのか。


 風が、畑の上をもう一度通った。

 葉と葉が軽く擦れる音が、ソウの耳の中でしばらく残った。


 それぞれの作り方が少しずつ、この集落を変え始めている。

 その変化は、ソウ一人の手の中ではなく、もう別の場所にも、芽吹いていた。

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