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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

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第17話「黙り込む男」

「サガとノタだ」


 翌朝、ガランがソウの前に二人を連れてきた。


 第二の畑の収穫を、その日に始める予定だった。

 ソウとテツの二人だけでは、第二の畑の広さを刈りきるのに五日はかかる。

 ガランはそれを見越していた。


「言っただろう。お前に、人を二人つけると」


「……早かったですね」


「次の春まで、と言ったが——若いほうが覚えが早い。早いうちに渡しておく」


 ガランはそれだけ言って、川の方へ歩いて行った。


 残されたのは、ソウと二人の男だった。



 サガは十六歳。

 ソウと同い年だが、背は頭半分高く、肩の幅も厚い。日に焼けた首の後ろに、まだ少年らしい細さが残っている。猟師としての腕は若手で一番伸びている、とテツから聞いていた。

 ムロを特に尊敬しているらしい。焚き火の前ではいつもムロの近くに座る、という話も耳にしたことがあった。


「……っす」


 サガはソウと目を合わせて、すぐに視線を落とした。

 握っていた弓を、所在なさげにもう一方の手に持ち替える。


「狩りに出ろって言われると思ってたんすけど」


 声が半分しゃがれていた。戸惑いを隠そうとして隠しきれていない声。


 ——指名された側にも、覚悟が要るのだ。


 ソウはそれを頭の片隅で記憶した。

 農業に「来る」ということは、サガにとっては狩りから「外される」ということでもあった。



 ノタは二十二歳。

 サガより少し背が低く、痩せている。左の足をわずかに引きずっていた。数年前、冬の狩りで岩場から落ちて足の骨を悪くしたのだという。走るのに支障が出る男は、狩りの最初の輪から外される。以来、ノタは集落の周囲で罠の見回りや皮なめしを手伝って暮らしていた。


 寡黙な男だ。

 目だけがよく動いた。


「試してみる」


 ソウが何も聞かないうちに、ノタは自分からそれだけ言った。


 ソウは頷いた。


「お願いします。畑のことは、今日から、少しずつ覚えていってください」


「ああ」



 第二の畑に四人で立った。


 穂は最初に試し刈りをした一画の倍以上の密度で、首を垂れていた。黄金、というより、もう少し褐色に近い深い色。川沿いの粘土質の土が堆肥と相まって、想像以上の実りを返してきた。


 テツが石の鎌を四本、地面の布の上に並べた。


「最初は、俺が見せる」


 テツの動作は、最初に試し刈りをした朝よりもはっきり速くなっていた。穂を掴み、刃を当て、引く。その三つを一つの動きとして繋げてしまっている。


 サガが横でそれを見ていた。弓の弦を引く時の集中が、別の形で目の動きに出ている。


「……なるほど」


 サガは低く呟いて、鎌を取った。最初の穂を掴む。

 茎を潰した。

 刃を当てる前に力が入りすぎて、穂の根元を握り砕いていた。


「あ」


 サガの顔がわずかに赤くなった。


「もう一度」


 テツが、笑わずに言った。


「掴むのは、卵を持つくらいでいい。引くのは、弓を引くより、ずっと弱くていい」


「……っす」


 サガが二度目を試した。今度は穂が、ふつ、と切れた。


 ノタはその隣で、無言のまま最初の一穂をすでに刈り終えていた。観察してから、動く。動いてからは、確認のために手を止めない。粘り強さの形が、はっきりしている男だった。


 ソウは四人並んだ畑の縁を歩いた。

 四人。

 ソウ一人で蒔いた種が、四本の鎌になって、穂を切っている。


 乾いた茎の匂い。革ひもが擦れる音。誰かの息遣い。


 最初の朝、ひとりで一穂を刈った時のあの掌の震えとは違う重みが、足の裏から上がってくる気がした。



 昼を回った頃、ゴウザが来た。


 誰も呼んでいない。川の方から戻る帰り道に、たまたま第二の畑の縁を通りかかった——という体で、ゴウザは足を止めた。


 ソウは布の上に座り、刈った穂の山を束ねていた。顔を上げる。目は合わなかった。


 ゴウザは、ソウを見ていなかった。

 穂の列を、見ていた。最初の試し刈りの三倍は確実にある、首を垂れた穂の波。そしてすでに畑の縁に積み上がりつつある、穂の山。


 長い、と言うほどではない。だが短くもない時間、ゴウザは立ったままだった。


 唇が、一度開きかけた。

 言葉は出てこない。


 視線が、一度自分の足元に落ちる。それから、もう一度穂の山へ戻った。今度は、視線が長く留まった。


 ソウは、束ねる手を止めなかった。見ていない振りをして、布の上に、もう一束置いた。


 ゴウザは、何も言わずに、来た方向とは別の道へ歩き出した。集落の方へではなく、川下の人気のない方角へ。


 その背中が見えなくなるまで、ソウは束ねる手を、淡々と動かし続けた。



 夕方には、第二の畑の三分の一が刈り終わっていた。


 ソウは計算した。

 穂の量、粒の大きさ、脱穀後の収率。

 頭の中の数字が、想定値をわずかに上回って動いた。


 ——十人が、一ヶ月、食える。


 最低でもその量は確実だった。

 うまく脱穀できれば、もう少し増やせる。


 二十三人丸ごとはまだ無理だ。

 だが半分近い人数の一ヶ月分。

 冬の備えに、これが上乗せになる。


 ソウは、束ねた穂を、テツの背負い籠に入れた。


「……明日と明後日で、残りを刈り切るぞ」


「ああ」


 テツの声は少し上ずっていた。



 その夜、焚き火は、いつもより大きかった。


 カナが布を広げて、その上に焼き餅を並べていた。昼間にソウが渡した粉を、カナとアズが夕方のうちに練って焼いたのだ。大きさは不揃い。焦げ目もまちまち。だが十枚以上、並んでいた。


「みんな、食べてみて!」


 カナの声が、焚き火の周りによく通った。


「私も焼いたんだから。一切れずつ、ね」


 カナは布を持ち上げて、焚き火の輪をぐるりと回り始めた。テツに渡す。リアに渡す。バアの膝の上に、そっと置く。名前を呼ばないが、誰の前にも屈み込んだ。


 若い族民が、まず受け取った。受け取ってから、互いの顔を見た。誰かが齧る。次の誰かが齧る。咀嚼する音が、火の周りにいくつも重なった。


 子供の一人が「もっと」と言った。カナが「明日もあるよ」と笑った。


 ソウは、焚き火の少し外側で、その光景を見ていた。カナが配るたび、族民の顔の輪郭が火に照らされて、一瞬だけ柔らかくなる。

 ——カナの声がない夜は、たぶん、こうはならない。



 布が、ソウのところまで来た。

 カナの手の中には、まだ二切れ残っていた。


「はい、ソウくんの分」


「……ありがとう」


「もう一切れは——」


 カナは、視線を焚き火の反対側に投げた。


 ゴウザがそこにいた。いつものように、輪の縁の少し離れた場所に。膝を抱えて、火を見ていた。


 カナは「届けて」とは言わなかった。ただ、布の上の最後の一切れを、ソウの掌にそっと載せた。


 受け取ったソウの目を、カナはまっすぐ見た。


「私が行くより、ソウくんが行ったほうがいいと思う」


 ソウは頷いた。



 ゴウザの隣に、座った。


 声はかけなかった。

 膝の上に、焼き餅の一切れを、置いた。

 ただ、それだけ。


 ゴウザは、ソウを見なかった。

 膝の上の焼き餅を、しばらく見ていた。


 焚き火の音が、二人の間にあった。

 誰かが薪を足した。

 火の粉が、わずかに夜空に向かって散った。


 ゴウザの骨ばった指が、焼き餅を取り上げた。手は揺れていない。遅くもない。ただ、最初の一口を口に運ぶまでの二、三呼吸の間、その手は空中で止まっていた。


 齧った。


 奥歯の動きは咀嚼というより、咬み締めるに近かった。顎の付け根が、火の影で二度三度と動く。飲み下すとき、喉仏が一度はっきり上下した。


 咽せはしない。味についての表情も動かない。ゴウザの顔は、火の方を向いたまま、何も語らなかった。


 もう一度齧った。今度は、最初より少し口を大きく開けた。咬む音は聞こえない。飲み下す時、喉仏がまた動いた。


 二切れ目を、ゴウザがいつ取ったのか、ソウは見ていなかった。気づいたら、ゴウザの手の中に二つ目の半分があり、それも消えた。


 最後の欠片を、ゴウザの指が膝の上で軽く払った。粉が少しだけ、ズボンの上に落ちる。

 ゴウザは、その粉を、指で丁寧に拾い直した。

 拾った粉を、口に入れた。


 誰も、見ていない振りをしていた。焚き火の周りの族民は、誰も、こちらを見ていない。

 ——いや。

 見ないようにしている。


 ソウにも、それがわかった。ゴウザにも、たぶん、わかっていた。


 ゴウザが、小さく息を吐いた。長い息ではない。短い、けれど、深いところから出た息だった。


 立ち上がった。


 ソウの方を、ゴウザは一度だけ見た。目が合う。一瞬。ゴウザの唇が、小さく動きかけて、止まった。


 ゴウザは、何も言わずに焚き火に背を向け、寝床の方へゆっくり歩き出した。

 左の肩が、わずかに下がっている。

 その背中を、ソウは最後まで見送った。



「……変な奴」


 声は、ソウの斜め後ろから聞こえた。


 リアだった。いつの間にか、すぐ近くに来ていた。弓は持っていない。


「ゴウザのこと?」


「お前のことだよ」


 リアは、ソウの隣の地面に腰を下ろした。片膝を立て、もう片方を伸ばす、リア独特の座り方だった。


「敵に、自分の食べ物を、わざわざ持っていく奴は、変な奴だ」


「……敵じゃない」


「敵じゃない、って思ってるのは、お前だけかもしれないだろ」


「……かもしれない」


 ソウは、否定しなかった。リアの言うことに、半分は理がある。


 リアは、焚き火の方をしばらく見ていた。火がリアの頬を橙色に染めている。

 それから、ぽつりと言った。


「変な奴って嫌いじゃない、かも」


 リアの口調は、いつもの断定とは少し違っていた。語尾が、本人にもよくわかっていない、という形で揺れた。


 ソウは何と返せばいいか、すぐにはわからない。わからないまま、頷いた。


 リアは、それ以上は何も言わずに、しばらく座って、立ち上がり、寝床の方へ歩いて行った。


 行く時、振り返らなかった。

 いつものように。



 焚き火が低くなった。


 ソウは、燃え残りの薪にもう一本足した。火が、もう一度立ち上がる。


 頭の中で、明日の刈り入れの段取りを組み直していた。第二の畑の残り三分の二。脱穀の場所。粒を貯める容器。今は、皮の袋しかない。雨が来れば湿るし、虫がつけば終わる。


 ——これで、終わりじゃない。


 収穫はゴールではない。粒を冬まで持たせるところまでが農業だ。保存。備蓄。次の春まで、粒を生かしておく仕組み。

 次は、そこだ。


 冬を越すための備蓄。


 焚き火の向こうで、カナが、空になった布を畳んでいた。その手元を、火がぼんやり照らしている。


 風が、少しだけ強くなった。秋の夜の風。

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