表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/38

第16話「認める者、認めない者」

 族長の承認が出た翌日から、集落の空気が、少しだけ変わった。


 若い族民の何人かがソウに話しかけてくるようになった。

 「あの穂、本当に食べられるの?」「焼き餅って、木の実のより美味しい?」「どうやって広げるの?」


 質問は素朴だった。

 だが誰も、最初から馬鹿にするような声ではなかった。


 一方で、ソウと目を合わせなくなった族民も何人かいた。



 ゴウザはその一人だった。


 焚き火の前でソウが近くを通ると、ゴウザはわざと視線を外した。

 軽蔑ではなかった。

 無視だった。

 存在しないものとして扱っている。


 ソウはそのことをバアに話した。


「そう来たか」


 バアは少しだけ笑った。


「ゴウザは、素直な男じゃ。素直だから、認めたくない時は、目を合わせん。それだけじゃ」


「……認めたくない」


「お前のやっとることが正しいかもしれんと、どこかで気づいとる。でも、今さら認めれば自分がこれまで言ってきたことが全部恥になる。だから目を合わせんのじゃ」


 ソウは頷いた。


 バアの観察は、鋭かった。

 前世の自分の指導教授も、似たような人間心理の話をしていた。

 「頑なな人は、実は自分の間違いに気づいている。気づいているからこそ頑なになる」。


 ゴウザはその典型だった。



 別の声も聞こえ始めていた。


 最年長の男、ムロ。


 ムロは杖をつきながら、焚き火の側で若い族民に話していた。


「定住は、危険じゃ」


 ムロの声には、力があった。

 年老いていても、声は低くよく響いた。


「先祖はな、一つの場所に留まることをしなかった。常に動いた。獲物を追い、水を求めた。動けるから危険を避けられた。動かなくなれば、病が来た時も逃げられん。敵が来た時も逃げられん」


 ソウは、焚き火から少し離れた場所で、その話を聞いていた。


 ムロの声には嘲笑は含まれていなかった。

 だが、ソウがやっていることを根本から否定する響きがあった。


 ——単に、嫌がっているのではない。


 ムロの言葉には、古い知恵の重みがあった。

 前世の文化人類学でも、遊動生活の合理性は繰り返し論じられていた。

 一箇所に留まることは、食料が尽きた時、病が流行った時、天候が崩れた時、すべてのリスクを集中させる。

 ムロの言っていることは、間違いではなかった。


 だが。


 ソウの知っている未来では、人類は定住を選んだ。

 定住は農業と組み合わさることで、遊動のリスクを上回る利益を生んだ。

 ——その未来を、ムロが知らないだけだ。


 ソウは、ムロと議論するつもりはなかった。

 説得しても今は変わらない。

 変わるのは、ムロ自身が目の前で定住のメリットを見た時だ。



 リアはどちらにも属していなかった。


 彼女は焚き火の前でも、どちらの側に座るでもなく、少し離れた場所で弓の手入れをしていた。

 ムロの話も、ソウを遠巻きに見る若者たちの話も、聞こえているはずだった。


 だが、リアは何も言わなかった。


 ソウが通りかかると、リアは一度だけ目を合わせた。

 何かを問いかけるような視線だった。

 だがソウが立ち止まると、リアはすぐに視線を外した。


 ——リアは、決めあぐねている。


 ソウはそう感じた。

 旧来のガラの民の狩りの世界と、ソウが持ち込もうとしている新しい世界。

 リアは、その二つの世界の境目に立っている。



 テツは明確にソウの側だった。


 テツは焚き火の前で、いつもソウの隣に座った。

 ソウの話に笑った。

 ソウの次の計画を、一緒に考えた。


 カナがテツとソウの間に、いつも食事を運んでくるようになっていた。

 カナは明るく、誰にでも屈託なく話しかける。

 ムロの前でも、「焼き餅、食べてみた?」と平気で聞いた。


「まだじゃ」


 ムロは、焼き餅を食べていなかった。

 意地だった。

 食べた瞬間、ムロの言葉は重みを失う。


 カナはにっこり笑った。


「じゃあ、今度、私が持ってくるね」


 ムロは答えなかった。


 カナは、それ以上無理には勧めなかった。

 軽い足取りで、テツの方へ戻ってきた。



 ソウはテツに言った。


「カナは、ムロが食べないことを気にしていない」


「カナはな、そういうやつだ」


「……そういうやつ?」


「すぐに焦らない。時が来れば食べるだろ、って信じてる。待つのが、うまいんだ」


 テツは焼き餅を一口かじった。


「俺も見習いたい、っていつも思ってる」


 ソウは頷いた。

 カナの、あの明るさ。

 「春が、楽しみだね」と笑ったあの笑顔。

 ——あれは、天然のものではなかった。

 カナは意識して、明るくいることを選んでいる。


 前世の記憶が少し動いた。

 ——こういう人は、大切にしなければならない。


 理由は、うまく言葉にできなかった。

 ただ、そういう気持ちだった。



 夕方、第二の畑の横を通った時、ソウは足を止めた。


 第二の畑。

 これは川沿いに、粘土質の土を堆肥で改良して作った二つ目の畑だった。

 最初の畑より遅く播種したため、まだ収穫前だった。


 穂の色を見た。

 黄緑から黄金色に移ろっているところだった。


 あと二週間もすれば、こちらも収穫できる。


 しかも、第二の畑は第一の畑よりも広い。

 収穫量は前回の——少なくとも三倍以上は取れる。


 ——三倍の収穫。


 三倍の焼き餅。

 十人が一ヶ月食べられる量。


 ソウは胸の内で、低く呟いた。


「……ゴウザ」


 声に出しては言わなかった。

 ただ、相手が誰かを頭の中で名指した。


 ——これで、あなたの言っていたことが全部引っくり返る。


 嘲笑したい気持ちはなかった。

 むしろソウは、ゴウザのような男がきちんと黙るのを、静かに見届けたかった。



 その夜、バアのところに寄った。

 バアは、いつもの薬草仕分けをしていた。


「バア」


「なんじゃ」


「……ゴウザに見せつけるような真似は、やめます」


 バアは手を止めた。

 ソウを見た。


「ほう」


「黙ってやります。気づかない振りをして、結果だけを見せます」


 バアは少しだけ口角を上げた。


「お前、大きくなったな」


「……え?」


「若い男はな、勝った時、相手に見せつけたくなるもんじゃ。勝ち誇りたくなる。じゃが、それをやると相手は意地を張る。もっと反発する」


「……」


「勝ちを見せつけないで、ただ結果を置いておく。それが一番、相手の心を折る」


 ソウは頷いた。


「バア、もう一つ相談があります」


「なんじゃね」


「ムロについて、どうすれば良いでしょうか」


 バアは少し考えてから、言った。


「ムロは、先祖の教えを守っとる男じゃ。お前のやっとることが成功すればするほど、先祖の教えが揺らぐ。ムロには、それが恐ろしい」


「……」


「ムロにとっては、定住に反対するのは『先祖を守る』ということなんじゃ。だから、今のお前には説得できん」


「では、諦めるしか」


「諦めるのではない。じっくり時間をかけるのじゃ。先祖の話とお前のやり方が矛盾しない、とムロが気づく日が来る。それまで、待つ」


 ソウは静かに頷いた。


 バアは薬草の一束を火に近づけて乾かした。


「人は、言葉では変わらん」


 バアは低く言った。


「腹が減って初めて、新しい知恵に手を伸ばすんじゃよ」


 ソウは、その言葉を頭の中で、何度も反芻した。


 ——腹が、減ってから。


 だから、ソウは焦らない。

 全員の腹を一度に満たす必要はない。

 満たされた腹から、順に信じる者が増えていく。

 それで良かった。



 ソウが寝床に戻る時、リアが焚き火の反対側にまだ座っていた。


 リアは焚き火の炎を、じっと見ていた。

 その横顔を、ソウは少しだけ見た。


 リアはソウに気づいた。

 目が合った。


 リアは目を逸らさなかった。


 軽蔑でもない。

 好奇でもない。

 ただ——何かを考えている目だった。


 ソウは軽く頭を下げて、寝床に向かった。


 その夜、リアが何を考えていたのか、ソウにはわからなかった。

 だが、リアがソウを「存在しないもの」として扱うのを完全にやめたことは、確かだった。


 ——次は、第二の畑。


 ソウは、寝床に横たわりながら、明日の予定を整理し始めた。


 次の収穫は、最初の三倍。

 焼き餅の量も三倍。

 ガランの顔は、どう変わるか。

 ゴウザの顔は、どう変わるか。


 頭の中でソウは、静かに予測を組み立てていった。

 それは予測というより、もう予感に近かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ