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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

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第14話「最初の刈り入れ」

 収穫の朝は、露が白く草を覆っていた。


 ソウとテツは露が乾くのを、畑の縁で待っていた。

 日が昇り、朝霧が薄れていく。二人の周りに、ゆっくりと温かな光が広がっていった。


 テツは手に石の鎌を握っていた。


 石の鎌。

 これもテツがここ一ヶ月で試作を繰り返して作り上げたものだった。

 前世の鉄の鎌と比べれば、刃の鋭さは何分の一にも及ばない。

 それでも、穂を掴んで石の刃を当て、引けば——穂は茎から切り離された。


 朝の九時を過ぎた頃、露はすっかり乾いた。


「——始めるか」


 テツが低く言った。


「始めよう」


 ソウも低く答えた。

 大仰な言葉はいらなかった。

 ただ、始めるだけだった。



 最初の一穂を、ソウが刈った。


 ソウは石の鎌を両手で握った。

 穂の根元に近い位置に刃を当てた。

 引いた。


 茎が、ふつ、と音を立てて切れた。


 穂を左手で握り直した。

 初めて、「刈り取った穂」がソウの手の中にあった。


 軽い。

 思っていたよりも、ずっと軽い。

 だが粒の数は、想像より多かった。乾いた茎の感触が掌の皮膚に細く食い込んでいる。


 ソウはその穂を、畑の端に敷いた布の上に置いた。

 ただ、それだけの動作。

 それだけの動作に、一分近くかかった——気がした。



 二穂目からは、テツが刈り始めた。


 テツの手つきはソウより速かった。

 石器職人の手は、鎌を扱うのにもすぐに馴染んだ。

 穂を掴み、引き、置く。

 その三つの動作を、テツは最初から流れるように繰り返した。


 ソウもテツに続いた。

 だが、ソウの腕は五十穂も刈らないうちに震え始めた。百穂で握力が尽きた。

 テツが穂の入った布を拾い上げて、溜息をついた。


「休め、ソウ」


「……でも」


「休め。俺が続ける」


 テツはそう言って、またしゃがんだ。


 ソウは畑の縁に座って、手の震えが収まるのを待った。

 指の付け根がじんと熱い。掌を開いたり閉じたりするたび、まだ穂の感触が残っていた。


 情けない。

 そう思う。

 だが、テツが淡々と刈り続けている姿を見ていると、その気持ちは徐々に薄まっていった。


 ——テツが、刈っている。


 ソウが種を蒔き、バアが水の知恵を貸し、リアが排水を手伝い、そして今、テツが刈っている。

 これは、ソウ一人の収穫ではない。

 ガラの民の、初めての収穫だ。


 土の匂いがする。

 乾いた藁と、踏まれた草の、秋の匂い。

 ソウが休んでいる時間も、収穫ではない何かが着実に進んでいる。



 午後。


 畑の半分が刈り取られた。

 刈り取った穂の束は、畑の縁に山のように積まれていた。


 ソウとテツはその山を見下ろしていた。

 二人とも無言だった。


 テツが最初に口を開いた。


「……食べ物だ」


「……ああ」


「土から育てた、食べ物だ」


「ああ」


 それ以上の言葉は出てこなかった。

 ソウは穂の山に手を伸ばした。

 指で一粒、外皮を剥いた。

 中の白い粒を、口に入れた。


 渋い。

 生のままでは、ほとんど食べられない。

 だが、その「ほとんど食べられない粒」が、数百本の穂の集まりになっている。


 これが粉になり、焼き餅になる。

 一人が十日食べられるくらいには、なるはずだ。



 夕暮れになった。


 ガランが畑にやってきた。


 ソウはガランが今日、畑に来ることを予想していた。

 だが、ガランが来てから何を言うかは予想できなかった。


 ガランは穂の山を見た。

 その前に立っていたソウとテツを見た。

 それから、まだ刈り残っている畑の半分を見た。


 長い沈黙があった。


 ガランは穂の山の前にしゃがみ込んだ。

 手に一本の穂を取った。

 粒を爪で割った。

 指で中身を潰した。

 それから、もう一度穂の山をぐるりと見渡した。


 立ち上がった。

 ソウの方を向いた。


 そして短く言った。


「……続けろ」


 それだけだった。


 ソウは頷いた。

 ガランは背を向けて、集落の方へ歩き出した。


 テツがソウを見た。

 ソウはテツを見た。

 二人ともしばらく、何も言えなかった。


「……『続けろ』って、言ったぞ」


 テツがしばらくしてから、ぽつりと言った。


「言った」


「……族長が、俺たちに、『続けろ』って言ったんだ」


「……ああ」


 ソウの声は、少しだけ震えていた。


 族長の「続けろ」は、許可ではなかった。

 応援でもなかった。

 だがそれは、今までの「止めない」や「そうか」とは、明らかに違う種類の言葉だった。


 ——肯定だ。


 ガランが初めて、ソウのやっていることを言葉の形で肯定した。



 その夜。


 残り半分の畑は、翌日に刈ることにした。

 今日の分を脱穀する作業が、夕食後に始まった。


 テツが、冬の間に試作した「脱穀板」を畑の縁に持ち出した。

 平らな石を木の枠に嵌め込んだ、簡単な道具だった。

 板の表面には、細かい凸凹をわざと刻んである。


 穂をこの板の上に置いて、もう一枚の平たい石で上から軽く擦る。

 粒が穂から、ぽろぽろと落ちた。


 最初は一つの穂を、ソウが擦った。

 一穂から二十粒ほどの粒が取れた。


 ソウは手の中の粒を、掌に集めた。


 ——二十粒。


 一粒の種から、二十粒。

 前世の麦なら五十倍、百倍と取れる品種もある。だがこの世界のアムは二十粒。

 それでも、二十倍だ。


 ゼロでは、ない。

 遥かに、ない。



 脱穀した粒を、今度は粉にする。


 大きめの石の窪みに、粒を入れる。

 もう一つの石で、擦り潰す。


 最初は硬い粒が、簡単には潰れなかった。

 何度も擦るうちに、粒の外皮が破れ、中の白い部分が粉になり始めた。


 粗い、白い粉。


 ソウはその粉を、手のひらに集めた。

 指でつまんで、鼻に近づけた。

 麦とは違う、だがどこか似た、香ばしい粉の匂いがした。



 テツが残り火の側で、水を持ってきた。


 粉を小さな皮の器に入れた。

 水を少し加えて、指で練った。

 粉と水が、小さな団子になった。


 その団子を平たい石の上に押しつけ、さらに薄く広げた。

 焼き餅の形だった。


 平たい石を、焚き火の脇に置いた。

 石が熱くなれば、その上で団子が焼ける。


 時間が、長く感じられた。


 石が赤みを帯びてきた。

 団子の縁が少しずつ、白から淡い褐色に変わっていった。


 やがて焼き餅は、表面がきつね色に焼け、香ばしい匂いを立て始めた。


 テツが木の枝で、焼き餅を石から剥がした。


 二人の前に、一つの焼き餅があった。



「……食うか」


 テツが静かに言った。


「食おう」


 ソウは焼き餅を手で半分に割った。

 湯気が中から立ち上った。

 半分を、テツに渡した。


 テツはまず、匂いを嗅いだ。

 それから、小さく一口かじった。


 噛んだ。

 噛むたびに表情が、徐々に変わっていった。


 ソウも口に入れた。


 硬い。

 奥歯で噛み砕くと、粗い粉の粒が舌の上でじゃりっと崩れた。

 味はほとんどない。塩気もなく、甘みもない。ただ香ばしさだけが、鼻の奥を微かに通り抜けていく。


 だがこれは、間違いなく——「食べ物」だった。


 ソウは噛み切った一口を、ゆっくりと飲み込んだ。

 喉を温かい塊が、確かに通っていった。


「……どうだ」


「……まずくはない」


 テツはそう言って、目を細めた。


「もうちょっと、何とかなりそうだな」


「そうだな」


 ソウは笑った。


 初めて、この世界で声を出して笑った気がした。



 夜が更けてから、ソウはバアのところへ行った。


 焼き餅のもう一切れを、手に持っていた。


「バア」


「……なんじゃ」


「……食べてみてください」


 バアはソウの手の中の焼き餅を、じっと見た。

 しばらく動かなかった。


 それからゆっくりと手を伸ばして、それを受け取った。

 両手で包むように持つ。

 その指はソウの目には、年輪のように皺深く、わずかに震えているように見えた。


 バアは目を閉じた。

 焚き火の小さな爆ぜる音だけが、二人の間にあった。


 ゆっくりと、バアは焼き餅を口に運んだ。

 噛む音は聞こえなかった。

 歯が弱いから、舌で潰すように、長く長く口を動かしている。

 それは噛むというより、味わうという所作に近かった。


 飲み込む時、バアの喉が一度だけ大きく動いた。


 バアは目を開けなかった。

 しばらく顔も上げなかった。

 膝の上に置いた両手が、焼き餅の最後の欠片をまだ大事そうに包み込んだままだった。


 それから静かに言った。


「……お前は、本当に、不思議な子じゃ」


 ソウは頷いた。


 バアの頬に一筋、光るものが流れていた。


 ソウはそれに気づかないふりをした。

 気づいていたが、言葉にしない方が良い種類の涙だった。


 バアは目を開けて、ソウを見た。


「……ありがとう」


「……はい」


「ありがとう、じゃ」


 ソウはバアの前で、小さく頭を下げた。

 バアはそれ以上、何も言わなかった。


 焚き火の光が、バアの白い髪に揺れていた。

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