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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 播種の章

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第13話「畑を守る」

 穂が、実を膨らませ始めた。


 細かった穂の一粒一粒が、少しずつ太くなっていく。

 薄緑だった色が、徐々に黄緑色を帯びてきた。

 風が吹くと、穂の先がわずかに重そうに揺れた。


 ソウは毎朝その揺れを見ていた。


 そして、鳥が来るようになった。



 最初は一羽の小鳥だった。

 麻雀に似た、茶色い体の小さな鳥。


 翌朝は三羽。

 その翌朝は十羽ほど。


 鳥は穂の先に止まり、嘴で器用に粒をつついた。

 一羽あたりの被害は小さい。だが、十羽、二十羽と増えれば、畑全体で無視できない量の粒が失われる。


「……これは、まずいな」


 ソウは葉の上に落ちた鳥の羽を見ながら、呟いた。


「どうするんだ」


 テツが横で聞いた。


「人間の形をしたものを、畑に立てる」


「……人間?」


「人の形をしたものを見ると、鳥は少しの間、近づかない。人を恐れる習性があるからだ」


 ソウは前世の「案山子」の記憶を頼りに、枯れ枝と古い獣皮で人の形をしたものを組み立てた。

 テツがソウの指示に従って、骨組みを作った。

 頭になる部分に、古い毛皮の切れ端を縛りつけた。

 両腕を広げた形にして、畑の中央に立てた。


 夕方、それが完成した。


 遠くから見ると、黒い塊が畑の真ん中に立っているように見えた。

 近くで見ると、明らかに「人ではない」もの。だが鳥の目なら、一瞬は騙せるかもしれない。



 効果は二日あった。


 二日目の夕方まで、鳥の被害は目に見えて減った。

 ソウは成功を確信した。


 だが、三日目の朝。

 鳥は案山子のすぐ横で、平然と穂をつついていた。

 一羽は案山子の頭の上にすら、止まっていた。


「……慣れるのが、早いな」


 テツが唸った。


「人間じゃないって、見抜いたんだな」


「動かないから、すぐに慣れる」


 ソウは頭を抱えた。


 案山子は一時的な解決にすぎない。

 前世の農業でも、案山子だけで鳥害を防ぐ方法は長続きしないと知られていた。次の手が要る。


「動いてるやつは、違うんじゃないか」


 テツがぽつりと言った。


「動く……?」


「うん。たまに、狩りの途中で枝に獣皮が絡まってて、風でパタパタ動いているのを見ると、鳥は絶対に近寄らない。動くものは生き物に見える。生き物なら鳥は警戒する」


 ソウはテツの言葉を、しばらく頭の中で転がした。


 ——動くもの。

 ——風で動く。


 前世の記憶に、風車や吹き流しの原理があった。

 この世界に、まだそういう発想はない。

 だがテツが言っているのは、まさにそれだった。


「テツ、それだ」


「え?」


「風で動く仕掛けを作る。丸い棒を中心にして、薄い布を四方に張る。風が吹けば布が回る。回れば、鳥は『動くもの』を認識して近づかない」


 テツは、ソウの言葉を聞きながら、すでに頭の中で仕掛けを組み立て始めていた。

 石ではなく木の話になると、テツの理解の速さは常に恐ろしかった。


「……それ、面白いな」


 テツはにっと笑った。



 風で動く仕掛けは、一日で作り上げられた。


 畑の四隅に、背の高い棒を立てた。

 棒の先に、横棒を十字に固定した。

 横棒の端に、獣皮の切れ端を短冊状に垂らした。


 風が吹くと、短冊がバタバタと音を立てて揺れた。

 強い風の時は、全体がぐるりと回った。


 効果は劇的だった。

 鳥はその日の夕方から、畑の近くには寄り付かなくなった。


 時折、一羽か二羽が恐る恐る近づくことがあったが、風で短冊が激しく揺れると必ず飛び去った。



 リアが昼過ぎに畑を通りがかった。


 いつものように弓を肩にかけ、狩りの途中だった。

 畑の四隅で獣皮の短冊がひらひらと揺れているのを見て、足を止めた。


「……何、これ」


 リアの声には、かすかに笑いが混じっていた。


「鳥除けだ」


 ソウは真面目に答えた。


「……ふうん」


 リアは棒の一つを見上げた。

 短冊が風に合わせて、くるくると回っていた。


「……変なもの、考えるね」


「効果があれば、なんでもいい」


「効いてるの?」


「昨日から、鳥は寄ってこなくなった」


「……本当?」


「本当だ」


 リアはしばらく、短冊の動きを見ていた。

 それから、少しだけ笑った。


 小さな笑いだった。

 鼻で笑ったのではない。呆れて笑ったのでもない。

 何か、微妙な——面白がっているような笑い。


「お前、本当に、変な奴ね」


 リアはそう言って、歩き去った。


 だが今日の「変な奴」という言葉は、昔と明らかに違った。

 昔は侮蔑の重みがあった。

 今は好奇心の重みがあった。



 穂は、さらに実を膨らませていった。


 緑から黄緑、そして淡い金色へ。

 粒の中身が硬くなり始めていた。

 指で潰そうとしても、最初の頃のような、ふにゃりとした感触は消えていた。


 ソウは毎朝、三つの判断基準を確認した。

 穂の色。粒の硬さ。穂の垂れ具合。


 前世の知識では、麦の収穫判断は「穂が黄金色、粒が爪で割れる硬さ、穂が頭を垂れる」だった。

 この世界のアムも、原理は同じはずだった。

 だが、色の変化の速度や粒の硬さの基準は、前世の麦とは違っていた。



 夕方、バアの小屋に寄った。


「バア、ちょっと相談です」


「なんじゃね」


「収穫の時期をいつにすべきか、判断がつきません」


 バアは薬草を束ねていた手を止めた。

 ゆっくり立ち上がり、ソウと一緒に畑まで歩いた。


 バアは畑の中央まで入り、一本の穂を指で摘まんだ。

 爪で、粒の一つを割った。

 中の白い部分を、指で確かめた。


「まだ、柔らかいな」


「……もう少し、待ちますか」


「実りは、焦ってはいかん」


 バアは穂を元の茎に戻した。


「早すぎれば、青い。青いまま刈ると、粉にしても粘らん。水を含み過ぎで腐りやすい。遅すぎれば、今度は穂から粒が落ちる。鳥に食われる。風で落ちる。地面に落ちれば、二度と拾えん」


「……どこが、一番良いのですか」


「ちょうど良い、というのは毎年違うんじゃ。空の色と、風の乾き具合と、穂の重み、全部で決まる。わしが薬草を採る時も、同じじゃよ」


 バアはソウを見た。


「お前が毎朝、穂を見とるじゃろう。その観察を、もう数日続けなさい。自分の目で、『今日だ』と思う日が来る。その日が、収穫の日じゃ」


「……はい」


 ソウは頷いた。


 前世の教科書は、「粒の水分量が何パーセントで」という具体的な数値を示してきた。

 だがバアの答えは、「お前の目が、決める」というものだった。

 それは非科学的な助言ではなかった。

 むしろ、長年の観察が体に染みついた人だけが持てる、本物の答えだった。



 三日後の朝。


 ソウはいつものように畑に立った。

 穂の先を、指で撫でた。


 色は黄金色。

 粒は爪で潰すと、硬い音を立てて割れた。

 穂は頭を、重そうにわずかに垂らしていた。


 ——今日だ。


 ソウは自分の中で、何かが決まる音を聞いた。

 理屈ではない。

 毎朝、一ヶ月以上穂を見続けてきたソウの中で、「今日だ」という確信がただ、立ち上がった。


「テツ」


 ソウは、畑の端で石を削っていたテツを呼んだ。


「明日、刈る」


「——明日?」


「穂は今日の夕方まで、一日かけて乾く。夜は露が降りる。朝、露が乾いたら、刈り始める」


 テツは立ち上がった。

 石の欠片をぽいと放り投げた。


「石の鎌、ちゃんと研いでおく」


 その目は朝より、一段明るかった。


 ソウは空を見上げた。

 今日は雲一つなかった。

 風は穏やかだった。

 ちょうど良い、乾いた秋の風。


 ——明日が、最初の刈り入れだ。


 その事実を、ソウは何度も心の中で反芻した。

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