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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

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第108話「外と内の、ある朝」

 半月の後の、朝だった。


 冬の入り口の風はもう、入り口にはいなかった。北の縁の梢の音が、昨日までより半段、低い。空き地の縁の落ち葉は乾き切って、踏むと粉のような音を返した。


「南西」


 見張り台の上から、リアの声が短く落ちた。

 皮の紐十本のうち二本目が結び解かれた朝の、その次の朝だ。


「二人だ」


 リアは続けた。

 声の中の粒は乾いている。だが、警戒の温度ではない。



 ソウは作業場の脇の石の前に立っていた。

 石の上の契約板は半月前と同じ場所で同じ形のまま、乾いた焼成色に座っている。境の線の上、二つの渦。

 ソウは板の縁を指の腹で確かめた。動かない。動かないものは動かないままだ——と確かめる癖が半月の間に手の中で固まっていた。


 ガランは焚き火の脇から立ち上がる動きの始めだけを見せ、すぐ座り直した。腕は組まれている。

 咳が、口の脇から落ちた。


「埃だ」


 短い。低い。半月の間、その三音だけは何も変わらずに続いていた。



 柵の門までの斜面を、二つの影がゆっくり登ってきた。


 先頭が大きい方。後ろが半歩遅い方。

 大きい方は半月前にグラムの脇に立っていた若い男だった。今朝の歩き方はその朝より半段、肩の力が抜けている。荷の革袋を片手に提げ、もう片方の手は腰の脇を軽く揺らしていた。

 後ろの一人はもう少し小柄だった。革袋を背中に負い、その重みで歩幅が前の男より半歩短い。


 二人は門の手前で止まった。

 止まる動きには教えられた色があった。止まる場所を口で伝えられた者の止まり方だった。


「ゴンだ」


 大きい方が、柵越しに低く言った。

 声は太かった。だが押しの色はない。


「カグだ」


 後ろの一人が続けた。

 声は細く、語尾が少しだけ早かった。二十二の若さが息の方に出ていた。


「半月だ」


 ゴンは続けた。手の中の革袋を、わずかに上げて見せる。


「十本の紐の最初の二本目だ」


 ソウは頷いた。

 頷いて、リアの方を一度見た。リアが見張り台の上から目で頷き返す。リアの指は弦に置かれていない。半月前のグラム来訪の朝とも、ベン一家を入れた秋の朝とも違う形の頷きだった。



「閂を外す」


 リアは見張り台の上で言った。

 声の宛先はソウではなく、二人の方だった。手順を二人に伝える声だった。

 ゴンとカグが、目だけで頷く。


 リアは梯子を降りた。降りる動きが昨日より一段、軽い。

 門の閂に手を掛け、片手で持ち上げる前に、リアの目はもう一度ゴンの胸の脇とカグの腰の脇を見た。武器の所在を見る目。革袋の口の縛り方を確かめる目。

 武器は二人とも革袋の中で、手の届く場所には置かれていなかった。


「入れ」


 リアは短く言った。


 二人は門を二歩越えて止まった。

 止まった場所は、半月前にグラムが止まった場所より、半歩内側だった。

 その半歩の差を、リアの目は受け取った。ガランの咳は、その瞬間だけ落ちなかった。



 ソウは作業場の脇から、焚き火の方へ歩いた。


「ガランの古小屋に寝床がある」


 ソウは言った。


「ナギの四人とガンとハクが先に住んでいる。狭い。冬の本体までに別の場所を考える」


 ゴンは頷いた。


「狭くて、構わない」


 ゴンの声に、構えはなかった。


「冬の本体の前は、雪の道が重い。狭い方が、温かい」


 カグは黙っていた。

 黙ったまま、空き地の縁の落ち葉の方を見ていた。視線は警戒ではない。初めて見る場所の輪郭を、足の運びより先に目で測る癖だった。



 ヨルが革幕の脇から半歩出てきた。ヨミの隣に立つ。

 二人は何も言わない。だがヨルの目は、ゴンとカグの背丈と肩幅を一度ずつ測った。狩りに出る時の体の量り方だった。


「東の谷と南西の尾根」


 ヨルは低く言った。

 誰に向けた声でもない。空気の中に置かれた声だった。


「四つになった」


 ヨミが続けた。

 四つ——東の谷から二人、南西から二人。古小屋の革幕の中で、別々の言葉が今夜から混じる。


 ガランの咳がもう一度、口の脇から落ちた。

 今朝二度目だった。

 声の中に、半月前にはなかった半段が、もう一段増えていた。



 ハクが作業場の脇からテツの背中の斜め後ろに立ち直した。

 掌だけがテツの肩の脇に置かれている。

 テツは矢じりの木の柄を一本、火の脇で固定し直していた。半月前に固定した三本のうち一本の柄の角度が、今朝の冷えで少しだけ緩んでいた。


「冬の本体の前にもう一本作る」


 テツは低く言った。

 ハクは頷きを返さない。返さないまま、目だけがテツの手元から、空き地の中央のゴンとカグの方へ流れた。

 流れて、戻った。

 ハクの目の中で、矢じりと新しい二人が、別の物に見えているのか同じ物に見えているのかは、今朝もソウには分からなかった。



 昼の少し前、空き地の中央でリアが弓を肩から外した。


「お前ら」


 リアはゴンとカグの方を見て言った。


「弓は引けるか」


 ゴンは頷いた。


「引ける」


 カグも頷いた。だが頷きの幅はゴンの半分だった。


「引ける。だが、ここの弓は知らない」


 カグはそう続けた。

 声の中に、はぐらかしの色はなかった。知らないものは知らない、と置く形の声だった。

 リアはその声を、半呼吸の間だけ受け取った。


「弦は、頬の横」


 リアは言った。

 予備の弓を肩から外して、ゴンの方へ差し出す。


「狙いは、足元」


 ゴンは弓を両手で受け取った。

 受け取る指の力は、半月前にグラムが契約板を持ち上げた時の指の力とどこか似ていた。同じ部族で同じ風の中で育った者の指の似方だった。



 イサが革幕の脇から、気配を消して入ってきた。


 入ってきた動きをリアの目だけが受け取る。

 イサは輪の外側で半歩止まり、リアと目で頷き合った。

 リアがゴンの後ろに立った。ゴンの右の肩甲骨の上にリアの掌が乗る。一度押して、半秒、引いた。


「ここ」


 リアは言った。


「弦を引く時、ここが先に動く。手の力で引くんじゃない。背中で引く」


 ゴンは弦を引いた。

 最初の一度は、頬の脇まで届かなかった。リアの掌がもう一度、肩甲骨の上で半秒押した。二度目は届いた。届いた時、矢の先は革の的の足元から、少しだけ上に刺さった。


 カグの番だった。

 カグの背中の後ろにはイサが立った。イサの右の掌がカグの右の肩甲骨に、左の手がカグの腰に当てられる。腰がわずかに下がる。

 カグの矢は、革の的の足元の少し手前で土を弾いた。


「もう一度」


 イサは低く言った。

 言葉はそれだけだった。

 カグはもう一度引いた。二度目の矢は、的の足元に届いた。



 ガランが焚き火の脇から、その様子を見ていた。


 腕は組まれている。咳は落ちない。

 ガランの目は、ゴンの背中とカグの背中の間を、ゆっくり一度行き来した。リアの掌の置く場所と、イサの掌の置く場所も目で追った。

 目の動きが終わると、ガランは焚き火の方へ目を戻した。

 咳が一つ、口の脇から落ちた。


「埃だ」


 今朝、三度目だった。

 三度目の「埃だ」の中に、半月前にはなかったものが、もう半段、置かれていた。

 ソウは振り返らなかった。振り返らないことで、その半段を、肩の脇で受け取った。



 夕方の風が、北の縁の梢の音を一段、低く鳴らした。


 ソウは焚き火の脇に座った。

 バアの椀とカナの椀。掌一つ分の隙間。隣にカナの薬の板。そして、半月前にここに加わった契約板。

 四つの形が、焚き火の脇の同じ場所に並んでいた。


 ゴンは粥の椀を両手で受け取り、火から半歩離れた場所に膝を折って座った。

 カグも続いた。

 二人は粥を一口啜り、何も言わなかった。言葉のないまま、温かいものを口に運ぶ動きだけが、輪の縁に二つ増えた。


 四十五。

 ソウは頭の中で数えた。

 半月前は四十三。増えた二の場所は今、焚き火の輪の縁にあった。



 空き地の北側を、ソウはもう一度見た。


 三つの盛り土。バアの盛り土。カナの盛り土。トゥの盛り土。

 夕方の光が、三つの土の縁を薄く撫でていた。

 北側に三つ。焚き火の脇に四つ。柵の外の南西に、もう一枚同じ板。

 形は、内側にも外側にも置かれていた。


 外と内の天秤——という言葉が、頭の脇に音もなく立った。

 ソウはそれを口にしない。代わりに焚き火の薪を一本、火の通り道に置き直した。

 外側の二人が、今、内側の輪の縁に座っている。

 天秤の片側に何かを置けば、もう片側にも形を置かなければ釣り合わない。その考え方は半年前のソウの中にはまだ輪郭を持たなかった。今夜は持っていた。



 テツが焚き火の脇に歩いてきて、ソウの斜め向かいに腰を下ろした。


「冬の本体は、もうじきだな」


 テツは低く言った。


「もうじきだ」


 ソウは答えた。


「あの二人の革袋の中の毛皮の厚さは南西の冬の厚さだ。ここの冬とは別の厚さだ」


 テツはそれだけ言った。

 ソウは頷いた。頷いて、ゴンとカグの方を一度だけ見た。

 二人は粥の椀を膝の上に置き、湯気の方に顔を向けていた。湯気の向こうの火の縁を、二人の目はまだ測っていた。慣れるための目の動きだった。


 リアが見張り台の上から、空き地に向けて声を放った。


「飯だぞ!」


 いつもと同じ角度の張り。

 その声は、半月前と同じ温度で、今夜の輪の縁の二つ分まで、ちゃんと届いていた。



 ガランの咳が、もう一度落ちた。

 咳の中に「埃だ」は置かれなかった。


 火の縁の薪が一本、低く爆ぜた。

 粉が薄く立って、消えた。

 冬の入り口の風はもう、入り口にはいない。北の縁の方角から、本体の冷たさの先触れが、薄く渡ってきていた。


 ソウは焚き火の脇の地面に、指の腹で短い線を二本引いた。

 二本の線は土の上にすぐ消えた。

 消えたが——引く場所は、四つの形の隣にあった。


 風が、空き地の脇を抜けた。

 三つの盛り土の上を、その風はゆっくり撫でていった。撫でて、柵の南西の縁の方へ流れていった。

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