第106話「板の上の契約」
「来た」
見張り台の上から、ヒガの声が落ちた。
昨日のリアの声と同じ高さだったが、声の粒は一段乾いていた。
「南西。同じ数だ」
ソウは作業場の脇の石の前で立ち上がった。
膝の脇に新しい粘土の塊がある。今朝テツが捏ねて分けた一塊で、表面はまだ湿って光を吸っていた。
隣に五枚の粘土板。配給板、鍬印板、白板、医療制度板、カナの薬の板。並びは昨日と変わらない。
六枚目の位置に、今朝、別の板が一つ置かれていた。ハミに渡した形の写しを、冬の入り口に引き直したものだった。
ガランは焚き火の脇に座ったままで、腕は組まれている。咳が一度、口の脇から落ちた。
「埃だ」
ガランは低く言った。昨日と同じ声だが、声の中に「来た」を聞いた者の温度が、半段だけ加わっていた。
*
柵の東の側、丸太の上に手を置く位置は昨日と同じだった。
右にリア、左にテツ、後ろの斜め半歩にガラン。ヨミは革幕の脇から半歩出ていて、ヨルがその隣に立った。
カヤは焚き火の脇のカナの薬の板の前で、今朝も薬草の束を一つ板の脇に置いていた。
斜面の半ばに、影が並んだ。
昨日と同じ十四人。先頭はグラム。だが止まる場所が違った。昨日は柵の前で、今朝は——柵の中だった。
ガランが指を組み直したのに合わせて、リアが柵の門の閂を片手で外した。外す角度は、ベンの一家を受け入れた朝の角度と似ていた。
グラムは門を二歩越えてから足を止めた。
脇の若い男一人。残り十三人は門の外で、槍の穂先は地面の方に向いていた。
グラムの目が空き地の中を一度なぞった。
昨日と同じ順番だった。住居、窯の覆い、陶器大壺の並び、焚き火脇の二つの椀とカナの薬の板。そして作業場の脇の粘土板の方で目が止まった。
止まる時間は昨日より長かった。長かったが、目の動きは固くなかった。
*
ソウは丸太から離れて、作業場の脇の石の前まで歩いた。グラムも二歩遅れて追った。脇の若い男は一歩遅れた。
石の上に、ソウは六枚目の板を置き直した。
真ん中に縦の線。左にガラの丘が出すもの、右に向こうから受け取るもの。穂の絵、点の数、境の線、貝殻一枚分の丸。ハミの後ろに渡したのと同じ形の板だった。
グラムは板の脇に膝を折った。
膝を折る動きは丘の上の誰よりも遅かった。だが止まり方は決まっていた。
目は板の上を左から右へゆっくり流れた。
「線」
グラムは低く言った。
「これか」
「これだ」
ソウは答えた。
「左に、こちらが出すもの。右に、そちらが出すもの」
グラムは目を逸らさないまま、指の腹を境の線の上に一度だけ当てた。
「動くのか」
「動かない。乾いて固まる」
グラムは答える代わりに、左の穂の絵の上を指の腹で軽くなぞった。
*
ソウは木片を持ち直して、左の穂の絵の下、点の脇に新しい線を引いた。
粒。陶器大壺の脇から一袋分。点を十並べる。十が貝殻一枚分。
その下に薬草の束、苦い葉の絵に点を二つ。
さらにその下に矢じりの絵、点を六つ並べた。
左の絵が三つ並んだ。粒、薬草、矢じり。
ガランの腕の組み方が、わずかに動いた。ソウは振り返らなかったが、組み直しの幅を肩の脇で受け取った。
「これがこちらが出すもの」
ソウは言った。
声は丸太の上で「奪うより取引が得だ」と置いた声と、同じ角度から出ていた。
「冬の真ん中までに一度。春の入り口までにもう一度」
グラムは答える代わりに、左の三つの絵を指の腹で上から下へ順に確かめた。
*
テツが作業場の脇から半歩近づいて、矢じりの絵の上に目を置いた。
「春までに十二は作れる。半分を残して、あとの六で——足りる」
テツの声は平らだったが、その中に、黒曜石十二片を初めて掌に受けた朝の指の温度が薄く残っていた。
ソウは矢じりの絵の点を一つも増やさなかった。増やさなかったことで、テツの「半分を残す」の中身が板の上に座った。
*
グラムは右の側に目を流した。まだ何も引かれていない側だった。
「俺たちが出すものは」
グラムは言った。
「人。道。猟場」
短い三つだが、間隔は昨日の沈黙の中の半呼吸の長さと同じだった。
「人」
ソウは繰り返した。
「丘の南の斜面、落とし穴の埋め直し。柵の補強。冬の真ん中に二人、半月、置く」
グラムは答えながら、脇の若い男を一度だけ目で示した。
若い男は踵を返さなかった。返さない、ということで頷いていた。
「道」
「南西の尾根を越えた向こう側。冬の獣の通り道。ハミの道とは別の道だ」
グラムは続けた。
「ハミは夏に来る。冬は来ない。冬の獣の道は——俺たちしか知らない」
ソウは頷きの代わりに、木片の先を粘土板の右の上に置いた。
道の線を一本引く。境の線の右、上から下へ通る線で、線の脇に短い点を二つ。二つの点は尾根の向こうの猟場の場所だった。
*
「猟場」
ソウは三つ目を繰り返した。
「南の谷の、東の縁。鹿の通り道。ガラの丘の者が、冬の真ん中に三日入って良い。獲ったものの半分を、こちらに渡す」
「半分」
「半分」
グラムは繰り返した。
ソウは木片の先を、右の二つ目の絵の下に置いた。
鹿の角の形を短い二本の線で引いて、線の脇に点を二つ。二つの点は半分の意味だった。獲ったものの、半分。
リアの弦を持つ指がわずかに動いた。動いただけで引かなかった。
南の谷、冬の真ん中、三日。頭の中で道のりを数える指の動きだった。
*
「半月で二人」
カヤが焚き火の脇から低く言った。
聞かせる声ではなく、確かめる声だった。
「それなら、粥の量を増やせばいい。苦い葉と丸い葉、半分の量で足りる。束を、半分余計に揃える」
ソウは左の薬草の束の絵の脇に、もう一つ短い線を引いた。
束。半分余計。線の意味は、カヤの目の中で固まっていた。
*
グラムは板の上の左右を目で一度往復した。左の三つ、右の三つ、境の線の上で目が止まった。
止まる時間は長かった。ソウも目を逸らさなかった。
風が丘の東の縁から上がってきた。冬の入り口の風だった。
焚き火の煙が東の方へ細く流れていく。粥の鍋の湯気の縁が朝の光に薄く染められて、煙と同じ方角に消えていった。
ガランの咳がもう一度、口の脇から落ちた。
「埃だ」
ガランは低く言った。
今朝二度目の「埃だ」だった。グラムの目が咳の方を半秒だけ拾って、すぐに板の上に戻った。
*
「これで、いいか」
グラムは口を開いた。
ソウは答える前にもう一度板の上を目で追った。
左、右、境の線、点の数、貝殻の意味。頭の中でハミの板を渡した朝の指の動きが、もう一度通った。
「いい」
ソウは答えて、木片を石の上に置いた。置いた音は小さかった。
「だが、形にする。板にお前の印を置く」
グラムは目をソウから動かさないまま繰り返した。
「印」
「お前の」
ソウは頷きの代わりに、自分の右手の指の腹を板の左の下の縁の方に近づけた。近づけただけで、まだ押さなかった。
*
グラムはしばらく動かなかった。
動かない時間が、昨日の朝の沈黙と同じ長さで続いた。
動いたのは、グラムの右手の親指だった。
親指を自分の口の脇に一度当てた。当ててから、ゆっくり板の右の下の縁の方へ持っていった。
親指の腹が湿った粘土の表面に触れた。触れて、半秒だけ留まった。
留まった親指の腹を、グラムはそのまま下に押した。
粘土に、親指の指紋の渦が薄く残った。
残った渦の脇で、グラムの口の端がわずかに動いた。
言葉にはならなかった。形だけが、板の上に座った。
*
ソウは自分の右手の親指を、板の左の下の縁に当てて押した。
グラムの渦の対角の場所に、自分の渦が薄く残った。
二つの渦が、境の線を挟んで板の上に並んだ。
左の渦と、右の渦。間に、線。
誰も声を上げなかった。
リアの弦を持つ指が、半分の幅、緩んだ。
テツの肩が、半分の幅、緩んだ。
カヤは焚き火の脇から、薬草の束をもう一度結び直した。結び直す指の動きは、いつもの間隔と同じだった。
ガランは腕を組んだまま動かなかった。咳は落ちなかった。
*
「これが——形か」
グラムは言った。
昨日の「分かった」と、同じ底の深さから出ていた。
「形だ」
ソウは答えた。
「動かない。乾けば固まる」
グラムは答える代わりに、もう一度板の上を左から右へ目で流した。
左の穂、薬草、矢じり。右の人、道、猟場。境の線、二つの渦。目の動きは固くなかった。
グラムは立ち上がった。立ち上がる動きは、昨日斜面を降りた時よりほんの少しだけ軽かった。
「焼くのか」
「乾かしてから、焼く。焼けば、もう線は戻らない」
ソウは答えた。
グラムはもう一度板の方を見て、目を逸らさずに頷いた。
昨日の朝の頷きより、半分の幅、深かった。
*
グラムは振り返らずに、門の外の十三人に手を一度動かした。動かしただけで、十三人は踵を返さなかった。脇の若い男だけが、グラムの後ろを二歩離れずに付いた。
グラムは門を二歩越えて外に出てから、丘の上にもう一度目を流した。
今度は住居でも窯でも壺でもなく、空き地の北側の三つの盛り土の上で目が止まった。
バアの盛り土。カナの盛り土。トゥの盛り土。
冬の入り口の風が、三つの盛り土の上を撫でていた。
グラムは目を逸らさずに見て、何も言わなかった。
言わないまま、斜面を降り始めた。
十三人は半呼吸の遅れもなく踵を返し、足音が林の縁の方へ離れていった。
*
空き地の中央に、ソウとガランとテツとリアが残った。
粘土板の上の二つの渦は、まだ湿っていた。乾くまでに半日、焼くまでにもう半日。
ガランが、ソウの斜め後ろから咳を落とした。今朝三度目の咳だった。
咳の中に、「埃だ」は置かれなかった。置かれなかったことを、ソウだけが拾った。
ガランは腕の組み方を、わずかに動かした。動いた角度は、定住宣言の夜の頷きの角度と同じだった。
*
ソウは石の前にしゃがんだまま、二つの渦の縁を指の腹で確かめた。
湿った粘土の冷たさが返ってきた。冷たかったが、ひりつかなかった。
「動いた」
ソウは低く言った。
ガランの咳が、もう一度口の脇から落ちた。咳は何の名も与えられないまま、冬の入り口の風の中に消えていった。
焚き火の脇の二つの椀の縁を、冬の入り口の風が薄く撫でていく。バアの椀と、カナの椀。掌一つ分の隙間が、二つの椀の間に同じ広さで残っていた。その隣に、カナの薬の板。
作業場の脇には粘土板五枚と、もう一枚、六枚目の板。六枚目の板の上には、二つの渦。
ソウは石の前から動かないまま、口の中で低く言った。
「焼く」
声には出さなかった。
出さなかったが、丘の上の冬の入り口の風の中に、その形だけが残った。




