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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

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第105話「グラムは、頷いた」

「日が、上がる」


 見張り台の上から、リアの声が降りてきた。

 声は、震えなかった。震えるための間を、リアは夜のうちに使い切っていた。


 ソウは、焚き火の脇で立ち上がった。

 昨夜、丸太の縁に背を預けた格好で半分眠っていた。膝の上の指の節が、夜の冷えで固まっていた。

 ガランは、焚き火の反対側に同じ姿勢で座っていた。腕は組んだまま、夜の間に組み直されなかった。

 咳が一度、口の脇から落ちた。


「埃だ」


 ガランは低く言った。

 冬の入り口の朝の空気は、昨日よりも一段冷えていた。


 テツは作業場の脇に立っていた。

 短い槍を、夜のうちに腰の脇から手元に持ち替えていた。ハクの掌は、テツの作業の脇に置かれている。指は今朝も、何も握っていなかった。

 ヨミは、革幕の脇から半歩だけ空き地の縁に出ていた。昨日と同じ位置だった。ヨルがその脇に立った。



 カヤが、住居の革幕の影から焚き火の方へ歩いてきた。

 手には薬草の束が一つ。苦い葉と丸い葉が、紐で揃えて結ばれている。傷の根の束は、今朝も持っていなかった。

 カヤは焚き火の脇のカナの薬の板の前で足を止め、束をその板の脇に置いた。置いてから、板の表面の凹みの線を指の腹で一度だけなぞった。なぞっただけで、線は深まらなかった。


 子世代は、住居の中だった。革幕の縁から、八歳の目が一つだけ覗いていた。ホシだった。覗いて、すぐに引っ込んだ。



「人だ」


 見張り台のリアの声が、もう一度落ちた。

 昨日と同じ声だった。だが、昨日よりも声の中の粒が小さかった。


「南西。同じだ」


 ソウは、柵の東の側へ歩いた。

 位置はドルクの時と同じ場所。昨日と同じ場所。丸太の上に両手を置く角度も、変わらなかった。

 右にリア。見張り台から半呼吸の遅れもなく降りてきて、柵の上の半歩、左の見張り台の足場の縁に立った。手には弓。矢は番えていない。だが弦の張りはいつでも引ける角度に整っていた。

 左にテツ。槍は腰の脇に戻した。

 ガランはソウの斜め後ろ。腕は組んだまま。


 斜面の半ばに、影が並んだ。


 先頭はグラムだった。

 昨日より、足の止まる場所が二歩、上だった。

 落とし穴の縁を越えて、柵の前まで来た。



 止まり方が、違った。

 昨日は「話すかどうかを決める者の止まり方」だった。今朝は「話す者の止まり方」だった。肩の角度が、半分の幅、下がっていた。


 後ろに十四人。槍を持つ八人のうち、二人が穂先を下に向けていた。戦の意志を地面に置く時の構え方だった。

 ソウは、それを拾った。拾ったが、表情は動かさなかった。


 ガランの腕の組み方が、わずかに変わった。その変わり方を、グラムは目で拾った。



「来た」


 グラムは言った。

 昨日と同じ底の深さから出ていた。


「来た」


 ソウは答えた。


 短い往復だった。

 短いが、昨日の最初の往復より、間が半分の幅、縮まっていた。

 縮まった間が、丘の上の空気の温度を、わずかに変えた。


 グラムは、もう一度丘の上に目を流した。

 昨日と同じ順番だった。住居。窯の覆い。陶器大壺の並び。焚き火脇の二つの椀とカナの薬の板。粘土板五枚。

 目が止まる時間は、昨日より短かった。

 すでに数え終わったものを、もう一度確かめる目の動かし方だった。


 目が、ソウに戻った。

 戻った目は、ソウの肩のあたりで一度止まってから、目の高さに合わせた。



「お前たちは——」


 グラムは言った。


「俺たちが力で取れる物を、持っている」


 ソウは、丸太の上で指の節を一度だけ握り直した。

 答えなかった。答える前に、グラムの言葉の続きを待った。


「粒。陶器。薬草。それから、線を引く板」


 グラムは、革袋の方を目で指した。

 脇の若い男の腰の革袋の口から、ハミの板の縁が、今朝も一つ覗いていた。


「力で取れば、こちらが減る」


 グラムは続けた。


「だが、取れる」


 短かった。

 短かったが、その短さが丘の上の温度を、半段、下げた。

 リアの弦を持つ指の腹が、わずかに弦の方へ寄った。寄っただけで、引かなかった。

 テツの肩は動かなかった。



 ソウは、答える前にもう一度丘の上を見た。


 住居五棟。

 窯。

 陶器大壺の並び。

 焚き火脇の二つの椀とカナの薬の板。

 粘土板五枚。

 空き地の北側、三つの盛り土。

 バアの盛り土。カナの盛り土。トゥの盛り土。


 見て、ソウは口を開いた。


「奪うより、取引した方が得だ」


 ソウは言った。

 声は、丸太の上の両手の角度と同じだった。低くはなく、高くもなかった。


 グラムは、答えなかった。

 答える代わりに、目を逸らさなかった。


「お前たちが力で取れる物より」


 ソウは続けた。


「取引で取れる物の方が、多い」


 言い終わってから、ソウは丸太の上の手を動かさなかった。動かさないことが、言い終わったあとの形だった。



 動かない時間が、始まった。


 グラムは、口を開かなかった。

 目は、ソウから動かなかった。

 脇の若い男も、後ろの十四人も、誰の足の指も動かなかった。


 風が、丘の東の縁から上がってきた。

 冬の入り口の風だった。リアの髪の毛の先がわずかに揺れた。揺れたが、リアの弦を持つ指は動かなかった。

 焚き火の薪が一度、低く爆ぜた。

 爆ぜた音だけが、空き地の縁から斜面の半ばまでゆっくり降りていった。


 グラムの目が、ソウから外れなかった。

 ソウも、外さなかった。


 沈黙が、半呼吸を超えた。

 超えてから、もう半呼吸を超えた。


「……」


 グラムの口の中で、一度だけ、何かが動いた。

 動いただけで、外には出なかった。


「……」


 もう一度、同じ形が、口の中で動いた。

 今度も、外には出なかった。



 ガランが、腕を組んだまま咳を一度落とした。

 咳の中に、今朝までの「埃だ」は置かれなかった。

 置かれなかったことを、ソウだけが拾った。


 拾ってから、ソウはもう一度口を開いた。


「お前は——選べる」


 ソウは言った。


「力を使うか」


 半呼吸の間。


「取引するか」


 三つに割って、ソウは置いた。

 置いてから、もう動かさなかった。



 さらに長い沈黙が、始まった。


 風は、止まらなかった。

 焚き火の煙が、空き地の中央から東の方へ細く流れていった。

 粥の鍋の湯気は、湯気の縁が朝の光に薄く染められていた。鍋の縁から立ち上って、煙と同じ方角に消えていった。


 グラムの目は、ソウから動かなかった。

 ソウの目も、グラムから動かなかった。


「……」


 グラムの口の脇で、もう一度形が動いた。

 動いた形が、ソウに向かう前に、また引っ込んだ。


 脇の若い男の、足の指が、一度動いた。

 動いただけで、足の踵は動かなかった。

 グラムの右手の指が、半秒だけ若い男の方を制した。指は若い男を見ていなかった。ただ、動いただけだった。

 若い男の足の指が、止まった。


 後ろの十四人のうち、誰かの足音が、半歩分、地面の上で擦れた。

 擦れただけで、踵は動かなかった。


 ガランの咳が、もう一度、口の脇から落ちた。


「埃だ」


 ガランは低く言った。

 今朝、初めて出た「埃だ」だった。

 グラムの目が、その咳の方を、半秒だけ拾った。拾って、すぐにソウに戻った。



 沈黙の中で、グラムの口の端が一度だけ動いた。

 言葉になる前の形だった。

 形になる前に、もう一度引っ込んだ。


 引っ込んでから、グラムは肩の角度を半分の幅、下げた。

 昨日、止まる時の角度から半分下がっていた肩が、もう半分の幅、下がった。

 下がった肩の上に、グラムの目の高さが、わずかに低くなった。


 ソウから、目は外れなかった。


 外れないまま、グラムは口を開いた。


「……分かった」


 声は、低かった。

 ドルクの声よりも、昨日のグラムの声よりも、底が一段深い場所から出ていた。

 短かった。

 短かったが——その短さの中に、長い沈黙の全部が、収まっていた。

 後ろの十四人の槍の角度が、もう半分の幅、下がった。


 グラムは、頷いた。



 誰も声を上げなかった。


 リアの弓の弦の張りが、半分の幅、緩んだ。

 弦から指は離れなかった。だが、引く角度は緩んだ。

 テツの肩が、半分の幅、緩んだ。

 ガランは、腕を組んだまま、何も言わなかった。


 ヨミは革幕の脇から、半歩を引かなかった。引かないまま、ヨルの方を見た。

 ヨルは、首を一度だけ縦に動かした。

 二人の間に、東の谷の言葉の橋は、架けなかった。架ける必要が、今朝はなかった。


 革幕の縁から、ホシの目がもう一度覗いた。

 覗いて、今度はすぐには引っ込まなかった。


 空き地の北側、三つの盛り土の上を、冬の入り口の風が、静かに撫でた。

 バアの盛り土。カナの盛り土。トゥの盛り土。

 草は、もう生え終わっていた。

 風は、止まらなかった。



 グラムは、振り返らずに後ろの十四人に手を一度動かした。

 動かしただけで、十四人は踵を返さなかった。

 返さない、ということを、グラムが手で示したのだった。

 頷いた、ということが、終わりの形ではなかった。


「明日」


 グラムは言った。


「話す」


 昨日と同じ言葉だった。

 だが——昨日の「話す」は「話すかどうかを話す」だった。今朝の「話す」は「中身を、話す」だった。


 グラムは、もう一度ソウに目を合わせた。


「お前が……決めた」


 グラムは言った。


「俺も、決めた」



 ソウは、答えなかった。

 答える代わりに、丸太の上の両手を一度だけ組み直した。

 組み直した指の節は、夜の冷えで固まったままだった。

 固まったまま、組まれた。


 グラムは、斜面を降り始めた。

 十四人は、半呼吸の遅れもなく、踵を返した。

 返り方は、命令された返り方ではなかった。引き連れる方の、返り方だった。


 足音が、林の縁の方へ離れていった。

 離れていく間も、リアの弦を持つ指は動かなかった。テツの槍の柄も握り直されなかった。

 ガランは、咳を一度落とした。

 今朝二度目の「埃だ」は、置かれなかった。



 空き地の中央に、ソウとガランとテツとリアが残った。

 誰もすぐには口を開かなかった。


 カヤが、焚き火の脇のカナの薬の板の前から、半歩離れた。

 離れて、住居の革幕の方へ戻った。

 戻る背中の角度は、来た時と変わらなかった。


 ヨミが、革幕の脇から半歩進んだ。

 ヨルがその隣に立った。ヨミがヨルに何かを置いた。ヨルが受けて、ソウの方を見た。


「ヨミは、初めて見たと言っている」


「何を」


「ああいう男が、頷くのを」


 ヨミの目だけが、ヨルの肩越しにソウの方を見ていた。



 ソウは、丸太の上から作業場の脇の石の方へ目を流した。

 粘土板五枚。配給板、鍬印板、白板、医療制度板、カナの薬の板。

 石の上の五枚は、今朝の間、動かなかった。

 六枚目の凹みも、石の表面に薄く残ったまま、動いていなかった。


 動かなかったが、ソウの目の中で、六枚目の凹みの線が、半分だけ深まっていた。

 カナの薬の板の隣に、新しい板が立つ。立つ場所は、まだ空いていた。

 空いている、ということが、今朝の形だった。


 カナはいない。バアもいない。トゥもいない。

 いないままで、形は、動いた。



 ガランが、ソウの斜め後ろから咳を落とした。

 咳の中に、三度目の「埃だ」は置かれなかった。

 置かれなかったことを、ソウは目を逸らさずに受け取った。


 ガランは、何も言わなかった。

 腕の組み方が、わずかに動いた。動いた角度は、半年前の、定住宣言の夜の頷きの角度と同じだった。


 ソウは、ガランの方を振り返らなかった。

 振り返らないまま、低く言った。


「動いた」


 ガランは、答えなかった。

 答えなかったが、咳がもう一度、口の脇から落ちた。

 落ちた咳は、何の名も与えられないまま、冬の入り口の風の中に消えていった。



 焚き火の煙は、空き地の中央から東の方へ細く流れていった。

 粥の鍋の湯気が、煙と同じ方角に消えていった。


 斜面に、影はもうなかった。

 あった場所だけが、ソウの目の中に残っていた。残った場所の縁が、昨日の朝より、わずかに深く彫られていた。


 リアは、見張り台の梯子に手をかけてから、もう一度斜面の方を見た。

 見て、登った。

 テツは作業場の脇に戻り、矢じりの柄の固定の音がいつもの間隔で戻ってきた。ハクの掌は、自分の太腿の上に置かれたまま、線を引かなかった。


 ソウは、丸太の上から動かなかった。

 動かないまま、口の中でもう一度低く言った。


「グラムは、頷いた」


 声には、出さなかった。

 出さなかったが、丘の上の冬の入り口の風の中に、その形だけが残った。

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