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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一部 結実の章

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第104話「柵の向こう側」

「人だ」


 見張り台の上から、ダイの声が降りてきた。

 昨日のヒガの声よりも、声の中の粒が固かった。


「南西。十数人」


 ソウは作業場の脇の石の前にしゃがんだ姿勢のまま顔だけを上げた。粘土板五枚の縁に朝の光が当たっている。配給板、鍬印板、白板、医療制度板、カナの薬の板。六枚目の板の凹みはまだ薄く石の表面に残ったままだった。


 ガランは、空き地の中央に腕を組んで立っていた。

 ダイの声を聞いても、頭の角度は変わらなかった。咳が口の脇から一度落ちた。


「埃だ」


 ガランは低く言った。

 冬の入り口の朝の埃の形は昨日もおとといも同じだった。



 柵の東の側に、ソウは立った。

 位置はドルクの時と同じ場所。ハミの時もベンの時もハマの時もヨミの時も同じ位置。丸太の上に両手を置く角度も、変わらなかった。


 違うのは、隣に立つ者の数と構えだった。


 右にリア。柵の上の半歩、左の見張り台の足場の縁に近い場所。手には弓。矢は番えてはいない。だが弦の張りはいつでも引ける角度に整っていた。

 左にテツ。短い槍を腰の脇に置いている。槍を持つ手の指は握り直しを一度もしなかった。

 ガランはソウの斜め後ろ。腕は組んだまま。


 斜面の半ばに影が並んだ。


 先頭の男は、ソウが今まで見た誰よりも体が大きかった。

 肩の幅がテツより半人分広い。革の防寒具の上から胸の厚みが分かる。歳はガランより若い。だが、ガランより若いというだけで若くはなかった。額の左の縁から右の頬まで、古い傷の線が一本走っていた。

 ドルクの傷より、深い。


 ソウは、口の中で名前を確かめた。

 確かめなくても、分かっていた。


 ハミの言葉。ナギの言葉。コウの言葉。ヨミの言葉。

 四つの口から運ばれてきた一つの名前がいま、丘の斜面の半ばに立っていた。


 空気の重さが、丘の上の温度を一段下げていた。

 冬の入り口の朝の空気は、もとから冷たい。だがその冷たさとは別の冷たさが、斜面の半ばから空き地の縁まで、ゆっくり這い上がってきていた。

 ハクの掌が、テツの作業の脇で一度動いた。指は何も握っていない。動いただけだった。

 テツの肩は動かなかった。だが、矢じりの柄の固定の手の音が、一拍だけ遅れた。



 後ろに十四人。

 数えたのはリアだった。リアは数を声に出さなかったが、ソウの斜め前で指の関節が一度だけ動いた。動いた回数でソウにも数が伝わった。十四。

 十四のうち槍が八本。弓が三張り。残りは石斧と棍棒。ドルクの時の二十人より少ない。だが、揃いが違った。

 槍の柄の太さが八本ともほとんど同じ。弓を持つ三人の立ち位置の間隔も等間隔だった。


 ガランの腕の組み方が、わずかに変わった。

 わずかにだったが、ソウだけがそれを拾った。


 大きな男は、斜面の途中で足を止めた。

 止めた場所はドルクが止まった場所より、二歩上だった。落とし穴の縁の手前。穴の場所を知っている者の足の止め方だった。


「グラム」


 ソウは丸太の上で言った。

 声は震えなかった。震える理由はいくつもあった。だが、声は震えなかった。


 大きな男は答えなかった。

 答える代わりに、目を丘の上にゆっくり走らせた。



 目は住居の屋根の藁の編み目を順になぞった。一棟二棟三棟四棟五棟。

 目は、窯の覆いの方に流れた。

 目は、空き地の縁の陶器大壺の並びで一度止まった。

 目は焚き火の方に流れ、焚き火の脇の二つの椀とカナの薬の板の方で止まった。止まった時間は、住居の屋根の時よりも長かった。

 目は最後に、作業場の脇の石の上の粘土板五枚の方に流れた。


 目は、数えていた。


 いや——数え終わっていた、と言うのが正しかった。

 ハミの板。ハミが持ち帰った薄い板。三人分の数の線と、五枚目の板を一筆だけ縮めた線が並ぶ板。あれがいま、グラムの脇の若い男の腰の革袋の口から縁を一つ覗かせていた。

 ソウはそれを見た。

 見ても、表情は動かさなかった。



 動かない時間が、始まった。


 グラムは、口を開かなかった。

 ソウも、開かなかった。


 風が丘の東の縁から上がってきた。冬の入り口の風だった。リアの髪の毛の先がわずかに揺れた。揺れたが、リアの弦を持つ指は動かなかった。

 テツの槍の柄の影が、地面の上で短く伸びた。

 ガランの咳がもう一度、口の脇から落ちた。


「埃だ」


 ガランは低く言った。

 今度は、グラムの目が咳の方を一度だけ拾った。

 拾ったが、口にはしなかった。


 ヨミが住居の革幕の脇から、半歩だけ空き地の縁に出てきた。

 出た位置で足を止めた。出ない、という形で出た。グラムの目はヨミの方にも一度流れ、すぐに戻った。グラムはヨミも、数え終わっていた。



 風は、止まらなかった。

 止まらない風の中で、グラムはようやく口を開いた。


「お前か」


 声は低かった。

 ドルクの声より、底が一段深い場所から出ていた。


「俺はソウだ」


 ソウは答えた。

 答えてから、丸太の上の両手を一度組み直した。


「お前が来た」


 ソウは続けた。


 グラムは答えなかった。

 答える代わりに、もう一度丘の上に目を流した。今度は目の止まる場所が最初の時と同じ場所だった。住居、窯、陶器大壺、焚き火脇の二つの椀、粘土板。


 順番が、変わらなかった。

 二度目に同じ場所で止まるという目の動かし方は、見たものを覚える者の目の動かし方だった。


「お前たちは増えた」


 グラムは言った。


「先の冬から十数えた数だけ、増えた」


 ハミの板の中の数。ヨミの板の縁の数。

 その二つを足した数を、グラムは口の中でもう一度確かめていた。


「増えた」


 ソウは答えた。


 それ以上は、言わなかった。



 グラムは、ソウを見た。

 見る時間が、長かった。

 ソウも、目を逸らさなかった。逸らす理由はいくつもあった。だが、逸らさなかった。


 グラムの脇の若い男が、口を開きかけた。

 開きかけた瞬間、グラムの右手の指が一度だけ動いた。動いた指は若い男の方を見ていなかった。ただ動いただけだった。

 若い男は口を閉じた。


 ガランの腕の組み方がもう一度、わずかに変わった。

 その変わり方を、グラムは目で拾った。拾って、口の端は動かさなかった。


 丘の上で、誰の口も開かなかった。

 焚き火の薪が一度、低く爆ぜた。

 爆ぜた音だけが、空き地の縁から斜面の半ばまでゆっくり降りていった。



「俺は」


 グラムは言った。


「お前たちが何を作ったのかを見に来た」


「見たか」


 ソウは答えた。


「見た」


 グラムは答えた。


 短かった。

 短かったが、その短さがグラムの十四人の後ろの空気をわずかに変えていた。槍の柄の太さは揃ったままだったが、八本の槍の角度がほんのわずかに下がった。気づくか気づかないかの幅で下がった。


 ソウは、それを拾った。

 拾ったが、口にはしなかった。



「明日、もう一度来る」


 グラムは言った。

 声は、来た時と同じ底の深さから出ていた。


「話す」


 グラムはそれだけ言って、後ろの十四人を一度振り返った。

 振り返り方はドルクのそれとは違った。命令する振り返り方ではなかった。引き連れる振り返り方だった。十四人は半呼吸の遅れもなく踵を返した。

 グラムは最後にもう一度、丘の上に目を流した。今度は焚き火脇の二つの椀の上で長く目が止まった。

 止まってから、グラムは斜面を降り始めた。


 十四人の足音が、林の縁の方へ離れていった。

 離れていく間もリアの弦を持つ指は動かなかった。テツの槍の柄も握り直されなかった。


 ガランは、咳を一度落とした。


「埃だ」


 ガランは低く言った。



 空き地の中央に、ソウとガランとテツとリアが残った。

 誰もすぐには口を開かなかった。


 ヨミが革幕の脇からもう半歩出てきた。

 ヨルがその隣に立った。二人の間に東の谷の言葉の短い橋がもう一度架かった。

 ヨミはヨルに何かを置いた。ヨルがそれを受けて、ソウの方を見た。


「あの腰の革袋の縁から覗いていた板」


 ヨルは言った。


「ヨミは見えたと言っている」


「俺も見た」


 ソウは答えた。


 ハミに渡した板。ハミの後ろを通った板。

 その板が今朝、グラムの脇の若い男の革袋の口から縁を一つ覗かせていた。

 線が、運ばれていた。


 ソウは、空き地の南の縁の方から、作業場の脇の石の上の粘土板の方へ目を流した。

 石の上の五枚は、動いていなかった。


 六枚目の凹みも、石の表面に薄く残ったまま、動いていなかった。



 夕の風が、丘の東の縁からもう一度上がってきた。

 焚き火の脇のバアの椀の縁の欠けが、夕の光の中で短い影を地面に落としている。隣にカナの椀。さらに隣にカナの薬の板。誰の手も触れない場所のままだった。


 リアは、柵の上の半歩、見張り台の足場の縁の手前に立ったままだった。

 降りなかった。今夜の見張りの番が、もう始まっていた。

 テツの作業場の方からは、矢じりの柄の固定の音がいつもの間隔で戻ってきていた。ハクの目はテツの手元に戻っている。だがハクの掌は半秒の幅で、自分の革の防寒具の太腿の上に置かれていた。指は線を引いていなかった。

 ただ、置かれていた。


 ソウは丸太の上から、もう一度斜面の方を見た。

 斜面に、影はもうなかった。

 あった場所だけが、ソウの目の中に残っていた。


 ガランが、ソウの後ろから咳を落とした。

 落とした咳の中に、今朝までと同じ「埃だ」は置かれなかった。

 置かれなかったことを、ソウだけが拾った。


「明日」


 ソウは、ガランの方を振り返らずに低く言った。


「形を、見せる」


 ガランは、答えなかった。

 答えなかったが、ソウの斜め後ろの腕の組み方が、わずかに動いた。


 冬の入り口の風は、止まらなかった。

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