記憶を持たない者
天井から絶叫が聞こえる。いや、天井ではなく僕の直上。
ガラスと共に降ってきたのはクロエ。僕の真横に両手足を使って着地する。その手にはナイフが握られ、眼は血走っており赤く光っているように見える。その視線の先には姫様がいた。
「クロエっ!」
僕の声に呼応するかのようにその眼が僕を捉える。全てをぶつけてくるかのような叫びが僕を一瞬慄かせる。しかしクロエはそのまま姫様の方へ向き直り駆け始めた。
低く、低く、獣のように疾走するクロエ。ロスアレスさんが刹那の昏倒から戻って来ており、クロエに手を伸ばすも届かない。
「・・・ひめ・・・さま・・・。」
その声に力はないが意志は感じられる。姫様に危険が迫っているのだ。彼にとってはこれ以上ない危機として無理やりに体を動かそうとしている。
誰の手も届かず、豹のように獲物を狙うクロエ。ナイフの切っ先が姫様に向けられた瞬間、横から割入る影。
クアットさんの体が滑り込み、その剣でクロエと打ち合った。
「ぐっ・・・きっちぃっ・・・」
苦しげな声を上げるクアットさんを邪魔者と認識したクロエは即座にナイフを滑らせてクアットさんの剣を上に流す。そのまま足を蹴り上げてバク転。
かろうじて避けたクアットさんの体勢は伸びきっており、クロエの追撃に対応できない。
そのままクロエはクアットさんの剣を持つ手を取り、足をクアットさんの頭に巻きつけてもう一回転して投げ飛ばす。頭からクアットさんは床に沈んだ。
僕もただ見ていた訳ではない。彼我の距離を詰めて後ろからクロエにナイフを突き立てた。
「ぐぅっ・・・ぁあ!」
刺さるナイフを一呻きのみで振り切り、こちらを捉えたクロエのナイフがお返しとばかりに胸に突き刺してくる。ハイナさんの防具によって威力は減衰されたものの、上を滑って肩口に突き刺さった。
その僕の背後、倒れる僕を飛び越えるようにしてソフィアが代わりに斬りかかる。
クロエはナイフを持たない手でその剣を受け止めた。深々と刺さり、骨に食い止められたソフィアの剣。その手から放たれる魔力の奔流によって彼女は吹き飛ばされる。
体勢を立て直した僕は横目に疾走するロスアレスさんの姿を捉え、その頑強ぶりに感嘆する暇も無く、息を合わせて攻撃に転じる。
左から僕のナイフ、右からロスアレスさんの豪剣。対応出来ないクロエへと僕はナイフを突き立てた。
クロエの絶叫。呼応するかのように周辺の魔力が力を持ち、衝撃波を生み出した。いや、ロスアレスさんの様な衝撃波では無く、魔力の塊を放射状に放出。周り全てを巻き込むその力はまるで爆発のようで、全てが吹き飛ばされる。
一つ一つの威力は致命とはならず、だが、多すぎる数の魔力弾に誰もが立ち上がる力さえ根こそぎ奪われてしまった。
姫様も同様に傷を負っている。小さな呻き声がクロエの耳に届き、目的を果たす為に彼女に向き直った。
「・・・ひ・・め・・さ・・・」
ロスアレスさんの呼ぶ声は姫様には届かない。今、彼女の視界は殺戮者が占めている。
女の子一人には過剰に過ぎる魔力がクロエのナイフを中心として集まっていく。
死を覚悟してギュッと目を瞑る姫様。
そして、それが振り下ろされた。
「連太郎っ!!」
眼が開けてられない程の光が現れる。魔力を集めた障壁だという事に気づいたのは数秒後。姫様を庇っているのは、
「アルメリアっ!」
小さな身に不釣り合いな程の魔力を操り、彼女はクロエの猛撃を受け止めている。しかしその歯は食いしばられ、表情に余裕は無い。
「連太郎っ、やめろ、もうやめるんだっ」
必死に叫ぶ彼女の声はクロエに届いたのだろうか。わからないままに尚も彼女は叫ぶ。
「お前がやっていることはっ、お前自身を苦しめるっ!わかっているんだろう!やめるんだ!」
連太郎、と。彼女は全てを振り絞ってクロエを呼ぶ。
そしてアルメリアの魔力とクロエの魔力とがせめぎ合い、打ち消し合う。
一瞬の膠着。だが、クロエのナイフは再び動き出し、そのまま進む。
それは、アルメリアの胸に突き立った。
「ぅあっ・・・あ、あ・・・。」
アルメリアでは無くクロエの口から意味の無い声が漏れる。
「・・・大丈夫、連太郎。・・・わしは、死なん・・・。頼む、連太郎・・・」
アルメリアの声をかき消してクロエが再びの絶叫。途端にそれが途切れ、その場に膝を突き、体を倒し、クロエは意識を失っていた。
「連太郎・・・。」
同じく膝を突いたアルメリアが彼を求めて手を伸ばした時、不快感を催す嗤い声が一つ響く。
同時に閃光と。喉を焼く煙が混乱をもたらし、広間に広がる。
何も見えず、状況がわからない僕たちの耳に、再びの嗤い声。
「ぃひっ、面白いですねぇ~っ。」
煙が晴れ、視界が戻った時にクロエの姿は無い。
クロエが居た場所に、居なくなった彼を求めるかのように、アルメリアの血が、広がっていく。




