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8-2

 ノラは、これまで兄と慕ってきたエレンが、十七年前に死んだと聞かされていたレックス王子だと知り、言葉を失った。


「え……エレンが、王子……?」


 ノラがエレンを見ると、エレンは顔を歪めて、ノラの視線から逃げるように目を逸らす。


「筋書きはこうだ。国王と王太子を殺害したグランディエによる王位簒奪。そして、生存していたレックス王子。帝国は王位簒奪を企てた反乱勢力を排除し、正統王族レックス王子を保護するための限定的軍事支援を行った……と、まあ大筋はそんなところだ。細かい理屈はバスティアンが整えるだろう」


 イヴァンの話す内容から、この計画は帝国宰相のバスティアンも噛んでいるようだ。


「……なんでだ?」


 エレンは唸るように問う。


「なんで俺がレックスだと知っている⁉︎」


 長年、自分の出生を隠してきたエレンは、なぜイヴァンが、それも他国の総司令官がその情報を掴んでいるのか、理解できなかった。


 彼の出生の秘密を知っているのは、産みの母であるフローラと、育ての母であるエレノラだけ。その二人もすでに他界している。

 ノラにすら隠していたことなのに、エレンが他の者にこのことを話すはずがない。


「たとえお前が俺を調べ尽くしたとして……この事実が出てくるはずがないんだ!」


 なぜなら王国の誰もが、王子レックスは死亡したものだと思っていたから。

 それなのに、どうやってイヴァンに情報が伝わったのか……その伝達経路が分からず、エレンはもどかしい気持ちだった。


「……俺の唯一の特技はな、記憶力なんだ」


 取り乱すエレンの様子を静かに見つめながら、イヴァンは種明かしする。


「一度見たもの……特に人の顔は忘れない」


 答えになってないイヴァンの答えに、エレンは顔を歪める。


「十七年前の帝国とヘブリス王国の戦争が終わり、父が自害した時……父が抱えていた母の肖像画の裏に、父の遺言があった」


 イヴァンは悲しみも苦しみもない瞳で、淡々とその日の記憶を思い浮かべていた。


「その遺言は、父の言葉なんてなく、ただ日付と時間と場所が記載されていた」


 イヴァンの金色の瞳が、ノラを見た。


「そこは母の死地とされるヘブリス王国のとある小さな町。俺は何があるのか確かめたくて、一人で王国へ渡った……十五年前のことだ」


 イヴァンの言葉に、ノラはハッとする。確かに前、マーガレットもそんなことを言っていた……


「そこには、死んだと聞いていた母が普通に生きていて、二人の孤児を育てていた」


 ここまで聞くと、エレンもノラもイヴァンの次の言葉が分かった。


「つまり、俺は二人のことを十五年前から知っている。その時に、母からノラや……レックス王子のことを聞かされ、いつか縁があれば助けてやってくれと頼まれた」


 エレンは信じられないといった表情で、訝しげにイヴァンを見ていた。


「記憶力がいいと言ったって……十五年前だぞ? たった一度会っただけで、覚えていられるものなのか?」


 十五年前の記憶を保持し続けているなんて、そんなの常人にはあり得ない。エレンが疑っていることに気付いたのか、イヴァンは面倒そうに眉を顰めた。


「だから、記憶力が俺の唯一の特技だと言っているだろう」


 そう返されてしまい、エレンは口を閉じる。


(俺とノラをここまで追い詰めておいて、唯一の特技とかどの口が……こいつ)


 納得いかないが、それ以上は問い詰めず、エレンはこの胸の怒りを飲み込んだ。


「私達、昔イヴァン・アルノルフォに会ったことがあるの?」


 イヴァンの隣では、ノラが驚いていた。


「あぁ、一度だけな。少し会話もしたが……二人が信じられずに疑おうが、それが事実だ」


 ノラも自分を疑っていると思ったのか、イヴァンは不機嫌そうに素っ気なく言った。すると、ノラは少し考える素振りを見せて、次の瞬間「あ!」と大きな声を上げた。


「もしかして……あの時、花を買ってくれた『お兄さん』⁉︎」


 すると、イヴァンの目は輝き、不機嫌だった顔が見る見ると嬉しそうに笑った。


「思い出してくれた?」

「え、えぇ……だって、あの時……」


 ノラは思わず、頬を赤くする。ノラは昔、とても綺麗な少年に花を買ってもらったことがある。まるで、絵本に出てくる王子様みたいな人だと思ったのだ。


 ノラはその少年のことを、しばらく忘れられなかった。なぜなら……ノラの淡い初恋だったから。


(……言えない! そんなこと!)


 真っ赤な顔のまま、イヴァンから顔を逸らしたノラは、ふと思い当たる。


(待って……じゃあ、イヴァン・アルノルフォの秘密の部屋にあった、花売り少女の大量のあの絵は……)


 あの絵の少女は、自分だった?


「それより、ノラ。君はいつまで俺をそんな他人行儀に呼ぶんだ」

「え……?」


 イヴァンの絵のことを考えていると、思考を遮るようにイヴァンがノラの肩を抱き寄せて言った。


「俺は、君の夫だろ?」


 そうやって、甘い表情で笑うイヴァンが眩しくて……


「……イヴァン」


 ノラが小さく彼の名を呼んだ時、船が港に到着する。


「着いたぞ。ノラ、降りる時に気を付けろよ」


 エレンが軽く忠告して、船員達と共に船を降りていく。


「ノラ。もう一度呼んでくれ」


 残されたノラとイヴァンだったが、イヴァンは楽しそうな笑顔を浮かべて、後ろからそっと囁いてきた。

 ほんのり頬を赤く染めたノラは、そんなイヴァンを、照れ隠しのようにムッとした表情で見上げる。


「イヴァン」


 すると、イヴァンはノラに不意打ちのキスをする。


「んんっ⁉︎」


 驚くノラからそっと顔を離して、イヴァンは悪戯が成功したように目を細めて笑っていた。


「今は誰も見てないから、人前じゃない」

「そういう問題じゃないから!」


 真っ赤な顔でノラが怒ると、イヴァンは珍しく声を上げて笑った。


「さぁ、奥さん。俺の手に掴まって」


 船から降りたイヴァンは振り返り、ノラへ手を差し出す。


「…………」


 ノラはムッとしたまま、黙ってその手を掴んだ。


(あぁ、もう……この男には本当に……)


 どうしてノラはこんなにも、イヴァンに抗えないのだろう。

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