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7-6

 潜入や暗殺を得意とするエレンにとって、イヴァンの真っ向からの刃を受け止めるのは一苦労だった。


 鈍い音を立てて刃が重なり合う。


 やはりイヴァンの方が優勢で、エレンは悔しそうに顔を歪めた。


 ノラはハラハラした気持ちで二人を見つめていた。どうすればいいのか……けれど、どちらにも傷付いて欲しくない!


 エレンは剣技でイヴァンに敵わないと悟ったのか、鍔迫り合いの時にわざと力を抜いてイヴァンの体勢を崩すと、懐から毒を仕込んだ短剣を取り出す。そして、それをイヴァン目掛けて刃先を突き立てようと腕を振った。


 しかし、イヴァンは剣の柄を持ち直し、刃を返すようにして、その短剣を剣で弾く。


 船員の誰もその二人を止めようとはしなかった……いや、できなかった。あの二人の間に割って入れば、やられるのは自分の方だ。


 しかし……


「二人ともやめて!」


 ノラだけが前に出て、二人の間に割り込んだ。


 イヴァンの剣先と、エレンの毒刃が振り下ろされている瞬間だった。突如目の前に飛び出してきたノラに、二人は目を見開いて、常人離れした反応で咄嗟に軌道を変える。


 エレンの毒刃がノラの髪の毛先を掠め切り、イヴァンの剣が甲板へ突き刺さった。


「…………」


 イヴァンは声も上げられないくらいに驚いているようだった。短い呼吸を何度も繰り返しながら、信じられないといった顔でノラを凝視していた。


「あ……危ないだろ⁉︎」


 先に声を上げたのはエレンだ。


「もしお前が傷付いたら、俺はっ……!」


 エレンの言葉を遮ったのは、イヴァンの剣が床に転がった音だった。


 イヴァンは甲板から剣を引き抜くなり、そのまま放り投げると、すぐにノラを抱き締めた。その力はいつも以上に強い。


「……良かった……」


 イヴァンの声は震えていた。


「君を、傷付けてしまうところだった……」


 ノラの肩に顔を埋めながら、イヴァンは呟く。ノラはイヴァンの反応にとても驚いていたが、やがて自身の肩にしっとりとした温かさを感じた。


(え……な、泣いてる⁉︎)


 イヴァンの震える背中の向こうでは、エレンもあんぐりと口を開けて固まっている。


 エレンは初めて、イヴァンの愛を目の当たりにした。この男は最初から掴み所のない男だった。

 何食わぬ顔でこちらを出し抜き、笑顔の下で計算し、そして愚かな溺愛夫と冷徹総司令官の顔を使い分ける。


 そんな狡猾な男の感情が露わになってしまったところを、見てしまった……


 そしてノラもまた、エレンと同様に気付いてしまったみたいだ。

 彼女の宙に浮いていた手が、そっとイヴァンの大きな背中に添えられるところを、エレンは見た。


(あぁ、胸が痛い……)


 もう二人を見たくない。でも、きっと、目を逸らしちゃいけない。


 ノラは驚きながら、目をぱちくりと瞬かせた。

 なぜ、この男は泣いているのか……これまでのイヴァンの溺愛は、ノラを騙すための計算されたものではなかったのか?


 強引に推し進められた結婚も諜報員であるノラを監視するためで、イヴァンが見せてきた『恋に溺れた愚かな男』の姿もノラを欺くための姿で……


 それなのに、ノラが傷付きそうだったとこんなにも取り乱して……そんなの、まるで……


「……イヴァン・アルノルフォ。もしかして、私のことが好きなの?」


 ノラが問いかけると、イヴァンはそっと彼女から体を離した。


「……すまない。少し、取り乱した」


 顔を上げたイヴァンは、いつも通り平然とした顔だった。ただ、目元と鼻先だけが少し赤い。


 ノラはなぜか胸が高鳴っていた。


「俺に自分を愛してくれと言っておきながら、逃げる君に答えてやりたくない」


 イヴァンには珍しい拗ねた表情で、目を伏せるようにノラから目を逸らす。


「……俺は、確かに出会った日から君が『ユリアナ・ケリス』でないことを知っていた。君が他国の諜報員だと知りながら君に近付いたし、君も俺に近付いてきたから受け入れた。確かに君を騙した。だが……」


 イヴァンの伏せてあった瞼が上がり、彼の金色の瞳にノラの姿が映し出される。


「俺の初恋については、嘘なんてない。本物だ」


 ノラは目を大きく開いて、自分の顔が熱くなっていくのを感じ取っていた。


「俺が愛したのは、『ユリアナ』じゃない。『君』が好きだ」


 それはノラが聞きたかった言葉だ。しかし、いざ言われるとどう受け止めていいのか分からない。

 なぜなら、ノラとイヴァンの最後の別れは、ノラが自分の恋心を使ってイヴァンを騙したものだからだ。


「……私は、全部嘘だらけで、私だって貴方や皆を騙してた!」


 だから、簡単にイヴァンを受け入れてもいいのか? 帝国で築いた関係性も、全ては『ユリアナ』が築いたもの。今さら騙してたノラを受け入れてくれるのか?


「君は……また俺達を騙すのか?」

「もう騙せない……だから、去ったの!」


 ノラの中では嬉しい感情と騙した人達への罪悪感が混じり合い、思わず泣いてしまった。必死に涙を拭いながら答えていると、突然自分の体がふわりと浮き上がった。

 イヴァンがノラを抱き上げたのだ。


「君の名前を教えてくれ」


 イヴァンは柔らかく笑っていて、これまで彼が見せてきた『溺愛夫』でも『冷徹総司令官』の表情でもない。

 ただ真摯に、ノラを求める一人の男の顔だ。


(……信じても、いいの? また騙されない……?)


 そんな警戒心からの疑問がノラの頭の中に過るが、答えを出す前に自然とノラは口にしていた。


「……ノラ、です」


 理屈じゃなかった。ノラの心は、イヴァンを求めている。望んでしまっている。


 ノラが緊張した様子で答えると、イヴァンは「ノラ……」と小さく繰り返すように呟く。そして、目を細めては、幸せそうに笑って見上げてくる。


「俺達は嘘つき同士だ」


 イヴァンは愛おしそうにノラを見つめた。


「だから、全て『本物』にしよう」


 イヴァンの言葉の意味が分からなくて、ノラはキョトンとした様子でイヴァンを見た。


「ノラ。俺と結婚してください」


 騙し合ったなら、今度は愛し合おう。


 ノラは思わず呼吸を止めて、イヴァンを見る。彼の瞳はどこまでも澄んでいて、ノラはその瞳を見ていると、今だけは信じたいと強く思った。


(……この人から逃げたくない。今度こそ本当の私自身で、貴方の隣にいたい……)


 だから、ノラもやっと素直になることができた。


「……はい……!」


 目に涙を浮かべてノラが身を屈めると、イヴァンは顔を寄せてきてキスをした。

 ノラがイヴァンの首に腕を回すと、イヴァンもまたノラの腰を抱き寄せる。


 二人は幸せそうに、唇を重ねたまま笑っていた。


 静かな夜の月明かりが、今、二人の『愛』を暴いてしまったのだった。

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