7-2
「お前。下賤な身で御身に触れるとは……大罪だぞ」
ブライアンが明確な殺意を抱いて、ノラに剣先を向けた。ノラは怯むことなく聞き返す。
「王太子様。このお方は貴方様のお父君です、家族です。本当に子が、親を殺せるでしょうか?」
ノラは自分を苦しみから救ってくれた『家族』の絆を信じている。ノラの言葉に、ブライアンは顔を歪ませて、一瞬だがたじろいでいた。
「今ならまだ間に合います! だからどうか、道を開けてください!」
その時、ヘブリス王の血に混ざった言葉がうわ言のように聞こえてくる。
「……私の、愛する妃フローラ……愛する息子レックス……」
ノラは腕の中のヘブリス王を見下ろした。彼は虚ろな瞳で空を見つめている。
ヘブリス王の妻は、今は亡きカトレア王妃ではなかったか?
「『父親』? 『家族』? 笑わせる」
ブライアンは憎しみのこもった表情でヘブリス王を睨み付けながら、叫ぶように言った。
「この男は俺の父でも家族でもない! ただ、血の繋がっただけの他人だ!」
逆上するブライアンの勢いに、ノラは思わず背をのけ反らせた。
「私の可愛い忠実なノラ、ひとつ昔話をしてあげよう」
怒り狂うブライアンの肩を優しく叩いて落ち着かせながら、グランディエ公爵が口を開く。
「ヘブリス王には、心から愛する女性フローラ妃がいたんだよ。彼女は息子を産み、王妃と王太子を家族とは認めず、フローラ妃とその息子のみを愛していた」
グランディエ公爵はブライアンの手の中から静かに剣を受け取ると、ノラへ向き直った。
「それはもう、私の妹と甥が可哀想になるくらいね」
カトレア王妃はグランディエ公爵の実妹だ。そして、ブライアン王太子は甥……その血縁関係から、彼らに公爵が手を貸してやる理由は分かる。
「だからフローラ妃とその息子を城から追い出し、死地へ送り込んでやったというのに……心の弱い妹は自死を選び、ブライアンを一人残して旅立ってしまった」
とても残念そうに肩を落とすグランディエ公爵。一見、妹の死を悲しんでいるように見えるが……彼は一瞬にして、ぞっとするほどの冷たい表情を浮かべて言った。
「やっと邪魔者を消したのだから、これから王宮を掌握し、私の権力の礎になるべきという時に自害するとは……当時はブライアンもまだ幼かったし、本当に困ったよ」
ノラはなぜ、グランディエ公爵がこの話を自分に聞かせるのか分からなかった。
グランディエ公爵がフローラ妃達を送った死地とは? ヘブリス王を毒殺しようとしているのは、単純に王位を欲したから?
「なぜ自分にこんな話を聞かせるのか、不思議だと思っていそうな表情だね」
まるでノラの心を読むように、グランディエ公爵は目を細めながら見つめた。
「十七年前の帝国との戦争で、ノラは……とても辛い思いをしただろう?」
グランディエ公爵はもちろんノラが戦争孤児だと知っていた。実の両親だけでなく、育ての親すらも失って、健気に兄と二人で生きてきた少女。
グランディエ公爵は、そんな過去も含めて、優秀な諜報員ノラを気に入っていた。
「君の港町が襲撃された事件……あれ、わざと私が帝国に港町の情報を流したんだ」
ノラは一瞬で頭が真っ白になって、目を見開いた。
「君の故郷が帝国軍に襲撃されることは分かっていた。そこにフローラとレックスを送り、帝国軍に襲わせる。それに民間人を虐殺した帝国は、密売船を抱えていた王国よりも、外聞が悪くなった」
グランディエ公爵は当時を思い出してか、少し楽しそうに目を細めていた。
「帝国は王国が手を出さなくても、他国から集中攻撃を受けた……まぁ、その戦争で勝利するのは、さすが帝国と言わざるを得なかったが……ただ、帝国を確実に疲弊させることができた。利益を運ぶ港と密売船を失ったのは痛かったが、けれど、得るものも大きかった」
邪魔なフローラ妃と、いつもヘブリス王国を脅かす帝国の勢いを削ぐことができたのだから。グランディエ公爵はそう言って、ノラに残酷な真実を告げるのだった。
ノラの、ヘブリス王を抱える手が震える。
「なぜ、そんな残酷なことを……」
ノラは静かに呟いていた。
「ずっと、こんな孤児の私にも、グランディエ公爵様は優しくしてくださっていたではないですか……」
信じていた者からの裏切りに、ノラの瞳から大粒の涙がポタポタとこぼれ落ちていく。
「それは、私にとってノラがとても大切な部下だったからだよ」
グランディエ公爵はいつもと変わらない優しい顔で微笑みながら、ノラの腕の中を指差す。ノラはハッとしてヘブリス王を見下ろすと、彼の呼吸は止まっていた。
「あは、あははは! これは復讐だ! 俺を苦しめ、母上を殺したことへの復讐! 死んで当然だ!」
ヘブリス王の絶命を確認したブライアンが、大きな声で愉快そうに笑っていた。ノラは震える手で、まだ温かいヘブリス王の体を抱き締める。
「ノラは本当に、私の『駒』の中で一番のお気に入りだよ」
グランディエ公爵は笑ったままそう言って、ブライアンから取り上げていた剣で、甥の心臓を背中から貫いた。
「え……? 伯父、さま……なんで……?」
ブライアンは信じていた伯父の行動が信じられず尋ねるが、答えを聞く前に呼吸が止まってしまった。
「忠実で、健気で、優秀で……そして、私の役に立ってくれるから」
グランディエ公爵は血に濡れた剣を、ノラの足元へと投げ捨てると、突然大きな声で叫んだ。
「誰か! 誰か! 王陛下と王太子殿下が、殺された‼︎ 帝国の諜報員が、潜入している‼︎」
「……グランディエ公爵……」
ノラはただ呆然と立ち尽くし、グランディエ公爵が自身の全ての罪をノラに擦りつける様子を見つめているだけだった。
グランディエ公爵は笑顔でノラに向き直る。
「帝国人……それも元総司令官のエレノラ・アルノルフォに育てられた君ほど、全ての罪を被せて切り捨てやすい駒は、ないからね」
知っていた。ノラ自身が知らなかった彼女の真実まで、グランディエ公爵は初めから知っていたのだ。
帝国の総司令官に育てられた娘。その娘が王国の王と王太子を殺害した。罰を下す矛先は、ノラだけじゃない。その向こうにいるとされる、帝国もだ。
(グランディエ公爵の目的は、王位簒奪だけじゃない。私に罪を被せるだけじゃなく、また戦争の火種を起こそうとしているんだ……!)
一つの行動でいくつもの目的を果たす。計略に優れた公爵の狡猾さを目の当たりにしたノラは、こんな男をずっと信じていたなんて、悔しくて堪らなかった。




