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ノラは思わず顔を上げた。すると、マクシミリアンの優しい紫色の瞳が、ノラを真っ直ぐに見つめていた。
「……どうして二人はここに来たんですか?」
ノラの呟くような質問に、アルベルトが「僕がお願いしたんだ!」と慌てながら言った。
「僕、どうしてもユリアナ様に会いたくて……でも、アルノルフォ公爵は絶対ダメだと言うから……」
「アルベルトの母親が直接、私に願いを申し出てきたんだ」
補足するように、マクシミリアンが続けた。
「メイベルは私の従姉妹の孫でな……私達は遠い血縁関係にある。メイベルやアルベルトからお前の話を聞かされていなかったら、私はお前の状況を知らないままだった」
どうやらイヴァンはまだノラが諜報員だと世間に公表していないらしく、このことは公爵家の中で留められているようだ。
それなのにアルベルト達が知ったきっかけは……バスティアンから何かしらの形で知ることになったのだろうか?
「この子はお前に会うために、必死で方法を考えて私の元へ会いに来たというわけだ」
マクシミリアンはアルベルトの小さな頭を撫でてやりながら、穏やかな声で言った。
「アル……どうしてそこまで……」
ノラが力なく言うと、アルベルトはニコッと笑った。
「だって僕は、貴女の『仲間』でしょ?」
アルベルトの純粋な好意が、ノラの心に染み渡っていく。ノラは堪らなくなって、アルベルトの小さな体を抱き締めた。
「私だってお前の『散歩フレンズ』だぞ」
負けじとマクシミリアンも笑いながら言った。
『諜報員』として、知り合った二人。けれど、彼らと過ごした時間は確かに本物だった。
ノラはやっと小さな笑顔を浮かべる。そして涙を拭うと、マクシミリアンの方へと向き直った。
「マクシミリアン様、私はヘブリス王国から送られてきた諜報員です。ずっと騙していて申し訳ありませんでした」
頭を下げて、ノラが次に顔を上げた時、彼女のスミレ色の瞳には強い決意が宿っていた。
「私は祖国で、帝国は戦犯国家だと、悪魔だと教えられ、それをずっと信じて生きてきました」
もう、偽りの真実には惑わされない。母の教えのように、自分の目で見たものを信じよう。
「戦争のことはもちろん、私を育ててくれたエレノラについても……全て、真実を教えてください」
ノラの覚悟を受け取ったマクシミリアンは、ゆっくりと椅子に深く座り直し……そして、当時、自身が皇帝だった時代へと記憶を遡っていった。
「ヘブリス王国へ戦争を仕掛けたのは、確かにヴァルキリアス帝国……私の判断だった」
マクシミリアンは一つひとつ語っていく。
なぜ、帝国は王国を攻撃したのか。
「当時、ヘブリス王国はとある田舎の港町を使って、武器の密売を行っていた。それだけじゃない。王国は武器の売買情報を各国に流すことで争いの火種を世界中に植え付けていった。そうして、新たな取引先を引き寄せ、金儲けをしていたんだ」
ノラはあの日バスティアンの執務室で見た報告書のことを思い出す。田舎の港町……つまり、ノラの生まれた町だ。
やはり、町全体が密売網の一部だったのだ。ノラの両親も、知らず知らずその仕組みに組み込まれていたのかもしれない。
「……ヘブリス王国は、自国の利益のために世界中で戦争を煽動していた……そういうことですね?」
ノラの冷えていく言葉にマクシミリアンは頷く。
「あぁ、帝国の立場として……これ以上、王国の好きにはさせられなかった。だから私は、当時のアルノルフォ公爵であり軍部総司令官のエレノラ・アルノルフォにとある作戦を命じたのだ」
僅かだが、マクシミリアンの声が震えていた。
「その港町を襲撃し、町民達を殲滅せよ……と。王命を受けて、前アルノルフォ公爵は軍を率いてヘブリス王国へ渡ったのだ」
ノラの目から次々と涙がこぼれ落ちる。マクシミリアンはその涙を拭ってやろうと手を伸ばすが、途中で止めて、そして躊躇うように引っ込めていった。
「分かっている、悪いのは国だ。町民達もただ国の命令に従っていただけだと……しかし、ヘブリス王国を止めるには、その根本を潰してしまうしか方法がなかったのだ」
だからマクシミリアンは、王国との戦争の開幕地にその港町を選んだ。
帝国が王国に戦争を仕掛けた理由は分かった。でも、ノラの脳裏には町民達の焼けた死体の山が思い浮かぶ。
きっと、ヘブリス王国に非がある。それは分かる。でも、頭では分かっていても、感情の部分でそれをまだ飲み込められない自分がいる。
「……私はその港町出身の戦争孤児です……」
ノラの言葉に、マクシミリアンは目を見開いた。
「なぜお母さんは……エレノラは、私を育ててくれたのでしょうか?」
きっと帝国から見れば、王国は憎い相手だったはずだ。しかし、エレノラはノラを助けてくれた。それだけじゃない。彼女はノラにとっての母となってくれた。
「……実は、エレノラ・アルノルフォはその作戦途中で司令官を解任されている。平和のためとはいえ、町民達の大量虐殺という作戦に疑問を抱いていたのだろうな……彼女は作戦を放棄し、謀反者となったのだ」
そうか、きっとエレノラは、罪の意識からノラを引き取ってくれたのだ。自身が率いた軍と、止められなかった作戦からの罪悪感。
(だから初めて会った日、お母さんは私に何度も謝っていたのね……)
少しだけ悲しい気持ちになる。初めは罪悪感からだったのかもしれない。でも、エレノラがノラを心から愛してくれていたことまでは、ノラは疑わなかった。ちゃんと、母の愛は伝わっていたから。
「作戦は終わり、エレノラの夫でありイヴァンの父である当時の副官が、エレノラの片腕を手にして帰還し彼女の死を知らせてきた。だから、本当はエレノラが生きていたと知り、私も今驚いている……」
マクシミリアンはそう言って、淡々と妻の罪と死を告げた男の姿を思い出していた。
(アレックス、お前ほどの腕が立つ男が罪人をみすみす逃すはずがない……きっと、エレノラを逃していたのだな)
その後アレックス・アルノルフォは妻の代わりに総司令官の座に着くと、戦争で見事勝利を収めた英雄となった。しかし、終戦の翌年に、彼は妻の肖像画を胸に抱きながら自害した。
アレックスは死ぬ前に公爵家中の肖像画を燃やし尽くしていた。そのエレノラの肖像画だけが、残った最後の一枚だったのだ。
妻を逃がしながら、その妻が捨てた戦争を自ら終わらせた。その矛盾を、彼は最後まで抱えていたのだろう。
彼は、妻の罪と自身の罪を、墓場まで持っていくつもりだったのだろう……
マクシミリアンの判断で、これだけ多くの人間が不幸になった。ノラも、その一人だった。
けれど、目の前の老人を責める言葉が、ノラの口から出てくることはなかった。
「……何度思い返しても、本当に後悔が尽きないよ……」
彼の紫色の瞳の奥で、涙が光る。
「ただ、私は何度あの日に戻ろうと……きっと、皇帝としてまた同じ選択をするだろう」
マクシミリアンの静かな声が、そう締め括った。




