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ノラが目を覚ました日から、イヴァンは毎日部屋を訪れて彼女の世話をするようになった。
着替えさせたり体を拭いたりするなど、直接身体に触れることは、ノラが強く拒絶したためメイドに任せている。しかし、食事だけは手ずからノラに食べさせようとしていた。
ノラは決して、イヴァンから与えられる食事を口に入れようとしなかった。
イヴァン・アルノルフォは、捕らえた諜報員を薬を使用して尋問すると聞く。公爵家で出されたこの食事にも、薬が混ぜられているかもしれないからだ。
「……今日も食べないつもりか?」
少し呆れた様子のイヴァンの声が聞こえてくる。
「これで何日目だ? 食事も拒否、栄養剤の投与も拒否だと、君、本当にこのまま死ぬぞ。毒に蝕まれていた君の体は、元々限界なんだぞ」
ノラは顔を上げて目の前のイヴァンを見据えると、不敵に笑ってみせた。
「自白剤が入っているかもしれないのに、食べるはずないでしょ?」
「なるほど」
何に納得したのか、イヴァンは少し考える素振りを見せると、手に持っていたスプーンをテーブルの上に置いた。
「君がどれだけ拒んでも、食べさせる方法なんていくらでもある」
イヴァンの金色の瞳が鋭く光ったかと思えば、イヴァンはスープを皿ごと持ち上げて自身の口元に運んでいく。
そして直接皿に口を付けると、スープを口に含み、ノラの顎を掴み、無理やり顔を上げさせて口付ける。
どうやら、イヴァンは口移しで無理やりにでも食べさせる方法を選んだようだ。
野菜の甘みが出た温かなスープがノラの喉を通っていく。こんな方法を取られるとは思っていなかったノラは、目を見開いた。
二人の唇が離れる。
イヴァンはもう一度、さっきと同じようにスープを口に含むとノラへ顔を近づけた。
さっきは咄嗟のことで反応できなかったが、今度は違う。ノラが拒絶しようと顔を背けるが、イヴァンの強い力で正面を向かせられて、また口移しされた。
ノラがスープを飲み込んだことを確認して、イヴァンは彼女から手を離す。荒い呼吸を繰り返しながら、ノラは真っ赤な顔で目に涙を溜めて、イヴァンを睨み付けた。
そして、ノラは大きく手を振り上げてイヴァンの頬を思いっきり叩く。
「やめてよ!」
ついに目から涙がこぼれていく。ノラは怒鳴りながらイヴァンを拒絶した。
「嫌い! あんたなんか、本当に大嫌いっ‼︎」
イヴァンのことも、騙されていると分かっているのに彼に振り回される自分のこの心も、全部大嫌いだ。
ノラは感情的になりながらイヴァンにクッションを投げ付ける。イヴァンはそのクッションを受け止めると、静かに言った。
「『嫌い』なんて嘘だ。君は、俺のことが好きだから」
イヴァンの言葉に、ノラの怒りは込み上がる。
「だから、私をまた騙すの⁉︎」
彼がそんなにもお見通しなら、ノラはもうイヴァンへの恋心を否定しなかった。
「私を愛してもいないのに、愛してるふりしてこんなこと……拷問で情報を吐き出される方がマシだわ!」
自分が惨めになるだけだ。諜報員のくせに、敵国の総司令官を好きになってしまった。そんな自分を突き付けられるたびに、惨めで、苦しくなる。
ずっとノラの言葉を静かに聞いていたイヴァンが、この時だけは眉を顰めていた。納得がいかない、といった表情だった。
「何を言ってる? 俺は……」
トントン。イヴァンの言葉を遮るように、部屋にノックの音が響き渡る。
「旦那様、お客様がいらっしゃいました」
イヴァンが返事を返すと、扉の向こうからヴィンセントの声が聞こえてくる。
するとイヴァンは少し不服そうな顔をしてノラを見つめた後、小さく息を吐いてから言った。
「……君に客人だ」
素っ気なくそう言ったイヴァンは、ノラに背を向けて扉の方へと向かう。そして、その『客人』を迎え入れるために扉を開いた。
「ようこそお越しくださいました」
イヴァンが丁寧に頭を下げる。公爵であるイヴァンがこのような態度を取る相手は数少ない。
「アルノルフォ公爵。彼女に会って話がしたいという私の我儘を聞いてくれて、ありがとう」
部屋に入ってきたのは、マクシミリアンとアルベルトだった。マクシミリアンは皇宮でノラと一緒に散歩を楽しんでいた時のようなラフな格好ではなく、今は前皇帝陛下に相応しい装いだ。
(どうして二人がここに……?)
ノラは彼らを目にした瞬間、びくりと怯えた表情を浮かべた。
「……公爵。彼女と私達だけにしてくれ」
マクシミリアンの言葉に、イヴァンは無言のままその場に留まろうとしたが、しかし最終的には諦めた様子で息を吐いた。丁寧に頭を下げた後、イヴァンは部屋から出て行った。
「ノ……ユリアナ様!」
静まり返る空気を破るように、アルベルトが目に涙を浮かべてノラの元へ駆け寄った。
そしてベッドに横たわるノラに抱き付くと、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「ユリアナ様……すごくやつれてる……」
「ユリアナ」
アルベルトの後ろからマクシミリアンが声を掛けてきた。
「毒を服用したと聞いた。体は大丈夫か?」
二人の心からの心配がノラに伝わる。
ノラは何も言わずに、彼らから目を逸らすように俯き、そしてこぼれ落ちる涙を拭うこともできないまま、ただ下唇を噛み締めた。
マクシミリアンはさっきまでイヴァンが座っていた椅子に腰を下ろすと、そっとノラの手を優しく握った。
ノラの俯く視界の中に、マクシミリアンの皺だらけの大きな手が映る。
「今日はお前に……十七年前の帝国とヘブリス王国の戦争の真実を伝えに来たんだ」




