6-3
ノラは後から、エレンとエレノラが親子ではなく、エレンもまた孤児なのだと知った。
両親を奪われた心の傷により言葉と記憶を失っていたノラだったが、二人と過ごす貧しくとも心安らぐ日々の中で徐々に立ち直っていった。
一年も経つ頃には、強いショックで失っていた言葉も少しずつ戻っていた。ただ、両親と暮らしていた頃の記憶だけは戻らなかった。思い出せないことは悲しいけれど、でもノラには新しい家族がいる。
ノラがもう少し大きくなって、路地で花を売り始めた頃には、ノラは笑顔を取り戻していた。
「お母さん。さっき、あのお兄ちゃんがお花を買ってくれた!」
ノラが花束を抱えて去っていく少年の背中を指差す。
「そうか。お前が一生懸命売ったから買ってくれたんだな」
エレノラは嬉しそうに笑うと、ノラを片腕で抱き寄せた。まるで娘の成長を喜んでいるように。血の繋がりはなくとも、二人は『親子』だった。
彼らを母と兄と慕い、再び声と笑顔を取り戻せた幸せの日々……いつまでも続くことをノラは願っていたけれど、神様は二度も彼女から大切な者を奪った。
ある日、エレノラからお使いを頼まれていたエレンとノラが帰宅すると、胸に剣が深く突き立てられたエレノラが床に横たわっていた。
何が起きたのか、目の前の光景が信じられずにノラは固まったまま立ち尽くし、血まみれのエレノラを見つめていた。
エレンが泣きながら必死にエレノラへ声を掛ける。すると微かに息を吐きながら、エレノラが意識を取り戻した。
エレノラは霞む視界にエレンとノラの姿を見つけると、顔色は悪いのに穏やかな笑みを浮かべた。
「……私の可愛い子供達……どうかお母さんに、お前達を抱き締めさせてくれ……」
その言葉でやっと、ノラの足は動いた。弾き出されたようにエレノラの元へ走り、彼女の血が自分の服に滲んでいくのも構わずに抱き付く。
「誰が母さんを……絶対、俺が! 母さんの仇をとってやるから!」
ノラは泣くことしかできなかったけれど、エレンは泣きながらも強い復讐心を抱えていた。
「エレン、ノラ……」
エレノラは最後の力を振り絞るように、片腕で子供達を抱き締める。
「私はお前達に……謝らねばならないことが、たくさんある……」
「母さん! 無理に喋るな!」
「お母さん……死なないでぇ……!」
腕の中で泣く二人を見下ろしながら、エレノラはニコッと笑った。
「エレン……兄として妹を必ず守ってやりなさい。ノラ、妹として……兄を支えてあげなさい」
エレノラの金色の瞳から、徐々に光が失われていく。
「互いを信じ合って、どうか強く……生き抜いて。どんな状況でも、惑わされず……自分達の目で見たものを信じなさい……」
エレンとノラは泣き声を必死に抑えて、エレノラの言葉に耳を傾けていた。
「……二人とも、愛してるよ」
その言葉を残して、エレノラは動かなくなってしまった。
突然の別れだった。二人が家を出る前、エレノラは確かに笑顔で手を振りながら二人を見送っていたのに。
強盗にしては、家の中は荒らされていない。ノラがエレノラの胸に突き刺さったままの剣を見る。とても見覚えのある剣だった。
(……あの日、私の両親を殺した兵士達が持っていたものと、同じものだ……)
これは強盗ではない。エレノラは、ヴァルキリアス帝国の兵士に殺されたのだ。
その瞬間、ノラの中で強い憎しみの感情が芽生えた。
二度も、奪った。
戦争が、ヴァルキリアス帝国が、ノラから大切な人達を二度も奪っていった。ノラだけじゃない。エレンの本当の家族も、それにたくさんの人達からも。
「エレン、私……」
ノラは止まらない涙をそのままに言った。
「お母さんを殺した人のこと、絶対に許さない」
彼女のスミレ色の瞳の奥に、憎悪の光を初めて見つけたエレンだったが……彼は何も言わず、頷いたのだった。
それからノラとエレンは兄妹二人で助け合い生きてきた。
エレンが働ける年になると、彼は働きながらノラを学校に通わせてくれた。
エレンは最後まで反対していたが、ノラの希望で彼女は普通の学校ではなく、国が運営する軍の訓練学校へ通った。そこで、悪国家ヴァルキリアス帝国がいかに悪辣で悪魔なのかを、しっかり学んだ。
将来兄の助けとなれるよう学び、そしてエレノラのような強い女性に憧れて軍人を目指す決意をしたこと。
訓練生だったノラがグランディエ公爵の目に留まり、諜報員として国のために尽くす決意をしたこと。
エレンはずっとノラを止めていたけれど、結局は折れてノラと同じ世界に飛び込んできてくれた。
これまでの人生を……ノラはひとつひとつ思い返していた。
今、エレノラと同じ金色の瞳をした軍神を前にして、ノラは今度こそ自分の『生』を諦めるしかなかった。
母の言葉が頭の奥で何度も響き渡る。
『自分達の目で見たものを信じなさい』
(お母さん……死ぬ前にせめて、私は真実を知りたい……)
ノラの瞳からひと粒の涙がこぼれ落ちる。すると、イヴァンの冷たい光を鋭く放っていた瞳が、ハッと大きく開かれた。
「……イヴァン・アルノルフォ。捕まる前に、ひとつだけ答えて……」
ノラはイヴァンの腕の力が緩んだ隙に、拘束から抜け出して振り返る。
「どうして貴方の部屋に、お母さんの……エレノラの肖像画があるの?」
イヴァンは真っ直ぐにノラを見つめたまま、少しの間黙っていた。けれど、彼の薄く形の良い唇がゆっくりと開く。
「あの女性は……エレノラは、俺の母親だからだ」
イヴァンの口から語られた真実。ノラは、息を呑んで目を見開いた。




