1-4
「あのぅ……」
二人の会話が途切れたタイミングを見計らって、ケリス伯爵が二人に声を掛けた。
「この後、私はどう動けば……?」
「それについては、こちらから改めて知らせる。それまでは通常通りの生活を過ごしてくれ」
ノラと話していた時とは打って変わり、冷たい表情を浮かべたエレンが指示を出す。
「かしこまりました。あの……私の働きはグランディエ公爵に……」
「あぁ、しっかり伝える。伯爵の働き次第では、貴方が希望している通り、王国貴族としての高い地位を手に入れられるだろう」
エレンのこの言葉を聞いて、ケリス伯爵は嬉しそうに部屋を出て行ったのだった。
「……売国野郎が……」
エレンはそんなケリス伯爵の背中を軽蔑する眼差しで見送ると、改めてノラへと向き直る。
「ノラ、俺の力が必要か?」
「ううん。大丈夫だよ、エレン」
エレンもノラと同じヘブリス王国の諜報員だった。ただし、主に情報収集を担うノラとは違い、彼は工作や、必要とあらば殺しまで請け負う汚れ仕事を担当していた。
「あの愚かな公爵はもう少し焦らして、『ユリアナ』に傾倒させてから餌を与えてあげる」
「……いくら恋に溺れているからと言って、あの男は油断ならない。危ない橋は渡るなよ」
企む黒い笑顔を浮かべるノラを見つめて、エレンが心配そうに言った。
「大丈夫。私には、何でも出来る優秀な『お兄ちゃん』が付いてるし!」
「誰が『兄』だよ、この馬鹿」
ノラがまるで少女のように気を許した笑顔を見せて笑うので、エレンも思わずつられて笑ってしまった。
ノラとエレンは諜報員としての同僚という関係性だけでなく、互いが孤児であることから、子供のころから今日まで力を合わせて共に生き抜いてきた兄妹のような関係性だった。
二人は話し合い、とりあえずイヴァンとユリアナの関係は恋人関係まで進める事で話はまとまった。
その翌日、どうしてもユリアナに会いたいと言うイヴァンからの手紙を受けてノラはほくそ笑んでいた。
(イヴァン・アルノルフォ……余裕のない男ね)
恋に溺れる愚かな男だとイヴァンを馬鹿にしながら、ノラは返信の手紙に三日後に会うことを同意する内容をしたためる。
この手紙を受け取ったイヴァン・アルノルフォは泣いて喜ぶのではないだろうか? ノラはそんな事を考えながら封蝋を押す。
窓から流れ込む風が心地よかった。ノラの任務は順調だ、その時は心からそう思えた——。
三日後。ノラはユリアナとして着飾り、イヴァンが指定した貴族専用のカフェへと来ていた。店に行くと、彼は店内ではなくテラス席に腰を下ろし、優雅に珈琲を啜っている。
(……外見は、完璧なんだよね)
ノラはつい彼の姿に見惚れてしまった自分を慰めるように心の中で呟いてから、ユリアナらしい穏やかな笑顔を浮かべてイヴァンの元へと近付いた。
「イヴァン様」
「ユリアナ嬢、来てくださってありがとうございます」
ノラの姿を見つけたイヴァンはすぐに立ち上がり、ノラのために椅子を引く。そして、予め準備していたのか柔らかなブランケットを彼女の足元に掛けてやった。
「春とはいえ、風はまだ冷たいですから……」
紳士としての完璧な気遣いに、ノラの口角は思わず上がる。
「ありがとうございます」
ノラは素直にお礼を言ってから、ふと周りの景色へと目を向けた。
ここは貴族御用達の店が並ぶストリートで、平民の姿は滅多にない。だから、公爵であるイヴァンがこのように堂々とテラス席で珈琲を飲んでいても、遠巻きで見つめてはいても騒ぐ者はいなかった。
「ユリアナ嬢は何を飲まれますか?」
「では、私も珈琲を……」
「女性が珈琲を嗜むとは、意外ですね……あ、他意はありません」
まるで男女差別のような発言をしてしまったと慌てるイヴァンだったが、ノラは別の部分で焦っていた。
(そうだ、普通のご令嬢は紅茶を嗜むんだった。仕事の報告書や書類仕事の時にはいつも珈琲を片手にやっていたから……その癖で、つい……)
「軍部総司令官という役職は、案外書類仕事が多くて……俺はよく珈琲を飲みながら書類を片付けているので、いつのまにか紅茶よりも珈琲を飲むと落ち着くようになってしまいました」
イヴァンが朗らかに笑いながら、自身の事について語る。彼はノラが珈琲を頼んだことに違和感を抱いていないのだと思い安堵の息を小さく吐いていると、イヴァンは穏やかに微笑みながら続けた。
「もしかして、ユリアナ嬢にもそんな経験がおありですか?」
「え……え⁉︎ いえ、特にはっ」
急に核心を突く言葉にノラの心臓は一気に冷えた。
今でこそユリアナに惚れて、砂糖たっぷりの珈琲よりも甘い愚かなイヴァンだが、もし彼女が他国のスパイだと知ったら……ノラは無事でいられるだろうか?
(正体がバレたら、死、あるのみ!)
敵に容赦ないというイヴァンは、きっとノラを見逃さないだろう。相手が女だろうと関係ない、帝国のために剣を奮う。それがイヴァン・アルノルフォという男の本質だ。
ノラは改めて気を引き締めると、イヴァンに向き直った。
「……実は、この間の告白の返事をしたく、今日は参りました」




