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ノラがマーガレット率いる奥様お供軍団と共に公爵家の庭を散歩していると、草陰に蛇が潜んでいた。エレンからの連絡用蛇だ。
ノラはマーガレット達に「少し一人になりたい」と伝え、離れた場所で待っていてもらうことにした。
そして、誰にも見られていないことを確認すると、草陰の蛇へそっと手を差し伸べる。
すると蛇が体を左右にくねらせながらノラへと近付いてきた。蛇はノラの手から腕へと這い上がり、巻き付いた状態で動きを止めて大人しくなった。
ノラは蛇の体の模様を確認する。エレンは自分が飼い慣らした蛇の身体に模様のような暗号を書き、連絡手段として用いている。
蛇の体の暗号を読み取り、ノラはエレンからのメッセージを受け取った。
(……どうやら、『ユリアナ』が帝国を出るための口実……裏工作が終わったらしいわね)
ノラは僅かに口角を上げると、そっと蛇の体を撫でる。すると蛇はスルスルとノラの腕から離れていき、再び身を隠したのだった。
「マーガレットさん」
ノラは穏やかに微笑みながら、後ろを振り返った。
「少し疲れたので、部屋に戻ります」
マーガレットは笑顔で頷きながらノラの元へ近付いていき、ふと顔を上げて空を見上げた。
「どうしましたか? マーガレットさん」
ノラが何気なく尋ねると、マーガレットは慌ててノラへと向き直る。
「いえ……今夜は雨が降りそうだなと思いまして」
マーガレットの返答に、ノラも思わず空を見上げた。気持ちいいくらいに真っ青な晴れ空だ。雨が降りそうな気配もない。
「そうですか……」
ノラは相槌を打つように返し、そして彼女達とともに屋敷の中へと戻っていったのだった。
玄関ホールから自室に向かう途中で、ノラは数人の使用人に指示を出しているヴィンセントと鉢合わせた。ヴィンセントはノラの姿を認めると、すぐに使用人との会話を止めて、丁寧に頭を下げる。
「ヴィンセントさん。どうかしましたか?」
ニコニコと笑いながら、ヴィンセントの元へ近付いていった。何だかいつもより慌ただしそうな使用人達の様子に、ノラは軽く探りを入れる。
「……わざわざ奥様のお耳に入れるほどのことではないのですが……」
眼鏡の奥で、ヴィンセントの感情の薄い深緑色の瞳がノラを見据えていた。
「最近、公爵家の敷地内で害獣が目撃されているようでして。その駆除を指示していたところです」
「害獣?」
「えぇ。どうやら鼠や……蛇だとか」
ノラは笑顔を浮かべたままヴィンセントを見上げる。自分を見る彼の目からは、何の感情も読み取れない。
「そうなんですね。ヴィンセントさんのお陰で、この屋敷は素晴らしい環境に整えられているのね」
「恐縮です、奥様」
ヴィンセントは愛想笑いひとつすることなく頭を下げると、次の仕事をするためにノラの元から去っていった。
ノラは何事もない様子で自室に戻り人払いを済ませると、穏やかな笑顔から険しい表情へと変わった。
(……もしかして、エレンの蛇が気付かれた?)
まだ確証はない。ヴィンセントの行動は実に執事長として正しい行動であり、模範的だ。けれど、どうしてこうも胸騒ぎがするのか……
ノラは引き出しからペンと紙を取り出した。危険だが、エレンが再び蛇を送ってくる前に知らせる必要がある。
ノラは暗号を使って、蛇の存在に気付かれたかもしれないこと、帝国を発つタイミングはこちらから何らかの手段を用いて伝えることを紙に書いた。
窓を開けて、ノラが短く口笛を吹く。すると、一羽の鳩が飛んで来た。
公爵家に潜入してから、ノラが密かに手懐け、少しずつ訓練してきた鳩だ。
(まだ訓練も十分じゃないし、不安はあるけれど……)
しかし、そうも言っていられないと不安な気持ちを振り切って、ノラは先ほど書いた手紙を鳩の足に結び付けた。
「どうか無事に、エレンの元へ届けて」
ノラがそう言って、鳩を乗せた手を空へと掲げると、鳩は羽を大きく広げて空へと飛び立っていった。
鳩が小さくなっていく様子をしばらく見つめていた。あそこまで遠くに抜けてしまえば、もう大丈夫だろう。
ノラはやっと安堵の息を吐いて、窓を静かに閉めたのだった。
ドムッ!
公爵家の屋根の上で、 狙撃銃が低く重い音を短くたてながら銃弾を吐く。
すると、数百メートル先を飛んでいた鳩が地に落ちていった。
「お見事!」
隣で見ていたルシオが目を輝かせて、楽しそうに笑いながら言った。
「現場から離れて三年も経つのに、その狙撃の腕は相変わらずですね! すげぇ!」
「はしゃぐな。うるさいぞ、ルシオ」
煙を吐く銃口を下げながらそう言ったのは、ヴィンセントだった。
「いや、でもっ! 本当に尊敬します! 戦場でも副長の援護射撃に何度命を救われたことか!」
「……ルシオが用意してくれたサプレッサーが、とても役に立った。さすが、元暗殺業の殺し屋だな」
「俺、アルノルフォ総司令官に返り討ちにあってから、もう足は洗ったんで! 俺の黒歴史を言わないでください!」
ルシオの言葉を聞き流しながら、ヴィンセントは外していた眼鏡を胸ポケットから取り出し、静かに掛けた。
「……ずっと思ってたんですけど、どうして副長は眼鏡を掛けてるんです? 視力はいい方でしょ?」
「その方が、執事っぽいからな」
「へぇ。案外、形から入るタイプなんですね」
「いい加減、口を閉じろ。本気でうるさい」
ヴィンセントに睨まれたルシオは慌てて両手で口元を塞いだ。
(ご安心ください、奥様。今後とも私が、しっかりとこの屋敷の環境を整えて参ります)
ヴィンセントの眼鏡の奥では、瞳が細められていた。
「《《害獣》》駆除は、私直々にしっかり処理いたしますので……」
その細められた目は、落ちた鳩に向かって走る数人の軍の兵士達の姿を捉えていた。
◆
夜になると、マーガレットが言っていた通り、外は大雨だった。遠くで雷が轟く音が聞こえてくる。
「昼間はあんなに晴れてたのに……」
大きな雨粒が窓ガラスを激しく叩いている。そんな大荒れした外の様子を、ノラは窓辺に立ち見つめていた。
(手紙はエレンにちゃんと届いたかな……)
この嵐の中で、鳩は真っ直ぐエレンの元へ向かえただろうか? 胸騒ぎがして落ち着かないノラは、静かに座ってなんていられなかった。




