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今日はあらかじめ、ノラとエレンがここで落ち合い情報を交換する手筈だった。
お互いが入手した情報を共有し、今後の動きについても念入りに確認していく。
「いくら周りの貴族を叩いても、軍部に関する重要な情報は出てこないわね」
「やはり機密情報はアルノルフォ公爵家に眠っている可能性が高いな」
ノラとエレンは互いに顔を見合わせた。
「あとは、まだ俺達が調べられていないシンクレア侯爵家にあるか、だな」
シンクレア侯爵家。メイベルの夫であり、アルベルトの父である帝国の宰相バスティアンの屋敷。
今はノラがメイベルを通して侯爵家への潜入経路を確保しているところだけれど……時間はまだまだかかりそうだ。
「——俺達以外の他国の諜報員が、イヴァン・アルノルフォに捕まったらしい」
最後に聞かされたエレンの情報に、ノラは思わず息を呑む。
「あの男……泳がせるだけ泳がして、芋蔓式にその組織ごとを刈り取ってしまったんだと」
そう言ってエレンの語ったイヴァンは、ノラの知る溺愛夫とは掛け離れた冷酷男そのものだった。
薬物を使用した尋問に、容赦のない拷問。情報を吐き出すだけ吐き出させられ、廃人となった者は、そのまま一生牢屋に閉じ込められ、ただ死刑執行の日を待つことになる。
話を聞けば聞くほど、あまりに違いすぎてイヴァン・アルノルフォが二人いるのではと疑いたくなる。
「どうやらあの男は、諜報員捜索にかなりの力を入れているらしい……そろそろ、俺達が利用していたケリス家も嗅ぎつかれそうだ。思っている以上に、もう時間はないのかもしれない」
「……エレンの判断は?」
「引き上げるべきだ。祖国へ一度戻り、作戦を練り直そう」
エレンはとても深刻な顔をしていた。ノラも不安そうに顔を歪めて……イヴァンの秘密の部屋にあった、母エレノラの肖像画を思い出す。
(ここで帝国を去れば、もう公爵家には戻れないはずだ。そうなれば、真実は何も分からないまま……)
今さら諦めきれなかった。
「エレンは先に祖国へ帰って」
「……は? 何言ってる?」
これはノラのわがままだ。だからノラは、エレンを巻き込まないように、これからは一人で潜入調査をしてやる。
しかし、ノラの言葉にエレンは腹を立てたように眉を強く顰めていた。
「俺がお前だけを置いてここを去れるとでも?」
「でもっ……」
「俺は、母さんにノラを最後まで守るよう言われてるんだ」
ノラの言葉を遮るように、エレンが低い声で言った。その声は相手を威圧するように鋭いのに、彼の表情は苦しそうで不安げだ。
『母さん』……エレンのいうその人は、二人を本当の母親のように愛し守りながら育ててくれた母エレノラのことだった。
『さて……孤児を二人も拾ってしまったな』
その声が、エレンの脳裏に蘇った。
片腕を無くしているのに、力強い存在感で、まるで何も怖いものなんてないかのように、豪快に笑う女性。
『お前達に名前を付けてやろう。私の名前を分けて、『エレン』と『ノラ』だ!』
『おい、適当に名前を付けるなよ!』
『文句を言うな、男なら黙って受け止めろエレン。ほら、ノラなんか嬉しそうに笑ってるぞ。ノラは本当に愛らしくて可愛いなぁ〜』
目を閉じれば、まるで昨日のことのようにその女性の笑い声が聞こえてくる気がする。
「……母さんが死ぬ時、俺はそう約束したんだ……絶対にお前をこんな国に一人で置いていかないぞ」
ゆっくりと目を開いたエレンの赤い瞳に、真っ直ぐノラの姿が映し出されていた。
「エレン……」
「だから」
そして、悔しそうに顔を歪めていた。
「だから、もう少しだけ任務を続けよう」
ノラに負けて折れてくれたエレンに、ノラは不安そうだった表情を段々と明るくさせていった。
(もしノラの正体がバレて、あの男に捕まった時は……何としてもノラを逃して、俺が代わりに死ねばいい)
エレンはひとつ決意を固めてから、時間制限はあるがノラの意志を尊重してやることにした。
ノラは、危険を顧みず、自分を見捨てないでくれたエレンに心からの感謝と信頼を寄せていた。
そうなると……アルノルフォ公爵家でエレノラの肖像画を見つけたことを、エレンに黙っていることが心苦しい。
(エレンに言ってなかったのは、きっと、お母さんに関する情報を知れば、エレンは無理をしてでも真実を掴もうとすると思ったから……)
もしそれでエレンがイヴァンに捕まってしまったら……ノラは想像しただけでゾッと顔色を悪くした。
けれど、ここはもう全て伝えるべきなのかもしれない。
ノラが迷いながらも口を開いた瞬間、エレンの目が鋭くなり、ノラの口元の前に素早く人差し指を立てた。
ノラもすぐにエレンの意図を汲み取り、口を閉じる。エレンは静かに配管の方へと腕を伸ばすと、配管の影から一匹の蛇が現れた。
伸ばされた腕に巻き付きながら伝い、彼の足元へと滑り落ちると、蛇はエレンの指し示した方へと音もなく静かに向かっていった。
向かった先は物陰だった。しばらくすると……
「うわぁああ‼︎」
聞こえてきたのは、甲高い子供の悲鳴だった。ノラはその声に聞き覚えがあった。
「アル⁉︎」
ノラの呼びかけと共に物陰から飛び出してきたのは、足に蛇が絡み付いて目に涙を浮かべるアルベルトだった。
アルベルトの姿を確認して、ノラは驚愕から目を見開いた。
どうしてここにアルベルトがいるのか……いや、それよりも、自分達の会話を、アルベルトに聞かれていた……?




