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5-2

「しかし、最近ではこうしてユリアナと過ごす時間が増えて嬉しいな。マクシミリアン前皇帝陛下には感謝しなければ」


 イヴァンの嬉しそうな言葉に、ノラの思考が花瓶事件から現在へと戻ってくる。


 二人は結婚したものの、元々仕事漬けだったイヴァンは休暇を取る暇もなく、結婚してからは、一度もデートらしいデートをしていなかった。

毎日きちんと屋敷には帰ってくるものの、ノラと共に過ごせるのは食事の時間くらいだったのだ。


 前皇帝の『散歩フレンズ』になったことで、ノラが皇宮に出入りできるようになり、イヴァンは皇宮でノラと過ごせる時間ができて喜んでいるようだった。


 ノラも『噂話』目当てで頻繁に城を訪れるようになっていたので、イヴァンの喜びも鰻登りだ。仕事の合間に時間を見つけるたびに、イヴァンはノラが城のどこにいても必ず迎えに来るのだった。


 こうして、二人はイヴァンの休憩時間を使って城内デートを繰り返すようになっていた。今では、帝国一のおしどり夫婦なんて言われていて、皇宮の名物になりつつある。


 忙しい夫に会いに来る健気な妻として城の者達に認識されてしまっているノラは、最近では異様に微笑ましそうな目で貴族だけでなく使用人からも見守られていた。


「そろそろ時間か……」


 イヴァンが懐中時計を取り出して時刻を確認しながら、残念そうに言った。


「あら……もうお仕事の時間ですか?」


 ノラは夫と離れる事に悲しむ健気な妻を演じながら、内心では早く仕事に戻ってくれることを願っていた。


「幸せな時間はあっという間に過ぎてしまうな……」


 イヴァンは名残惜しそうにノラを見つめて、そして彼女の髪を一房手に取ると毛先に優しく口付ける。


(また……公共の場で、恥ずかしげもなく……!)


 ノラは頬を赤く染めながら、顔を顰めた。


「……確かこの後は、ユリアナも友人と昼食を共にすると言っていたな」

「はい。シンクレア侯爵夫人……メイベル様とそのご子息アルベルト様と昼食のお約束を」


 髪から唇を離したイヴァンに、ノラはさっと表情を取り繕って笑顔を浮かべながら答えた。


「そうか。では、ヴィンセントを同行させて……」

「マーガレットさんに来てもらおうと思っています! 女同士の話を……いえ、イヴァン様の妻として、立派な夫人である先輩二人からの助言をぜひいただきたいので!」


 ノラはヴィンセント同行を阻止するため、それらしい理由を付けてマーガレットを巻き込むことにした。同行者はヴィンセントより、マーガレットの方が断然マシだ。


「そんな気を張らなくても……ユリアナが俺の妻でいてくれるだけで、俺はすでに十分幸せだよ」


 ノラの口から出まかせの嘘だったが、イヴァンは幸せそうに温かな笑みを浮かべて、ノラの鼻先を優しく突いた。


「では、城門まで送ろう。ユリアナ、手を」


 イヴァンの差し出した手。ノラはその大きな手に自身のものを乗せる。


「…………」


 すぐに、イヴァンの手のひらの温かさがノラへと伝わってきた。


(情報収集のために、もう少し城の中を見て回ると嘘を吐くつもりだったのに……)


 イヴァンの愛情は、胸焼けしそうなほど甘く、そして遅効性の毒のようにゆっくりと身体中を蝕んでいくようだ。


(なのに、どうして……私は素直にこの男の手を取ってしまったんだろう……)


 ノラはそれ以上、考えたくなかった。




 メイベルとアルベルトとの昼食は、とある高級レストランで取る約束をしていた。


 ノラはマーガレットを連れて彼らと合流し、レストランの中にある個室で楽しいひと時を過ごした。


 食事のコースも一通り終わった頃、ノラは化粧直しを理由に席を立つ。

 マーガレットも当然のように、ノラの後へ続こうと席を立つのだが……


「マーガレットさんは、私の代わりにここで二人のお相手になってください」

「え、ですが奥様……」

「手を洗うだけです。すぐに戻りますわ」


 何だかんだでノラに甘いマーガレットは、困った顔を浮かべながらも最後には渋々頷いた。


「奥様。ここは薔薇の間ですから。お戻りになる際は、迷われないようお気を付けくださいね」

「小さな子供ではないのですから。大丈夫です」


 心配症なマーガレットに笑いかけて、ノラは部屋を出る。扉を閉じた瞬間、ノラは笑顔から真顔へとなった。


 ノラはスカートを翻すと、迷うことなく歩を進めた。個室が並ぶ廊下を進み、人がいないことを確認して、スタッフが利用する配膳用の通路扉を開けて入る。

 こういう店には、必ず客には見せない裏口がある。ノラは事前にそれを調べていた。


 階段を降りていくと、パントリーに繋がっていた。奥の方にはキッチンへと繋がる両開きの扉がある。少し油汚れが目立つその小窓の向こうでは、多くのコック達がまるで戦場の兵士のような顔つきでフライパンを動かしていた。


 誰か来る前に、ノラは身を隠しながらパントリーの外へ出る。そして、一際人通りのない非常用通路の先を進んでいくと、一人の若いウェイターが壁に寄りかかりながら立っていた。


「エレン!」


 ノラは明るい声を上げて、そのウェイターの元へ駆けていく。


「ノラ。早かったな」


 ウェイターに扮したエレンが、両腕を広げながら言った。


「抜け出してきたの。だから、そんなに時間はない。怪しまれる前にすぐに戻らないと」


 ノラは躊躇うことなくエレンの腕の中へと飛び込み、兄の温かさに顔を埋めた。エレンはそんなノラの頭を優しくポンポンと撫でてやると、時間も足りないことからすぐに本題を切り出した。

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