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マクシミリアンと『散歩フレンズ』になってから、ノラはよく皇宮を訪れるようになっていた。
ヴィンセントが必ず同行するため、ノラが自由に皇宮内を探ることはできない。けれど、人の出入りが多い皇宮には、ノラにとって別の意味で魅力的なものがあった。
それは『噂話』だ。
廊下を歩けば侍女達の立ち話が聞こえ、庭園では貴族達の会話が耳に入る。食堂や休憩室に行けば、誰かしらが面白い話をしている。
ノラが拾った些細な噂をエレンへ伝えれば、そこから先は彼の仕事だ。
真偽を確かめ、いくつもの情報を繋ぎ合わせ、重要なものだけを掴んでくる。
ノラとエレンの情報収集は思った以上に順調だった。エレンはすでにいくつかの帝国貴族の屋敷に潜入し、その屋敷の主人を破滅させるほどの弱みを握ることに成功している。
徐々にノラ達の手が帝都中に伸びつつあった。それはまるで蜘蛛の巣を張るように、一本一本、丁寧に……
(そう、順調に帝国貴族達の弱みを掴んでいるわ……)
皇宮の回廊の壁に掛けられた絵画を見つめながら、ノラはふっと笑う。
「どうやら、この絵が気に入ったようだね」
そんな彼女を愛おしそうに見つめながら、隣に並び立つ背の高い男が微笑んだ。
(……アルノルフォ公爵家、以外は……)
自身の不甲斐なさに、ノラはガクッと肩を落とした。
「ユリアナ? 急にどうしたんだ⁉︎ 具合でも悪いのか?」
イヴァンは心配した表情で眉を顰めて、そっとノラの華奢な肩を抱き寄せるように支えた。
(……この男から、何一つ重要な情報を引き出せていない……!)
妻を宝物のように大切にし、慈しむこの男はイヴァン・アルノルフォ。ノラが誘惑して情報を引き出すはずだった標的だ。
それなのに……気付けばなぜか、ノラはこの男と結婚していた。
「気分が優れないなら、俺が今すぐ君を抱えて医務室まで走ろう」
「い、いいえ、イヴァン様! 大丈夫です!」
ちなみにノラの誘惑作戦は大成功である。
今日も今日とて、イヴァンはノラに恋する愚かな男の姿を見せている。常にノラへ意識を向け、隙あればとことん干渉してくるのだ。
イヴァンは戦場で名を馳せた『軍神』と呼ばれる男だ。その鋭い洞察力は、妻のどんな些細な変化も見逃さない。
今では冷徹総司令官の名が泣くほどに、イヴァンはすっかり妻を溺愛する愛妻家となっていた。
「絵が……絵があまりにも素敵すぎて、立ちくらみがしたのです!」
ノラは慌てて、咄嗟に訳の分からない言い訳を述べた。言った自分でもあり得ないと思うほどの言い訳の出来の悪さに、ノラの口角は僅かにひくつく。
イヴァンはじっとノラを見た。何を考えているのか……感情の読み取れない金色の瞳に見つめられるノラは、段々と耐え切れなくなり、目を泳がせるようにイヴァンから目を逸らす。
するとイヴァンの手が伸びてきて、彼の指先がノラの垂れた横髪を優しく耳に掛けたかと思えば、イヴァンの唇がノラの頬に口付けた。
「そこまでこの絵を気に入ったのなら……俺の可愛い妻のために、願いを叶えてやらねばならないな」
「えっ?」
不意打ちに頬へキスされたことにも動揺したが、イヴァンの言葉を聞いてノラはまさかと狼狽えた。
「ヴィンセント。すぐに城の財務部へ走ってくれ、この絵を買い取りたいと」
「かしこまりました」
イヴァンのあり得ない指示にも、二人の後ろに控えていたヴィンセントは眉ひとつ動かすことなく頭を下げると、ノラが止める間もなく颯爽と立ち去ってしまった。きっと財務部へ向かったのだろう……
「イヴァン様っ、私、この間もお城の花瓶を買っていただきましたから……絵画まで買い取りたいだなんて、財務部に申し訳ないですわ!」
ノラが慌ててイヴァンの腕を引きながら訴えてみるが、イヴァンはにっこりと甘い笑顔を浮かべて微笑んでいた。
「遠慮しなくていい、ユリアナ。君が欲しいものは、全て手に入れてやりたいんだ」
(ダメだ、この人……話にならない……)
青褪めた顔で諦めたノラは、つい先週の事を思い出していた。無事に城の中に潜入することができたエレンとやり取りをするために、二人はとある城の展示美術品の花瓶を通して暗号の手紙で情報を交換していたのだ。
ノラが何度もその花瓶の元へ足を運ぶ事に気付いたイヴァンが、『妻が気に入った』という理由で城の財務部長と直に交渉し、買い取ってしまうという事件があった。
その花瓶はただの花瓶ではない。すでに亡くなった巨匠が晩年に手掛けた貴重な作品で、とても資産的価値の高い美術品だ。
財務部も初めは断りを入れたらしいのだが……イヴァンは一体どんな荒技を使ったのか。現在、その非常に高価な花瓶は、ノラの部屋で花を生けられている。
その買い取り事件はとても大きな騒ぎとなり、人々は口々にイヴァンがいかに妻を溺愛しているか、夫婦仲の良さを噂するようになってしまった。
そこへ再び、絵画買い取り事件だ。
(うぅ、また噂されて注目される上に、これ以上は財務部の人達の目が怖い……!)
ここまでくると、ノラはイヴァンの自分への溺愛が恨めしく思ってくる。
(ここは皇宮であって、美術商じゃないのよ! この男、ちゃんと分かってるの⁉︎)
美術品じゃなくて、イヴァンが握る重要な情報が欲しいのに。ノラはそんな本音を心の中で大声で叫んだのだった。




