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4-7

 ノラは動揺する頭で、エレンが用意してくれた『ユリアナ・ケリス』の設定情報を思い出していた。


 ゴクリと、小さく喉を鳴らす。


「……実は私、帝国に来たのは最近なんです。それまでは母の故郷のフランシール王国で過ごしていたので……私の話し方、どこか変でした?」


 少し恥ずかしそうにはにかみながらノラがマクシミリアンを見ると、彼は頷きながらノラの肩に手を置いた。


「いや、そうじゃない。君と会話していて……なんとなく、そう感じただけなんだ。もし気分を害してしまったなら、すまないね」

「私は気にしていないので、謝らないでください」


 マクシミリアンはノラを諜報員だと疑っているわけでは無さそうだ。ひとまず、ホッと安堵の息をつく。


「それよりも……フランシール王国か。あそこの国は気候も温かく、農産業が盛んで料理文化が進んでいるんだよなぁ」

「まぁ、よくご存知ですね」


 かつてフランシール王国の料理を味わったことでもあるのか、マクシミリアンは顎ひげを摩りながら懐かしそうに笑っていた。


 その時、誰かの足音が近付いてくる音が聞こえてきた。


 迎えに来たヴィンセントのものだろうかとノラがその音の方へ振り返ると、そこにはヴィンセントではなくイヴァンがいた。


「ユリアナ」

「イヴァン様?」


 ノラは驚いてみせながら、無邪気な笑顔を浮かべてイヴァンの元へと駆け寄った。


「どうしてイヴァン様がここに?」

「俺が直々に妻を迎えに来たかったんだ」


 仕事着のイヴァンは普段にも増して、隙のない軍人のようなお堅い雰囲気だった。けれど、彼の金色の瞳にノラの姿が映った瞬間、イヴァンの表情は柔らかくなる。


 ノラの手を取り、彼女の手の甲に口付けを落としながら、恥ずかしげもなく愛情を込めた言葉を告げる。出会った頃から変わりないイヴァンの様子に、ノラの心は日に日に落ち着かなくなっていった。


 くすぐったく感じる胸を押さえ込んで、ノラは『ユリアナ』の仮面を被り続ける。


「なんだ。君の溺愛夫は、このアルノルフォ公爵だったのか?」


 ノラの後ろでもマクシミリアンが立ち上がり、愉快そうに笑いながら言った。


「お久しぶりでございます」

「よい。そう畏まるな」


 イヴァンの言葉を遮るようにマクシミリアンが言う。


「ユリアナ。楽しい時間だった、ありがとう」

「マクシミリアン様。私こそ、ありがとうございました」


 ノラはニコリと笑って返事をする。それと同時に、イヴァンとマクシミリアンの様子から、二人が顔見知りであることが分かった。


「妻がお世話になりました」


 さらにあのイヴァンが頭まで下げている。


(このじいさん……一体何者?)


 公爵であるイヴァンが頭を下げる相手として考えられるのは、皇族しかいないのだが……しかし、ヴァルキリアス帝国皇帝はまだ四十代だったはずだ。


(……まさか、彼は……)


 マクシミリアンの正体に思い当たったノラは、今度こそ顔を青褪めさせる。


「マクシミリアン前皇帝陛下」


 続くイヴァンの言葉が、ノラの予想の答え合わせをしてくれた。どうやら当たっていたらしい。


「だからそう畏まるなと……まぁ、よい。ユリアナは私の、大切な『散歩フレンズ』だからな」


 固まるノラにマクシミリアンはお茶目にウインクすると、ニカッと笑ってみせた。


「ユリアナ、この国はどうだい?」


 そう質問を投げかけて、ノラの答えを聞く前にマクシミリアンは笑顔のまま去っていったのだった。


「『散歩フレンズ』?」


 マクシミリアンの後ろ姿を見送った後、イヴァンが尋ねてきた。ノラはマクシミリアンとの出会いのきっかけを話し、流れで散歩中の話し相手になって欲しいと頼まれたことを伝えた。


「ふむ……では俺の方から城の通行管理部の上層部へ話を通しておこう」

「え……それって……!」


 イヴァンの言葉に、ノラは明るい表情で彼を見上げる。そのスミレ色の瞳に、期待が満ちていた。


(それって、今後自由に皇宮に出入りできるってこと⁉︎)


 スパイとして、何という美味しい状況だ。期待に目が輝くノラを、イヴァンは愛おしそうに見つめていた。


「あぁ。ヴィンセントを通して、君が皇宮に出入りできるよう手配しておくよ」


 その瞬間、ノラは肩をガクッと落とした。


(つまり、ヴィンセント・ハリントンの同行がないと皇宮に出入りできないということね)


 あまりにもスパイ活動に致命的すぎる制約に、ノラの期待は早々に打ち砕かれてしまった。


「その時は、俺にも会いに来てくれるだろう?」

「えぇ……必ず……」


 元気がなくなったノラが、心ここにあらずといった様子で相槌を打つと、不意打ちにイヴァンがキスをしてきた。


 そのキスはほんの一瞬、二人の唇が触れ合っただけだった。それでも、ノラが狼狽えるには十分な衝撃だった。


 ノラが顔を真っ赤にしてオドオドとイヴァンを見上げると、彼は目を細めて楽しそうに微笑んでいる。


「な、なにを……ここは外ですよ⁉︎」

「誰も見てないさ」


 イヴァンは機嫌が良さそうな様子で、そっとノラへ手を差し伸べた。


「ユリアナ。城の中を案内してあげよう」

「え? でもイヴァン様は今休憩中では……? 休まれなくていいのですか?」


 ノラはおずおずとゆっくり手を伸ばしながら尋ねる。待っていたはずのイヴァンの手がすぐに伸びてきて、ノラの手を先に掴んだ。


「いいんだ。それよりも俺の妻を周りの者達に自慢したい」

「総司令官ともあろうお方が、何を子供のようなことを仰っているのですか……」


 ノラが恥ずかしそうにイヴァンから顔を背ける。そんな妻を見て、イヴァンは楽しそうに笑っていた。


 ノラは……今の自分が『演技(ユリアナ)』なのか、もうよく分からなくなっていた。


 ただひとつ、彼女が思うことは……


(誰か早く、この心臓の高鳴りを止めて)

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