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ノラを気に入った様子の老人は、笑いながら続けた。
「私の孫はまだ結婚していないんだが……どうだい? 一度、孫とお見合いしてみないか?」
孫は結婚相手として中々に悪くない条件の男だぞ、と笑う老人にノラは困ったように笑顔を返す。そして、すっと自身の左手薬指の指輪を老人の前に見せた。
「申し訳ありません。私、すでに結婚していまして」
「なんだ、それは残念だな」
老人は一気に肩を落とし、残念そうな様子を見せる。しかしすぐに、握手を求めるように手を差し出してきた。
「マクシミリアンだ。孫嫁は無理でも、私の友人になってくれないか」
「ユリアナと申します。とても光栄ですわ」
ノラはマクシミリアンの好意を受け取るように、
差し出された手を取り、握手を交わす。
マクシミリアンは嬉しそうに白髪混じりの眉尻を下げ、紫の瞳を細めながら笑っていた。
「私は定期的にこの庭園に来ては散歩をしていてな……ユリアナもここに来た際は、私の散歩の話し相手になってくれないか」
「私でよければ喜んで」
するとマクシミリアンは、悪戯っ子のような笑顔を浮かべる。
「言ったなユリアナ、言質はとったぞ。これで私達は『散歩フレンズ』だな」
そう満足そうに言うマクシミリアンの様子に、ノラも思わず吹き出して笑ってしまった。
二人は近くのベンチに腰を下ろした。
「ご家族の方とは散歩されないのですか?」
ノラが何気なく尋ねると、マクシミリアンはむうっとした表情を浮かべて、家族の愚痴をこぼし始める。
「あやつらは、私を老人扱いしてくるのだ。私が少し風邪を引いただけで大騒ぎをする。家督もすでに息子へ渡しているため、息子夫婦は私に外を歩き回らず、室内で隠居生活をゆっくり楽しめと言ってな!」
マクシミリアンは不満に思っているようだが、話を聞いていたノラは彼の家族がいかにマクシミリアンの健康を気遣っているのか伝わった。
どうやらこの散歩も、家族を見返す為に始めたことらしい。
ノラは自然と笑顔になって、マクシミリアンの皺だらけの手に自身のものを重ねた。
「ならば、散歩で体力を付けて、ご家族を安心させてあげましょう」
マクシミリアンの散歩の本当の理由をノラがさらりと笑顔で言ってみせると、彼は照れ臭そうに目を伏せながらはにかんだ。
「……ユリアナは、若いのに、よくこんな老人の相手をしてくれるな」
そんなマクシミリアンの言葉を聞いて、ノラはふと自身の過去の記憶へと意識が引っ張られていく。
『ノラ。子供とお年寄りには、親切にね』
孤児となったノラを育ててくれた、『母』と慕う女性の言葉を思い出す。
「……亡き母の教えなんです」
「そうか。ユリアナのように優しい子に育って、さぞやお母君も自慢だろう」
マクシミリアンの言葉に、ノラの目の奥がツンと熱くなる。
(そうだといいな……)
ノラはスパイという人を裏切る仕事をしている。こんな自分を見たら、母は何と思うだろうか?
ノラが黙ってしまった姿を見て、マクシミリアンは少しだけ沈黙したが、またすぐに話題を振ってきた。
「ユリアナの今の家族はどうだ?」
「え?」
「夫がいるのだろう?」
ノラが顔を上げると、マクシミリアンは優しい笑顔を浮かべて、ノラの左手薬指の指輪を指差した。
「えっと、そうですね……」
ここ最近のことを思い出してみる。イヴァンが屋敷にいる時は、いつもノラに纏わりついてくるし、いない時もヴィンセントや使用人達がノラの周りには必ずいる。正直、一人になれる時間なんて、就寝している時くらいだ。
「夫の関心が高くて、困ってます」
これは妻というよりスパイとしての本音だった。ノラが無意識に眉を顰めている姿を見て、マクシミリアンはまた大笑いした。
「どうやら私達二人は家族の愛が重すぎて、不満を抱えているようだな」
マクシミリアンは目尻に溜まった涙を指先で軽く拭いながら、ノラを見つめる。
「ユリアナ。夫婦仲が良いのは、素晴らしいことだぞ」
マクシミリアンはそう言うが……ノラは笑顔で頷きながらも、心の中ではこの婚姻はあくまでも偽装結婚だと悪態をついていた。
(ふん。私の本当の名前も、出身地も知らない夫なんて……滑稽だわ)
しかし、なぜか頭の中ではイヴァンの姿が次々と浮かぶ。
ノラを大切にし、いつも気遣ってくれる完璧な夫。恋に溺れる愚かな男のくせに、いつも予想外の方向からノラを振り回して心を掻き乱してくるイヴァン。
もし、スパイじゃない自分の姿で、イヴァンと出会っていたなら……
その瞬間、ノラはハッとする。
(って、私っ! 今、一体何を考えてっ………⁉︎)
ノラは頭の中の考えを無理やり追い出すように、勢いよく頭を振った。
「ユリアナ?」
ノラの様子がおかしいことに気付いたマクシミリアンが、心配そうに声をかけてきた。
「あ……なんでもありません」
ノラが誤魔化すように笑っていると、マクシミリアンは晴れない表情のまま、慎重な面持ちでノラに尋ねてきた。
「ユリアナ、君は……」
とても言いにくそうだ。
「君は、この国の人ではないのかな?」
その瞬間、ノラの心臓が凍り付く。
「え……どうして……」
震える唇で呟くように尋ね返していた。これまでうまく隠していたはずなのに、イントネーションだって、祖国ヘブリス王国のものが出ないよう完璧に気を付けていたはずだ。
それなのにこの老人は、ノラが帝国民ではないことを見抜いてしまった。




