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(今がチャンスよ!)
早速ノラはイヴァンの執務机へ近付くと、家宅捜査するように引き出しの中や、積まれていた書類などを調べ始める。
(……新兵器についてのものではなさそうね)
ところが、出てくる情報はノラが求めていたものではなく、皇宮内の警備配置や軍部内の陳情書などだった。
中には他国の情勢がまとめられた書類などもあり、スパイとして見過ごせない情報もあるが……しかし、ノラの上司が言う『戦争』に関わるような情報はひとつも出てこなかった。
その時、扉の向こう側から独特な足音が微かに聞こえてくる。イヴァンのものでも、ヴィンセントのものでもない足音だ。
ノラは素早く机の上を元の状態に戻すと、何食わぬ顔で再びソファーに腰を下ろし、その者を待った。
すぐに扉は開いた。ノックもなく開いた扉の先には、軍人にしては細身の男が立っており、燃えるような真っ赤な髪の毛先が無造作に跳ねていた。
手にトレーを持ち、その上にはポットとティーカップが乗せられている。
「えーと、オクサマー。お紅茶をお持ちしましたぁ」
赤髪の男はそう言って、締まりのない呑気な笑顔を浮かべている。醸し出される軽薄そうな雰囲気、ヘラヘラした笑顔、まだ大人になりきれていないあどけない若さ……彼が軍服を着ていなければ、ノラは彼が軍人だとは思わなかっただろう。
「まぁ、ありがとう。貴方は?」
「俺はルシオと言います!」
赤髪の男ルシオはニカッと歯を見せながら笑うと、ノラの前にカチャンと音を立てながら空のティーカップとソーサーをテーブルの上に置いていった。
給仕に慣れていない手つき……入る時にノックもしなかった事から、そもそもの礼儀にも疎いようだ。ルシオはおそらく平民だ。ノラは瞬時にそう見抜く。
貴族相手……ましてや、軍部に所属する者達の上司であるイヴァン・アルノルフォの妻に、貴族ではなく平民出身の兵士を給仕役に回すとは考えにくい。
つまり、ルシオがここに来たのは給仕が目的ではない……?
「なぜルシオさんが、わざわざお茶を?」
もう少しルシオについて探りを入れようと笑顔で尋ねると、ルシオは目を輝かせながら答えた。
「俺っ、アルノルフォ総司令官にすっげー憧れてるんです!」
「……え?」
「だから、オクサマの給仕も俺が買って出て……総司令官が結婚した女性がどんな人なのか、すっごく興味があって! 本当は他の奴が給仕にあたるはずだったんですけど、そこは俺がもぎ取ってやりました!」
つまり、ルシオはイヴァンに憧れている青年であり、そんな憧れの人の妻を一目見たいというわがままで他の者の仕事を奪ってここへ来た、と。
(……なにそれ。警戒して損した)
ノラは呆れた気持ちから、一気に脱力した。ルシオを見れば、ノラよりも歳下のようだ。まだ二十もなっていないような青年に見える。
ノラと目が合ったルシオは、灰色の目を細めて無害そうな笑顔を浮かべた。思わず、ノラの方が毒気を抜かれてしまったような気分になる。
(こんな間抜けそうな子供でも、軍に入隊出来るのね。帝国ってば、将来は大丈夫かしら?)
天下のヴァルキリアス帝国への皮肉を心の中で呟いて、ルシオに笑顔を返した時……彼は突然さっと立ち上がり、室内を見渡した。
そして先ほどまでノラが漁っていた執務机の方へと近付いていくと、ルシオはノラの方へ肩越しに顔だけ振り返りボソリと言った。
「あれ……今朝と物の配置が微妙にずれてるな……」
ちょうど口元へティーカップを近付けていたノラの手が止まる。冷え固まった心臓のまま、ルシオへ目を向けると、彼の灰色の瞳とすぐに目が合った。
その瞳には、先ほどまでの軽薄そうな笑みからは想像もつかない鋭さが宿っていた。
「オクサマ、総司令官の机触りました?」
「……いいえ?」
「ふぅん、でもずれてるんだよなぁ……」
ルシオの、自分を見る目が明らかに変わったことを悟ったノラは、引き攣りそうな顔で笑顔を浮かべ、小首を傾げながらとぼけるしかなかった。
(まずい……)
ノラの心は焦り、冷や汗がこめかみ辺りを流れ落ちていった。その時、部屋の中にノックの音が響く。
「はい」
「奥様、ヴィンセントです」
まさかここでヴィンセントに助けられるとは思わなかった。ノラは詰まっていた喉でゆっくり息を吐いた後、扉の向こうに立つヴィンセントへ部屋に入るよう言った。
「失礼いたします」
ヴィンセントが静かに入室した。この仏頂面を見て初めて、ノラは安堵感を覚える。ドキドキと鳴り続ける心臓を落ち着けるように、ノラはドレスの上から胸を押さえた。
「ルシオ? 何故君がここに?」
ルシオの姿を見たヴィンセントが、意外そうな声色でルシオに尋ねる。
「オクサマにお紅茶を出してたんです!」
「……君が?」
ヴィンセントは眉を顰めて、ルシオを咎めるような険しい顔でノラの元へ近付くと、「奥様、失礼いたします」とティーカップの中身を確認してきた。
「紅茶の色が濃過ぎる。奥様、それには口を付けられませんよう……私がすぐに新しいものを淹れ直します」
「え……あ、はい」
ノラが素直にカップを下ろしソーサーの上に置いた様子を見て、ルシオはとても悲しそうな表情を浮かべた。
「ヴィンセントさん、ひでぇよ! 俺、一生懸命、人生初のお紅茶を淹れたっていうのに!」
「じゃあ、君がこれを飲んでみろ」
「いいぜ! 美味すぎて驚くから…………うげぇ! 不味っ、渋っ……!」
置かれていたティーカップを奪い取るように持ち上げると、ルシオはその中身を一気に飲み干してみせた。そして、すぐに不味いと騒ぎだす。
「不味すぎて驚いた……」
そんなルシオの姿を見つめていたヴィンセントは、はぁと疲れた様子で小さく息を吐くと、改めてノラへと向き直った。




