1-2
彼女の今回の標的者はイヴァン・アルノルフォ。上司の命により、彼が握る帝国軍部の極秘情報を盗み出すためにこのヴァルキリアス帝国の社交界へ潜入したのだった。
(まずはどうやってこの男に近付こうかと頭を悩ませていたけれど……杞憂だったわね)
ノラがユリアナとしてパーティー会場に姿を現した時、彼女に興味を示した男達にすぐに囲まれてしまった。そんな時に颯爽と現れて、彼女を救い出してくれたのが、イヴァン・アルノルフォだった。
『——ノラ、優秀な君に任務を言い渡したい』
ノラは祖国を出る前にヘブリス王国の宰相であり、自身の上司であるグランディエ公爵の言葉を思い出していた。
『我がヘブリス王国は、先のヴァルキリアス帝国との戦争に敗れ多くの国民達を失った。そして恐ろしいことに、帝国は先の戦争だけでは飽き足らず、更なる力を求めて兵器を造っているという情報を得た』
王国と帝国の戦争が終結し十七年……その後も戦乱の時代を生き抜いた帝国は、またあの悲惨な戦争を繰り返す気なのだと知って、ノラの中で帝国への憎悪が膨れ上がっていった。
『これまで以上に過酷で、命の危険が伴う任務だが……』
『いいえ、その任務を私にお命じください!』
ノラは、この世界から戦争がなくなって欲しいと願っている。自分のような戦争で両親を亡くした戦争孤児がいなくなる世界……そのためなら、なんだってする。
(イヴァン・アルノルフォ……ヴァルキリアス帝国の『軍神』と称される英雄の男。戦場では、彼が冷酷に敵を討ち倒す容赦のない姿に敵国は恐れて震えあがり、そして、味方からは尊敬と同時に畏怖されるという……)
この冷酷で恐ろしい『軍神』すらも、恋に落としてみせてやる。
『私の可愛いノラ。ヴァルキリアス帝国へ潜入し、イヴァン・アルノルフォへ近付くのだ。彼の持つ軍部極秘情報を手に入れろ』
グランディエ公爵の命令をしかと胸に刻み、ノラはその任務を承ったのだ。
ノラは改めて目の前に立つイヴァンに目を向ける。
漆黒の髪、きりっとした眉と目元、鼻筋の通った高い鼻、そして色気を滲ませる薄い唇……この完璧な外見を持つ男の金色の瞳は今、火傷しそうなほどに熱を含んで自分を真っ直ぐに見つめている。
『いいかい、ノラ。イヴァン・アルノルフォはこれまで君がターゲットにしてきた男達とは違い、一筋縄ではいかない男だ。決して、油断してはならないよ……』
(ご心配なく、グランディエ公爵)
ノラは、くくっと黒い笑顔を浮かべる。
(イヴァン・アルノルフォも、これまでの男達と同様、恋に溺れる愚かな男でした——)
その日、帝国貴族達は驚きを隠せなかった。
皆に恐れられる冷徹総司令官、『軍神』イヴァンは、もうすぐ三十の歳になろうとするのに、これまで一度も婚約者を持ったことがなく、浮いた話の一つもない男だった。
皇帝が彼の功績をたたえて自身の娘との縁を結ばせようとしても即座に断るような堅物で、帝国の誰もが、イヴァンはきっと独身主義者なのだろうと考えていた。
それなのに、ユリアナ・ケリスを見つめるイヴァンの瞳は、どう見ても……
誰かが呟くように言った。
「まさかあのイヴァン・アルノルフォ公爵閣下が、初恋に溺れることになるなんて——」
◆
「——ユリアナ嬢?」
ノラは目の前の男に呼ばれてハッと意識を戻した。
「どうかなさいましたか?」
「……いいえ。感動してしまって、少し呆けてしまいました」
イヴァンとダンスを踊ったあの夜から、ノラはこれまでに彼に何度かデートに誘われるようになった。今日も彼の誘いで、帝都一の高級レストランの夜景が一番綺麗に見える席で食事をしていた。もちろん、貸し切りだ。
ノラの返答を聞いて、イヴァンは嬉しそうにクスリと笑うと「こんなことで感動だなんて……可愛らしい人ですね」なんてことをほざいている。ノラは自分の任務が順調に進んでいると確信していた。
このままイヴァンとは距離を縮めて、親密になる一歩手前で焦らし、飼いならしてやる。
「ところで……」
イヴァンが話を切り出した。
「俺たちはこれまで、こうして何度かデートを重ねてきましたが……」
ノラはすぐに空気を読み取り、姿勢を正す。きた、やってきたのだ。イヴァンを飼いならすチャンスが。
「どうでしょう? 俺という男は、貴女に受け入れてもらえそうですか?」
「え……それって……?」
ノラはユリアナになりきって、うぶな反応をした。イヴァンは少し緊張した面持ちで、グラスの中のワインを一口飲むと、しっかりとノラの目を見つめながら自分の気持ちを伝えた。
「ユリアナ嬢……俺は、貴女の事が好きです。初めて会った、あの日から……ずっと、貴女を忘れられませんでした」
イヴァンは恋する男の顔で続ける。
「貴女ともっと親密になりたいと思うのは、俺だけでしょうか?」




