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ノラが向かった先は、三階にあるイヴァンの自室だった。
アルノルフォ公爵家は四階建ての屋敷であり、一階は主に使用人達の部屋、二階は客室がある。そして三階以上は主人のプライベート空間となるので、使用人も限られた者しか出入り出来なくなるのだ。
しかし、洗濯係のメイドだけは別だ。職務上、主人のプライベート空間に出入りする必要がある。
ノラは適当な洗濯物を幾つか抱えて、屋敷の中を歩き回った。すれ違う誰もがノラの事を疑わなかった。
そしてついに、イヴァンの自室前に到着する。
ノラは主人のいない部屋の扉を開いて、素早く室内へ滑り込むように入った。
抱えていた洗濯カゴを下ろして、さっそく部屋の中を物色し始める。そして、ついにイヴァンの机の鍵付き引き出しの中から封筒に入った重要そうな書類を見つけた。もちろん、ノラがピッキングで解錠した。
ノラは喜びに内心でガッツポーズをとると、満面の笑みを浮かべて早速封筒の中身を取り出す。中には、数枚にわたって綴られた書類の束が入っていた。
(イヴァン・アルノルフォの秘密? それとも、軍部の機密情報かしら⁉︎)
嬉々としてその書類の内容に目を通していく。すると、そこに書かれていたのは……
「……な、何よ……これ……」
ノラは思わず、震える声で呟いてしまった。
そこには、イヴァンの秘密でもなければ、軍部の機密情報でもない。彼が時間をかけて緻密に練っている、妻ユリアナとの新婚旅行計画書だったのだ!
「この男、『軍神』とか言われちゃってる冷酷総司令官のくせに、普段何を考えてるの⁉︎」
やっと見つけた情報が、イヴァンの恋に浮かれきった馬鹿みたいな計画書だけ。これは、ぬか喜びにも程がある。
ノラは心の中で恋に溺れるイヴァンの愚かさに呆れながらも、もしかしたら何か重要な情報が書かれているかもしれないと希望を捨てずに読み進めていった。
行き先候補ごとの観光情報はもちろん、各宿泊先の食事について書かれた調査メモ、妻の体調を配慮した道順選び、さらに雨天時の代替案など……綻びひとつない完璧さでとても心を込めて考えられている計画書だった。
「…………」
そして、ノラは一つの結論に至った。
「すっごく楽しそう!」
無意識にそう声を上げた後、ノラはハッとして口を閉じる。
(いやいや、私、何を流されてるの……)
急に自分自身が恥ずかしくなった。熱くなっていく顔をイヴァンの新婚旅行計画書から上げた時、扉の向こうから人の気配がした。
「後は旦那様のお部屋のシーツを回収したら、この階は終わりね」
そんな話し声が聞こえてくる。
(どうしよう! 本物の洗濯係が来ちゃった!)
ノラは急いで書類を封筒の中に戻すと、元の引き出しの中へと押し込む。
(どこか、隠れる場所……!)
そして、周りを見渡して身を潜められる場所を探す。ベッドの下……は、狭い。クローゼットの中……間に合わない。
仕方なく後ろにある窓へ駆け寄ると、窓を勢いよく開く。
ガチャ。
扉が開くと同時に、ノラは窓から外へと飛び出した。彼女と入れ違って洗濯係のメイドが二人、室内に入ってくる。
「あれ? どうしてここに洗濯カゴが?」
「もしかして、誰か忘れてる?」
そんな二人の会話を、ノラは窓下の小さな出っ張りに指を掛けてぶら下がったまま息を潜めながら聞いていた。
「誰よ、もう! 旦那様の部屋に放置するなんて有り得ない!」
「旦那様が戻られる前に見つけて良かったわね」
ノラはぎゅっと指先に力を入れる。ここは三階だ。もし落ちてしまえば、ノラも怪我は免れないかもしれない。
ふと、視線を感じてノラは顔だけで振り返る。
「クルックー」
するとそこには枝に止まる鳩が一羽おり、目がばっちりと合ってしまった。
「なんだ、鳩か……」
ノラは胸を撫で下ろしながら安堵した言葉を呟く。
メイド達はノラが運んだ洗濯カゴを抱えて、部屋から出て行ったようだ。ノラは再び窓から部屋の中へと戻る。
その時、鳩の更に後ろで風もないのに枝葉が小さく揺れていたが、ノラは気付かなかった。
部屋の床に着地すると、ノラは身嗜みを整えるように、スカートの裾を軽く叩いた。改めて室内を見渡す。
ノラは真っ直ぐと歩を進めて、次に目に入った更に部屋の奥へと続く扉に向かっていった。
(あとはこの部屋を調べてから、今日のところはお暇しよう)
ノラはそう思いながら、ドアノブを捻る。しかし、鍵が掛かっているようで、扉は開かなかった。
余裕ありげにふっと鼻で笑ったノラは、先ほど机の引き出しの鍵をピッキングした時と同じように、懐から小さな鉤針を取り出した。
(どうして鍵が掛かったものって、こうも暴きたくなるのかしらね?)
ノラが慣れた手つきで鍵穴に鉤針を差し込んで暫く動かしていると、カチリと解錠される音が聞こえた。
「ふふ」
思わず小さな笑い声をもらして、ノラは再びドアノブを捻る。扉を引きながら開けていくと、徐々に広がっていく僅かな隙間から、向こう側の室内の様子が見えてき……バタン!
突然、扉が押されて勢いよく閉じられる。
(え……?)
ノラが驚いて目を丸くした時、彼女の耳元の後ろで誰かの吐息が聞こえた。
「——何してる?」
その声を聞いた瞬間、ノラの心臓は一気に冷えて縮み上がる。
(嘘……うそ……!)
全身から血の気が引いた。そんな彼女の肩を、そっと……いや、しっかりと掴むその大きな手の温かさが嫌によく感じられた。
肩を掴む手に力が入り、ゆっくりと彼女を振り向かせる。ノラはこの逃げ場のない中でどうする事も出来ない。抗うことも出来ずに、体ごと振り返らされた。
「あ、あの……私……」
焦りから、上手く言葉が出てこない。
そこにはイヴァンが立っていて、金色の瞳を細めながらノラを見下ろしている。
イヴァンは柔らかく微笑んでいた。その笑みからは感情が何一つ読み取れない。
ノラの背筋を、恐怖心が悪寒となって走った。




