09 見えない過去
少しの風にでも靡くようなさらりとした黒髪は、そのままで良いだろう。
ルーファスの凜々しくも整った顔に良く似合い、夜会で相応しいように撫で付けていないからと、主催者も誰も文句は言うまい。
黒を基調とした貴族服には金糸銀糸で複雑な刺繍が施されていて、まるで誂えたかのようにルーファスに似合っていた。
外見は完璧な貴公子だ。彼が魔法使いで普段は黒いローブを羽織っていると教えられれば、人は驚くだろう。
(……もし、これを注文しようと思えば、二月間ほどは掛かるのではないかしら。本当に魔法って凄いわ)
こうして便利な魔法ではあるが、そもそも生まれた時に魔力を持っていないと使えない。サブリナは魔法を使えることはないだろう。
「あの……ルーファス。私も夜会用のドレスに着替えるために、一度ラディアント伯爵邸へ帰宅しますわ。また……迎えに来てくださいます?」
ルーファスの準備はこれで整っただろうが、貴族令嬢たるサブリナの準備は長く掛かってしまう。
「……僕が君の準備もすることは、出来るけど?」
(それはつまり、私の服も魔法で変えられてしまうということよね……本当に凄いわ)
「とてもありがたいことですけど、それは、ご遠慮しておきます」
微笑んで答えたサブリナは前々から準備をしていた髪型も化粧も、夜会で相応しいものに変えなければならないし、ドレスも今の流行を考えてメゾンで特別にデザインして貰ったものだ。
ここでルーファスに頼めば時間短縮にはなるのだろうが、サブリナにはせっかく準備したものを無駄にしてしまうことには抵抗があった。
「そうか……もちろん。君の好きにすれば良い。大丈夫だよ。時間になったら、僕がサブリナを迎えに行こう」
「ありがとうございます」
ルーファスはサブリナの意志を、何より尊重してくれる。
彼の魔力を使えば、ここですぐにサブリナを自分好みの装いにしてしまう事も簡単だろうに、彼女の意に反することはなかった。
馬車に乗りいつもの道筋を窓で見ながら、サブリナは複雑な思いを抱えていた。
(ルーファスは……お父様とは違う。亡くなったお母様は、いつもお父様に気を使っていたもの。けれど、彼は私の希望をすべて叶えてくれる。なぜ私を恋人だと言ってくれているのか、わからないから……それを、素直には喜べない)
サブリナの母ニコレッタは、病を得てから王都から離れたラディアント伯爵が持つ領地へと帰り邸館にて二年間療養していた。
多忙な父フレデリックは王都から離れずに病床の母には、あまり寄りつかなかった。そして、母が儚くなってしまってからも、葬式でも泣かなかった。
サブリナにはそんな両親二人を見ていて、悲しくなってしまったことを鮮明に覚えている。
貴族の結婚には両家の政略的な意味があって、二人の愛などはなくても成立する。だが、まだ恋や愛に夢を見ている年頃のサブリナには、あまりにも悲しい出来事だった。
◇◆◇
舞踏会に出席するため胸が大きく開き袖のないイブニングドレスに身を包んだサブリナと共に会場に現れた大魔法使いルーファスの姿を見て、バートレット公爵邸の大広間へと集まっていた周囲に居る貴族たちはざわめいて、にわかに浮き足立っていた。
現在、アシエード王国が滅亡の危機にあるとは言えども、すぐに救いの手を差し出された。
その手が、大魔法使いルーファスだ。彼は長き時を生きていて、伝説に残るほどの魔法使い。
サブリナ・ラディアント伯爵令嬢と共に入場して来たが、彼女とはどのような関係なのかと、興味津々で注がれる視線が向けられた。
「……サブリナ。飲み物は?」
「あ……ありがとうございます」
近くを通りがかった給仕の男性からグラスを受け取り、ルーファスはサブリナへとひとつ差し出した。
(……やはり、ルーファスは貴族だったのかしら。こういう夜会の席でも余裕を崩さず、動作もそつがないもの。ますます、彼の過去が不思議だわ)
そう思うものの、ルーファスにはアシエード王国を救って貰わねばならない。
だから、サブリナがいくら不可解だといくら思おうとも、黙ったままで彼の機嫌を損ねないようにすることが最優先なのだ。
「サブリナ。せっかく舞踏会に出て来たんだ。踊ろうか」
「えっ……あ。はい。喜んで」
舞踏会に二人揃って入場するということは、最初のダンスを共にするという意味だ。やはりルーファスはそういう作法をよく理解しているようで、サブリナに礼をしてから手をゆっくりと差し出した。
サブリナは彼のダンスの誘いに頷きながらも、心の中は戸惑っていた。やはりルーファスは、貴族だった過去があるのかもしれない。
(私を誰かと勘違いしているのは、ルーファスが貴族だった時の恋人だと言うことかしら……?)
大魔法使いルーファスは、いつの時代から生きて居るとも知れぬ年齢不詳で、彼の過去を知る者はもう生きて居ないだろう。
それを知るためには、ルーファスへ直接聞くしかない。
滑らかな動作でダンスステップを踏み、ルーファスはまったく臆することなく、サブリナと踊っていた。二人で目を合わせて、お互いを見ていた。いつのまにか周囲のことは、気にならなくなっていた。
ルーファスが今、アシエード王国で、一身に注目を集める存在であることは間違いない。そんな彼と共に居るサブリナだって、その他貴族からすれば興味津々になるだろう。
ついこの前に社交界デビューしたての令嬢が、大魔法使いと共に居る。何があるんだと、会場中が二人に注目しているはずだ。
けれど、今はそんな誰かの事は気にも留めなくなっていた。
美しくきらめく紫の瞳。謎多き大魔法使い……そして、あの時に初対面だったはずのサブリナを、自分の恋人だと呼んだ男性。
(ますます、わからないわ……過去に私と似ている人と交際していた……? それならば、名前で気が付くはずよ。それなのに、ルーファスは私がサブリナだと聞いても恋人だと言って譲らない)
自分を見つめるサブリナの視線に視線を合わせながら踊る、ルーファスの胸の内などわかるはずもなかった。




