06 救国の魔法使い
ルーファスと多くの時間を過ごすようになってからというもの、デビューしたばかりの伯爵令嬢として積極的に社交するはずだったサブリナは、以前から予定していたお茶会や夜会を除いて新しく予定を入れることはなかった。
貴族の社交上、一度送られた招待状に行くと受託したのなら、断る理由は著しい健康不良、それは非常に重大な理由でなければ、今後の付き合いを考えられるほどに非礼な行為であるとされている。
アシエード王国の救世主たる大魔法使いの機嫌を取るという責任重大な仕事を任されていると伝えれば、先方の理解も得られるかもしれない。
だが、真面目なサブリナには、そのような事は思いつかなかった。
(ああ。なんだか、雨が降りそうだわ……)
邸を出てから馬車へ乗ろうとしたところで、ふと暗くなって来た空を見上げて、サブリナはそう思った。
今はまだ遠くに見えている黒い雨雲も、王都へとやがて迫って来るだろう。
「……サブリナ。どこへ行くの?」
不意に頭上から声がしたと思えば、ルーファスがその身ひとつで飛行して、黒いローブを翻し地面に着地するところだった。
朝早くから王家の森へ封印する魔界の門を見に行っていたルーファスは、昼になったから一度邸へと戻って来たようだ。
初めて空を飛行するルーファスが見た時は、サブリナは思わず、高い悲鳴をあげて驚いてしまった。
けれど、ルーファスは大魔法使いと呼ばれていて、世界には数人しか居ないという非常に希少な存在なのだ。
彼に言わせると魔法使いにとって空を飛べることは、珍しいことでもなんでもないらしい。魔法使いという存在が全く身近には居ないサブリナには、信じがたいことだった。
「おかえりなさいませ。ルーファス。今から、マッカーシー侯爵夫人が開かれるお茶会に出席するんです。晩餐までには戻りますわ」
サブリナはここ三日間ほど、ルーファスの邸へと朝訪れ、彼の話し相手をしていた。
とは言え、父が予想していたように恋人と称するサブリナへ無理に密着したり夜伽を迫ったりするでもなく、共に食事が終われば紳士的に馬車へとエスコートしてくれた。
健全な時間にラディアント伯爵邸へと帰り着く娘を見て、あれを指示した父フレデリックとて、安心したような表情を浮かべていた。
貴族として国を救うためには娘を一人差し出すことも致し方ないと思いつつも、父親としては複雑な心境ではあったのだろう。
ルーファスはお茶会へ向かうと言ったサブリナの言葉を聞いて、こともなげに頷いた。
「気を付けて……雨が降りそうだから」
彼はそう言い馬車に乗るサブリナの手を取り手伝うと、窓から手を振っていた。
緑が続く窓を見つめて、サブリナは複雑な心境になっていた。ルーファスには自分勝手なところなどなく、出来るだけ意志を尊重してくれていた。
(ルーファス。穏やかな性格で優しい男性だわ。けれど……どうして、私のことを恋人だと言っているのかしら。これまでに会ったこともないのだから、やっぱり、誰かと私を間違えているのかしら……?)
大魔法使いルーファスは長い時を生きていて、その中で愛した女性とサブリナは似ているのかもしれない。もしかしたら、偶然名前も同じな過去の誰かの身代わりなのかもしれない。
そんな疑問が湧いて出て、どういう経緯で自分を恋人と呼ぶのかと、ルーファスに対し確認したいと思いつつ、やはりそれは躊躇われた。
ルーファスは恋人であるサブリナの願いならば仕方ないだろうと言い、無関係なはずのアシエード王国を救ってくれることになったのだ。
(余計なことをしてしまって、気分を害し気が変わったと思われてもいけないわ……今は救ってくれると言ってくれている。私は彼の気が変わらないように、そう振る舞えば良いだけなのよ……)
サブリナはルーファスに対し嘘をつき続けることには罪悪感があるものの、このままの現状を変えてしまうことで、彼の気持ちが変わってしまうことを恐れていた。
自分の行動や言動にアシエード王国の存亡が掛かっていると思えば、サブリナは言葉選びにも慎重にならざるを得ない。
◇◆◇
マッカーシー侯爵夫人のお茶会での話題は、専らアシエード王国を襲う危機についてだった。
魔界の門の封印が解けてしまうかもしれないという話が広まったと同時に、大魔法使いが召喚され自分たちを救ってくれるという話も追うようにして広まった。
「アシエード王国を救ってくださる大魔法使いルーファスは、とても姿が良いのですって! 見てみたいわ!」
「若き美形の魔法使いだとか。素晴らしいわ……」
「ああ。私も、ぜひ、お会いしてみたいわ……どんな方なのかしら?」
「ああ。ルーファス様……ひと目だけでも、是非見てみたいわ。だって、こんなにも噂になっているのだもの」
「私だってそうよ。救世主だもの。きっと、素敵な方に違いないわ」
大魔法使いルーファスについても若いご令嬢たちはこぞって、彼は背の高い男性で美形らしいと楽しげに噂していた。
彼本人のすぐ傍に居るサブリナは、複雑な気持ちを抱えて、ただ彼女たちの会話を聞いているしかない。
大魔法使いルーファスのことは知られているものの、彼が何故無関係なはずのアシエード王国を救ってくれる気になったのかについては、知られていなかった。
国としては彼からの申し出という美談で片付けてしまった方が良いという判断なのだろう。
本当は、突然召喚されたばかりのルーファスが、サブリナを見つけ『迎えに来るのが遅くなってごめんね』と言い恋人だと呼んだ。
それまで非常に不機嫌であったのに、彼女の願いならばと、アシエード王国を救ってくれる気になった。
我が身に実際に起こったとは言えど、信じがたい話でしかなかった。
けれど、どうしてもサブリナは複雑な思いを抱いてしまう。
ルーファスが呼ぶ『恋人』とは誰か。彼に説明を求めることは、とても簡単だろう。しかし、それは今この状況下では出来ない。
(魔界の門が閉じるまで、何も聞くべきではないわ。何も言わずに……何も聞かずに。時が過ぎるのを待つのよ)
サブリナは心の中で葛藤を繰り返しながらも、貴族令嬢たちが笑いさざめく楽しげな空気の中で、黙ったままでお茶を飲んでいた。




