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「え〜っとね____」


 月乃がマヨさんの言葉を伝えようと口を開けたその時、遠ざかっていた泣き声が再びあたりに充満した。

 突然の音圧に、私は思わず耳を塞いで体を硬くする。

今までの泣き声の比ではないほど鋭く大きな音に、髪が大きく靡く。

 気づけばマヨさんの手は私の頭から離れていた。

 また動けない。

冷たく吹き込む風に体が軋んだように動かせない自身の運動不足の体を呪うが、そんな事をしたところで体は動かなかった。


「お前、大丈夫なんかそれで……。」

「………ありがとう。」


 見かねた飛燕がストールを伸ばして風が吹く方向、要は怪異のいる方向に布の壁を作ってくれた。

これだけでも風はだいぶマシになる。


「………。」

「………ありがとうございます……。」


 飛燕とのやりとりを見ていたらしいシガンさんがそっと私とストールの間に立って二重の風除けになってくれた。

おかげでもう普通に立っていられる。

 ただ一つ言うとすれば、別に私がそこまで体幹が無いわけではないと言う事だ。

今の風で周囲の軽い瓦礫や木材達は宙を舞っている。

 それでも体幹を全く崩さなかったこの人達がおかしい。


「月乃ちゃんは大丈夫か?」


 シガンさんは無言で私のお礼を受け取った後、私の隣にいた月乃に目を向けた。


「うん!大丈夫!マヨくんも大丈夫……って大丈夫!?」


 月乃は、私の正面で屈み込んでいた。

月乃のすぐ目の前には、蹲ってしまっているマヨさんがいる。

さっきまで私とシガンさんの頭に伸びていた手には色が無く、着物の隙間から見える包帯には赤黒いものがまばらに滲んでいた。


「もしかして、マヨイガが壊されてるから?」


 さっきの怪異の泣き声は凄まじくあの泣き声と一緒にどれだけこの家が壊れたのか分からない。

 そうで無くとも先程から怪異と然玖さんの虎の喧嘩でマヨイガは壊れまくっている。

マヨイガであるマヨさんにダメージが入る原因としては十分だろう。


「ど、どどどうしよう!?」

「せやな……然玖達と合流してあの怪異をどうにかするのが早そうやけど……」


 そう言うシガンさんの顔は渋い。

それはそうだろう。

あそこまで大きく攻撃性の高い怪異をどうにかするのは骨が折れる。

 シガンさんだからこそまだマシだが、私や月乃などの戦闘系の能力を持たない人間には対処のしようがないレベルの怪異だ。

 どうにかするのは難しいだろう。


「お前達。」

「飛燕!つつじ!此雅兄!」

「ちょぉ待ってやぁ!二人とも、こう言う時だけ早いにも程があるやろ!?」


 どうするべきかと思考に潜り始めたあたりで、なんとも緊張感のない声が響く。

声の方を見れば、然玖さんが瓦礫の上を器用に移動しながらこちらに近づいてきており、その後ろにはさらに二人分の人影が見えた。


「然玖さんに凛さん!あとおじさん。」

「誰がおじさんや!此雅兄よりも年下やぞ!」


 千鳥さんとしゃがんだままの月乃が阿呆みたいな事を言っている間にも、私は全力で思考を回す。

さっきまでは遠ざかるばかりで静かだった怪異が急に泣き始めた。

 おそらく原因は千鳥さん達がここに来たこと。

でも月乃が来た時は何ともなかった。

 あの虎が凛さんの能力だから?

それともまた別の理由だろうか。


「此雅兄!彼雅兄は?どこおるん?と言うかその手どうしたん!?」

「今はそんなこと言うとる場合やない。とりあえずさっさと離れるで。」


 表情を引き締めたシガンさんは、短く言うと怪異の方を向く。

私の足元ではまだマヨさんが蹲っていた。


「シガン、俺はどうしたらいい?ここ離れるにしたってあれを放っておくわけにはいかんやろ。」

「せやな……なんか知っとるとしたらミクズや。あいつを締めるんが早そうやけど……」


 シガンさんが飛燕に答え切るよりも前に、大きな音が近づいてきた。

その音の先には、やはりあの怪異がいた。

 さっきの大きな咆哮は、虎を倒した興奮からくるものだったのだろうか。


「あかん、虎に見向きもせぇへんくなってもうた!」


 虎はどうやらまだ無事らしい。

でも、もう虎と喧嘩をすることは止めにしたらしい怪異は瓦礫を踏み潰しながら真っ直ぐに私達の方へと向かってくる。


「流石にもう気は引けへんか。………千鳥、凛。」

「何や?然玖。」


 ずっと静かに成り行きを見守っていた然玖さんは、静かに声を出した。

その声に真っ先に反応した千鳥さんは、怪異の方を見ている。

 いつの間にか、千鳥さんの手には煙を吐き出す煙管が握られていた。


「ミクズのとこに行ってこい。」

「はぁ!?どこにおるか分からへんのにどうやって捜せっちゅうねん。大体、あいつのせいでこんな事になっとるんとちゃうんか。」

「いや、あいつもこれは予想外っぽい……って、んな事言うとる場合やないな。」


 真っ直ぐに近づいてくる怪異との距離は、もう十メートルもないだろう。

そろそろ動き出さなければマズい。


「場所はうちの蛇が把握しとる。」

「蛇ってそんな……言うとる場合やないな。行くで!千鳥!」

「月乃ちゃん、飛燕、つつじ。お前らはさっさと蒼の屋敷(ここ)出や!」


 怪異が近づくにつれて大きくなる泣き声に掻き消されないよう、各々が大きく声を張り上げる。

 シガンさんと然玖さんは怪異の前に真っ直ぐに立っている。

千鳥さんと凛さんは走り出していて、飛燕もそれに続こうとしている。


「つつじ!マヨくんどうしよう!?」


 月乃だけが、私の足元でマヨさんをなんとか抱えようとしていた。

おそらくそのまま担いで行くつもりなのだろうが、流石に無理がある。


「私達だけで連れてくのは無理だよ。」

「でも!」

「何やっとるん!?」


 飛燕の声か千鳥さんの声かは分からなかったけれど、その声が聞こえる頃には怪異がすぐそこにいた。

 怪異はシガンさんと然玖さんに阻まれているが、その大きな前足が近くの瓦礫を飛ばす。

人の頭以上はあるであろう物質の塊が、幾つも頭上に降り注ぐ。

 これは誰かしらに当たるな。

気づけばぼんやりとそう考えていた。

 私と月乃、マヨさんは勿論、私達を助けようと戻ってきたら飛燕や凛さん、千鳥さんが割と近くまで来てしまっている。

シガンさんと然玖さんは前に出て怪異と対面しているのでまだ距離はあるけれど、瓦礫の雨が降る範囲にいる。

 動こうにもマヨさんを動かせない今、私だけ移動しても意味がない。

そもそもこの瓦礫の雨を回避するのは至難の業だ。

 そこまで考えたところで頭上にまで降ってきていた瓦礫を目の端に捉え、反射的に目を閉じて身を硬くする。



衝撃は、いつまで経っても来なかった。


  それどころか、一瞬で泣き声も、瓦礫が踏み潰される音も聞こえなくなった。

ゆっくりと目を開けると、そこには同じような態勢をしている月乃がいた。


「ここは……?」


 困惑する月乃を無視して、私は急いで首を回して周囲を確認する。

ここはどこだ?

どうして移動した?

飛燕達は?

 確認したいことが多すぎる。


「つつじ、お前なんかしたか?」

「何もしてない。それより、シガンさんと然玖さんは?」


 周りを見ると、最早見慣れてきていた蒼のお屋敷の廊下にいるようだった。

すぐそこには飛燕も千鳥さんも凛さんもいる。

視線を月乃に戻すと、月乃の隣にマヨさんも見えた。


「二人はおらへんな……。これ、つつじちゃんの能力やないん?」

「はい、私のではないですね。」


 突然変わった景色に少し焦っていたらしい私は、この辺りでようやく何が起こったのかを察した。


「おそらく、マヨイガが私たちを移動させたんでしょう。」


 言いながら、私は月乃の隣で未だ腕を押さえて苦しそうなマヨさんを見た。

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